『こわれゆく女【復元ニュープリント版】』

親盛ちかよ
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147分の上映時間に対してこの上なくシンプルなプロットで展開されるこの夫婦の物語。ストーリーの単純さが、メイベル(ジーナ・ローランズ)と土木作業員であるその夫ニック(ピーター・フォーク)の個性を生々しく息づかせ、どんな人間にも避けられない「生活」という舞台をスクリーンに展開する。ここに物語としてのナラティブは殆どなく、観客は家族間で誘発される感情を目撃することを強いられる。食べて寝て働いてを繰り返すうちに変化を強いられる感情と、変化を拒む感情を抱えて生きることのやるせなさと可笑しみを、そして、それでも人が共に生活を織りなしていく強さと優しさを、余すことなく内包する147分である。

自主制作のこの映画は、カサヴェテス自らが脚本を書き、妻のジーナ・ローランズが「こわれゆく女」を名演(ジーナは、ゴールデングローブ賞最優秀女優賞を受賞、アカデミー賞最優秀主演女優賞にノミネートされ、カサヴェテスも監督賞にノミネートされた)。犬猿の仲にある義母役は、実際に嫁姑の関係にあるカサヴェテスの母親が演じ、映画製作の為に抵当にいれたといわれるカサヴェテスの自宅を舞台に繰り広げられる。ピーター・フォークが「コロンボ」のギャラをこの作品の製作費につぎ込んだ逸話も今や広く知られている。そこは、まさしく監督・俳優陣にとっても「日常」が息づく舞台だった。

映画はニックの仕事現場から始まる。画面いっぱいに広がる採掘場のような広大な砂地のサンドベージュ。その中を赤いトラックが粉塵をあげて近づいてくる。ニックの家庭と仕事を淡々と繋ぐこの赤いトラックは、物語を通して走り続ける生活のエンジンだ。ニックは意気揚々と仕事に取り組み、仲間を統率する、男気のあるゴツゴツとした土木作業員。対してメイベルは、つま先立のバレリーナの様に繊細で壊れ易い印象である。

メイベルは、自宅で3人の子供達をニックの母親に預けるところである。玄関の扉が開くとクモの子を散らすように飛び出てくる子供達とメイベル。玄関を出て子供達を義母の運転する車に乗せるというだけのシーンだが、裸足で庭におりたち子供達を追いかけ回すメイベルの様子は慌ただしく賑やかで明るい。しかし子供達が行ってしまうと手持ち無沙汰に暗い室内を歩き回り、煙草を片手にひとところを見つめて煙を吐く。このムードの転調がメイベルの不安定さと、内に抱える空虚を映しだし、母親から妻という役割のシフトが光と影、希望と絶望という極端な性格を帯びてメイベルの心に迫っていることを感じさせる。

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2人で過ごす時間を持とうと子供達を母親に預ける算段をした夫婦のささやかな計画は、水道管事故の補修工事に駆り出されニックが帰れなくなったことにより夫婦間の緊張を誘発してしまう。自暴自棄になり夜の街に繰り出すメイベル。かたやニックは約束を守れなかった気まずさをごまかすためか、仲間を大勢連れて帰宅する。いかにも男がやりそうなことだ。良妻を演じようと努め、スパゲッティーの朝食を提案するメイベル。騒がしい男達と陽気な朝のテーブルにつく。オペラを歌いだすニックの同僚。力強い歌声に引きつけられ席を立つメイベルは、その美しい声の出所を確認するように背後からその男の口を覗き込む。客人に緊張して「普通」を保とうとしていた心が解き放たれ、メイベルの微妙に度を過ぎた行動が頭をもたげる。それまで輝いていた朝の光にさっと陰がさすように不穏な空気がながれ、ニックの罵声が飛ぶ。ニックの逆鱗にふれてしまったメイベルは、客人をもてなそうとしているのにと怒るニックをなじり、場の雰囲気は悪くなるばかりである。

仲間達がそそくさと帰った後も、長いテーブルの両端にはなれて座り言い争いを続ける2人なのだが、このシーンが素晴らしい。お前がああいった、あなたはこう言ったと夫婦喧嘩の常套句を連呼しながら、相手を模倣し大きなジェスチャーで表情豊かに罵倒しあう姿が、何年も同じような喧嘩を繰り返してきたのだろう、うんざり感に溢れていながらも、二人の互いへの愛着を雄弁に語るのである。嫌みたっぷりに相手をこき下ろす夫婦。ばかばかしいと解っていながらも、目を瞑ってやり過ごせない些末な出来事に翻弄される日常がそこにある。

「こわれゆく」、または原題にあるように、「何らかの影響下にある」とされるメイベルの心も、子供達にはぴったりと同調する。幼く率直なメイベルが心のままに接することのできる子供達は、彼女の本質を表しているともいえる。カサヴェテスはフィルムを通してエキセントリックに、しかし自由にメイベルを描くことで、その心に向かう人々の凝り固まった異常さを浮き彫りにする。

自分の女房がイカレている、という印象を人に与えたくないニック。夫婦だけの空間であれば容認できる彼女の行動を、人の視線がある場所では許すことができない。圧倒すれば何かが変わるとばかりに、瀬戸際にある心に向かい怒鳴り散らす。興奮して我を失うメイベル。姑が子供達を上の階に避難させ、身体をはって、後を追おうとするメイベルを拒み、悲しくも更に彼女を追いつめる。唯一の理解者である子供達から引き離されメイベルの心はコントロールを失ってしまう。

とうとうメイベルを強制的に精神病院におくった後のニックは、妻の不在の間に、自分の間違いを潜在的に意識する。子供達を学校から連れ出しビーチで無理矢理遊ばせようとするシーンは不器用なニックの無言の懺悔だ。赤いトラックがニックと子供達をビーチへ運ぶ。「さあ、遊べ。」ニックは子供達に言うが、子供というものは元来、人の心の機微に敏感である。それがニックの罪滅ぼしの気持ちだということを察知し、受け入れない。

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夕方の美しいビーチのトーンは、かつてメイベルが子供達の乗ったバスを待ちわびるシーンの彩りを彷彿とさせる。父親に手を引っ張られ強制的に遊ばされる子供たち。赤や黄色の服が、やるせないニックの気持ちを優しく明るく包みこむようだ。ビーチの帰り、赤いトラックの荷台に子供達と乗り込んだニックはビールを片手に寛ぎ、子供達にも飲ませてしまう。もうやけっぱち?と突っ込みたくなるところだが、同時にニックがメイベルに対して白旗をあげたようにも見える。父親が少し悪いことをして子供と共有する秘密。トラックに揺られながら、そして子供達の助けをかりながら、ニックがメイベルの心に寄り添おうとする一幕だ。

メイベルが病院から戻る日、高揚するニックは大勢の家族や友人をよんでサプライズを企画する。しかし精神病院から戻る妻を迎えるにはとうてい適切なパーティーとはいえない。家族の注意を受け、友人達に帰ってもらうニック。メイベルの帰宅は家族が静かに迎えることとなる。子供達に会いたい、メイベルが嘆願する。彼女が舞い上がってしまうことを恐れ、子供達は違う部屋に押し込められている。ようやく子供との再会を許され注意深く扉を引き子供達を抱きしめるメイベル。静かな感嘆がほとばしる。子供達を擁護する立場である自分が、余りにも子供に近い存在であることに苦悩する様子の母親と、そんな母親を完全に理解する子供達がひとつの固まりになって暖かい息をつく。

必死で自分を律するメイベル。子供達を失わないため、または子供達に自分を失わせないために、心を覆い隠し、不自然な程、静かに落ち着いて振る舞う。低いトーンでゆっくりと話す彼女に症状がよくなったと告げ喜ぶ家族。だが、脳に電気を通すような治療をしたのだと聞くうちに、メイベルが恐怖のあまり心を抑圧し正常に振る舞っているのだと理解する。たまらなくなったニックが、「いつもの様に自由に振る舞え!」と狂気じみて怒鳴りちらし、腕をつかんで無表情のメイベルを揺する。混乱するメイベルは自分の父親に向かって、私のために立ち上がってパパ、と頼むのだが、父親は文字通り椅子から立ち上がり呆然とするばかりである。

そんな中、正常なペルソナはあっさりとはげ落ち、狂ったメイベルが生き生きと動き出す。「夫婦はやることがあるから2人にして頂戴」、集まった家族を追い返すメイベル。しっしっと最後の独りまで追い払ってしまうと、特に言葉も交わすことなく、慣れた様子でソファベッドを引き出し寝る準備をする2人。さっきまでの狂気はどこへか、スクリーンには心地良さそうな2人の世界が充満しているのである。

レヴィナスの「全体性と無限」にあるように、恋人たちの連関は親密さ、二人の孤独、閉じた社会にとどまる非公共的なものの典型である。女性的なもの、それは社会に逆らう他者であり、二人の社会、親密な社会、言語なき社会の成員である。これは社会制度に置けるジェンダーとしての女性の立場をいうものだが、家庭にとどまり外へのアクセスを限られた人間が社会に断絶され、閉じられた世界で受ける影響の多大さを思わずにはいられない。

そこにのみ存在する小さな社会(家庭)の幸せの形はさまざまであることを今更のように身につまされ、苦悩を繰り返しながらもお互いを求め合う愛情の懐の深さに救われるエンディング。親密さには孤独がつきまとい、愛には執着がつきまとう。結局はこのパッケージディールをのんで生きていくしかないのだ。

NY出身の俳優で映画監督、"インディペンデント映画の父"と称されるジョン・カサヴェテスの7本目の監督作品、1975年公開の「こわれゆく女」原題 "woman under the influence" は、その時代のカラーを色濃くまといながらも、独特な映画の手法が未だ斬新に人の心を捕らえる傑作である。マーティン・スコセッシがフィルム修復作業・保存を目的に設立した非営利団体THE FILM FOUNDATIONと、イタリアを代表するラグジュアリーブランドGUCCI支援のもとに修復された【復元ニュープリント版】として今、スクリーンに蘇る。


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Comment(1)

Posted by たかこ | 2016.06.21

映画を見ました。 冒頭、メイベルが子どもを預けたのは
義母のニックの母ではなく 自分の実母です。 その時のメイベルとの会話や腹痛を起こしニックが連れてきたニックの母を見れば 違いがわかりますよ。

『こわれゆく女』
英題:A WOMAN UNDER THE INFLUENCE

5月26日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー

監督・脚本:ジョン・カサヴェテス
製作:サム・ショウ
撮影:カレブ・デスカネル、ミッチ・ブレイト、マイケル・フェリス
編集:トム・コーンウェル
美術:フェドン・パパマイケル
音楽:ボー・ハーウッド
出演:ジーナ・ローランズ、ピーター・フォーク、マシュー・カッセル、マシュー・ラボートー、キャサリン・カサヴェテス、レディ・ローランズ、クリスティナ・グリサンティ

© 1974 Faces InternationalFilms,Inc.

1975年/アメリカ/147分/カラー/ヴィスタ/35mm


ジョン・カサヴェテス レトロスペクティヴ
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