『汚れた手をした無実の人々』

鍛冶紀子
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ああ、シャブロル!なんておもしろいの!そう叫ばずにはいられない一本。まるでジェットコースターのようなめくるめく展開。ひとつの殺人事件がこれでもかと畳み掛けるように展開し、登場人物たちが抱える秘密と、彼らの新たな一面が次々と暴かれて行く。

映画は、ロミー・シュナイダーのほれぼれするような裸体に、小説家の青年が飛ばしたカイトが不時着するシーンから始まる。背中にはりついたカイトはまるで翼のようだ。彼女には年の離れた夫がいる。夫のルイは優しいが酒に溺れている。夫婦の間に夜の営みはなく、寝室も別。不満を募らせていたジュリーは、青年との恋にのめり込む。ある日青年は甘やかにささやく、夫を殺して二人でどこかへいこうと。そして妻はベッドに横たわる夫の頭を殴りつける──。

妻、夫、愛人だった登場人物のうち、夫と愛人は姿を消し、代わりに二人の刑事が登場。それまで武器となっていたジュリーの美貌は、刑事たちによって「尻軽そうだ」という印象に堕し、ジュリーは夫殺しの容疑者として追い込まれて行く。この刑事二人の存在が多分にコメディ要素を含んでいて、映画のトーンを絶妙に崩している。特に、ジャン・ロシュフォール演じる地元刑事の無能ぶりが時に笑いを、時に苛立を誘う。刑事二人の他に、ちらほらと出てくる警察官たちもこぞって無能。終盤、危機的状況に陥ったジュリーを窓越しに見つめる警官たちは、まるで亡霊のようだ。

気づけばジュリーの元から夫も愛人も財産も消えていた。次々と明かされる事実に困惑しながらも、事情聴取を受けることになったジュリーはしたたかに嘘をつく。全てを失ったジュリーに残るのは女としての美貌であり、彼女が頼れるのもまた自分の美貌でしかない。開き直ったように、男たちに冷たくも妖艶なまなざしを向けるロミー・シュナイダーの美しいこと!そこに現れたのは口が達者な敏腕弁護士。彼はジュリーに口を開く間を与えることなく判事をやりこめ、彼女を釈放させる。

自宅に帰ったジュリーを待っていたのは思いがけない人物だった。それまでジュリーと愛人が握っていたと思われたイニシアティブが、全て架空のものだったことが明らかになる。しかも、愛人と妻の不倫現場を階上から一部始終見ていた夫は嫉妬に狂い、その嫉妬によって不能が治ったというのだから思わず笑ってしまう。シャブロルの映画には性的に倒錯した人物が多々登場するが、この夫も例外ではない。これまでの屈辱を晴らすかのように、妻に娼婦になることを求める夫。怒りに震えながら屈する妻。次のシーンでは月夜に照らされたロミー・シュナイダーのシルエットが映るのだが、その背中には黒鳥のごとき翼が!そしてジュリーは吠えるように泣き叫ぶ。

オープニングのカイトを背負ったシーンとこのシルエットのシーンが結びつき、思わず「白鳥の湖」を連想してしまった。白と黒、善と悪の交錯。男性によって翻弄される運命(ロッドバルトによって白鳥に変えられ、ジークフリードが永遠の愛を誓うか否かで人間に戻れるかどうかが決まる。実はオディール自身では何も選択できない)。本作は一見「ジュリーに翻弄される男たち」という図式のように見えるが、事の全ては男性たちが決断を下し、行動し、その結果として起きた出来事の渦中にジュリーはただ居るにすぎない。男たちは一様に一方的で、ジュリーは事の真相を知らされず、よって選択の余地は与えられない。夫はジュリーを抱かない理由を偽り、不能が完治したかと思えば一方的に性的関係を強要する。愛人は事件の経過を報告せず、表れたかと思えばジュリーの言葉に耳を貸そうともせず逃亡を強要する。弁護士はあなたは黙っていればいいとジュリーの意見などおかまいなしにしゃべり続ける。夫の友人は言い寄ったかと思えば一方的に罵り始める。そういえば、同日に観た「気のいい女たち」でも、先に公開された「引き裂かれる女」でも、男たちは一様に一方的だった。とはいえ、女たちもそれに負けじとしたたかなのだが。

ジュリーに生えた翼は自由へのメタファーのようにも見える。愛人によって与えられた自由への希望は夫によってへし折られる。しかしそこはシャブロル。自由への希望は性の喜びに凌駕され、なんと性の喜びは憎しみを愛情に昇華してしまうのだ。この突然の転換!

終盤、殺人事件の全容は次々と上書きされ、果たして誰が善で誰が悪なのか、何が真実で何が偽りなのか?終いには事の始まりすらも覆され、そもそも何のための殺害計画であったのかさえわからなくなる。つまるところ、夫が素直に不能であることを妻に告げていればこんなことにはならなかっただろうに......という一言に尽きるのだが、現実とは案外こういうものだ。原因と結果の間には多数の偶然が幾重にも重なり、それらによって思ってもみなかったところに結果が生じる。そう、現実とはそういうものではないか。しかし現実では因果の間の出来事は滔々と流れてしまい、ひとつひとつの事象として見ることができない。シャブロルはそこを粒状に見せていってくれる。だからこそバカバカしさにも気づけるし、突然の転換にハッとすることもできるのだ。とにかくおもしろくて、120分間スクリーンに釘付け。イブ・サンローランが手がけたという衣装も目に楽しい。


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『汚れた手をした無実の人々』
原題:Les Innocents aux Mains Sales
 
監督:クロード・シャブロル
原作:リチャード・ニーリィ『呪われた無実の人々』
出演:ロミー・シュナイダー、ロッド・スタイガー、ジャン・ロシュフォール

フランス、イタリア、ドイツ/1974年/100分



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