『オデット』

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終わることによって始まる、漂流する魂の21世紀的な再生
star.gifstar.gifstar.gifstar_half.gif 上原輝樹

若いカップルのキスと抱擁の時間は「ムーン・リバー」によって終わりを告げられ、その内のひとりは、よもや、トム・フォードの『シングル・マン』(09)にインスピレーションを与えたわけでもないとは思うが、派手に横転する自動車事故でその若い命を失う。そして、まさか、ジャコ・ヴァン・ドルマルの『ミスター・ノーバディ』(09)に影響を与えたわけではあるまいが、ノスタルジックな「ミスター・サンドマン」のメロディに乗って登場する、ローラースケートを履いた長身のオデット(アナ・クリスティーナ・ド・オリヴェイラ)の、赤いスポーツシャツと職場をローラースケートで移動するさまが、全くの偶然に違いないながらも、イーストウッドの『チェンジリング』(08)におけるアンジェリーナ・ジョリーを想起させると訝っていると、すかさず彼女は、店の商品である子供服に頬擦りをし始め、店を訪れた客の妊婦に話かけ、彼女の大きくなったお腹を触りはじめるではないか。オデットはどうやら子供が欲しくてしょうがないのだが、付き合っている若い男、アルベルト(カルロット・コッタ、ミゲル・ゴメスの『熱波(原題:TABU)』にも出演)にその気はないらしい。"市電"ならぬ"バス"で帰路についたオデットは、子供のことでアルベルトと揉め、アルベルトはオデットを置いて去っていく。若いカップルの時間の"終わり"、若い男の人生の"終わり"、若い男女の関係の"終わり"が、映画『オデット』(05)の始まりを告げる。

オデットの部屋に不意に吹き付ける強い風が死の到来を告げたかのように、次のショットにおけるオデットは、自動車事故で亡くなったペドロ(ジョアン・カレイラ)の遺体に寄り添っている。そこで交わされる、ペドロの恋人ルイ(ヌーノ・ギル)とオデットの粘着する視線、そして、死者との口づけ、ペドロの指から抜けなくなったリングを口に含んで濡らすことで外す、オデットの振る舞いにおける死とエロティシズムのバタイユ的現前!墓地に埋葬されるペドロの棺に抱きつき、狂ったように泣きわめくオデット、一体この二人はどのような関係にあったのか?ペドロの指から外されたリングには"さすらいの二人"と刻まれている。「ムーン・リバー」の歌詞から引用された"Two Drifters/さすらいの二人"のミステリーは、世間一般の共同体の人間関係を繋ぎ止めるくびきに、悉く"終わり"を告げることからしか始まらない"新しい"可能性を大胆不敵に探りながら、生者と死者の間を魂が巡る、凡アジア的とも言うべき精神の拡がりを見せるが、意外にも私たちを驚かせ過ぎはしない。それはちょうどアピチャッポンの映画が漂わせるような、奇妙な美しい感覚で、観る者に安らぎすら与えてくれる。

本作『オデット』は、カンヌ国際映画祭インディペンデント映画部門で特別賞を受賞した2005年の作品だが、アントニオ・レイス(『トラス・オス・モンテス』76)の元で映画を学び、カンヌやヴェネチアといった国際映画祭で高い評価を受けるポルトガルの俊英、ジョアン・ペドロ・ロドリゲスの全貌が、今、日本でも明らかになろうとしている。是非とも、この特集上映に駆けつけて、新しさと同時に、奇妙な懐かしさを予感させてくれる、謎めいた作品群に向き合ってみたいと思う。


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『オデット』
原題:Odete

3月23日(土)〜31日(日)アテネ・フランセ文化センター、川崎市市民ミュージアムにて上映

監督:ジョアン・ペドロ・ロドリゲス
撮影:ルイ・ポサス
出演:アナ・クリスティーナ・ド・オリヴェイラ、ヌーノ・ギル、ジョアン・カレイラ

2005年/カラー/98分/デジタル上映/日本語字幕

ジョアン・ペドロ・ロドリゲス レトロスペクティヴ
公式サイト
http://dotdashfilm.com/?page_id=32



ジョアン・ペドロ・ロドリゲス レトロスペクティヴ
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