OUTSIDE IN TOKYO
Adam Guzinski Interview

アダム・グジンスキ『メモリーズ・オブ・サマー』インタヴュー

3. ピョトレックは、自分の生きてる世界と大人達の世界との間には
 越えることが出来ない境界線があるということを、どこかで感じている

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OIT:お母さんが出ていった後、彼が後をつけていくと鹿が出てくる、あのシーンがとても良かったですね。ある種深刻な状況だけれども、ちょっと癒されてしまうような瞬間がこの映画には所々にあります。
アダム・グジンスキ:いいところに気付いてくださったと思いますが、大変重要なのはあの少年の年齢だろうと思うんです。彼は確かに成長の途中にあるけれども、お母さんが何か不倫らしきことをしていることは分かっていても、お母さんを止めることは出来ない。その後、彼がずっと追っかけて行ってお母さんが何をやっているのかを発見する、そこまでを描くことだって出来ないことではありません。ただ、彼自身、自分の生きてる世界と大人達の世界との間には越えることが出来ない境界線があるということを、どこかで感じているわけですね。私達はピョトレックの視点で見ていますから、男の子の子供っぽさというか、罪のなさというか、そういうものが彼の中にまだあるんだっていうことを、あの場面が知らせてくれるわけですね。あの場面というのは、そういう働きをしているんじゃないか?つまり彼がどういう年齢にあるのか、まだ彼はその境界線を越えることが出来ない、お母さんはその闇の中に消えて行くけど、それを更に追いかけて行くことは出来ないんだっていうこと、その境界線の象徴としてあの鹿が出てきた。

OIT:映像が素晴らしかったので、撮影のアダム・シコラについて聞きたいのですが、私たちにとってはスコリモフスキ監督の『アンナと過ごした4日間』の印象が強い撮影監督だと思いますが、どういう風な画を撮ろうとか、どのような打ち合わせをされたのか簡単に教えていただけますか?
アダム・グジンスキ:私たちは、古い1970年代の末の写真をまず見ました。その時代は、ドイツ(かつての東ドイツ)のオルヴォというフィルムが使われていました。それは暖色の黄色が中心の画像で、はっきりした色彩というものをあえて消して、夏休みの太陽が照っている中に暖色の色が混ざっている、そういうような写真でした。全体としてパステル調の色彩でしたが、アダムも私も子供時代の経験というのを考えた時に、何となくああいう暖かい色彩がまず思い浮かんだわけです。そういう映像を、もちろん後でCG加工で出すことも出来るのですが、そうではなくて、もうその色で美術を作っちゃおうと思ったわけです。ですから中の美術であるとか衣装であるとか、全部オルヴォ調のパステルカラーにしようと決めました。それは例えば、お母さんのドレスの色であるとか、彼女の水着の色、そうしたものを同じような色にしていきました。アダムとまずはそういう風に色彩設計を立てた上で、次に美術担当にこの色でセットを作ってもらって、撮影をしたのです。



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