OUTSIDE IN TOKYO
Adam Guzinski Interview

アダム・グジンスキ『メモリーズ・オブ・サマー』インタヴュー

2. 仄めかしの描写を通じて、観客を別の方向に導き、後で真実を発見させる

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OIT:この映画では、子供の視点、ピョトレックの見えている世界が非常に興味深く、面白かったのですが、子供の世界というのは結構、力に支配されている、強い者に組み伏せられてしまう野蛮なところがありますね。
アダム・グジンスキ:おっしゃる通りだと思うんですけど、私は、ある者がある者に対して支配しているというより、むしろ逆で、弱い人間が強い人に依存してしまう、そういう関係として捉えています。ですから子供の世界というのは、大人の世界の木霊、エコーのようなものだと思っています。やはり、その子供達が大人になっていった時に、同じ図式が繰り返していくことになるのです。

OIT:映画の中で描かれていたシーンでいくつかとても印象に残ったのが、寸止めする演出というのでしょうか、最初の汽車のシーンや、子供が溺れてしまうシーンがありました。そうした演出は脚本の段階で考えていたのでしょうか?
アダム・グジンスキ:そうですね、これはシナリオの段階で既に考えていたことです。最後は、観客に考えさせるような、そういう空白を残しておくっていうことですね。つまり画面の外側で起きること、画面の中に映された状況以外のところで起きることを観客に考えさせたい。例えば、二つ目の例ですけれども、湖に向かって少年が歩いていく、もしかしたら彼が溺れるかもしれない、その後、実際溺れた少年が映し出される、そうすると、ピョトレックの頭の中で、観客の頭の中でも、もしかしたら溺れたのはあのメガネの男の子なんじゃないかという考えが生まれる。ただ最終的にそれは間違いであったということが分かるわけですが、そのように観客をミスリーディングして、最終的に驚かせること、ショックを与える効果、つまり観客を別の方向の解釈の方に導いた後に、実はそうじゃなかったんだっていう風に驚かせる、そうした効果を狙ったということもあります。

OIT:有名なクレショフ効果を応用したものですね。
アダム・グジンスキ:私がもともと興味があったのはこういうような状況なんです。私達は、物事のある一部分しか実は知らないわけです、そのことを元にしてこの後どうなっていくかっていうことを想像します。同じようにして、例えばあることを私達が知った時、後になってそのことには別の意味があったのだっていうことが分かったりすることがありますね。私はそうした状況が凄く好きなんです。あるいは誰か別の人が、実はこうだったんだって教えてくれるとか、予想だにしなかった新しい観点がそこで出てくるっていうことが凄く好きなんです。ピョトレックが見ているものは、実はほんのちょっとの部分に過ぎないわけです。別の例を挙げますと、お母さんが家から出ると、その時にお母さんが実際誰と会っているか、何をしているのかっていうことを、実は彼は知らないわけですが、お母さんの様子とか服装が変わっていくのを見て彼女に何が起きているかということを想像するわけですね。そういう仄めかしの描写を通じて、観客を別の方向に、実は誤った方向にわざと導いていって、後で真実を発見させる、そういうことが好きなんです。



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