OUTSIDE IN TOKYO
TALK SHOW

モーリス・ピアラ『ヴァン・ゴッホ』公開記念
アントワーヌ・ドゥ・ベック×廣瀬純トークショー

5. ピアラとトリュフォー、そして“第三の男”ジャン=リュック・ゴダール

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廣瀬:アントワーヌさんに聞いてみたいと思っていたことが実はもうひとつあります。ピアラとフランソワ・トリュフォーの関係についてです。ピアラにおける死の徹底的な凡庸化は、たとえばトリュフォーの『緑色の部屋』(78)における死のあからさまな崇高化に対してその対極をなしてるようにも思える。ピアラ作品に『開いた口』(74)と題されたものがありますが、これはフランス語ではLa Gueule ouverteというもので『緑色の部屋』すなわちLa Chambre verteと韻を踏んでおり、どちらも70年代に撮られているというだけでなく、どちらにおいてもネストール・アルメンドロスが撮影監督を務め、ナタリー・バイが出演している。そして何よりどちらも死を中心的な主題とした作品です。ピアラ作品では“死”は徹底的に凡庸化され、タイトルにある通りポカンと「開いた口」の純然たる物質性にまで還元されてしまう。これとは正反対に『緑色の部屋』では“死”は「緑色の部屋」でありがたや〜といった次元にまで崇高化される対象としてあるわけです。両者のあいだのこのあからさまな対立は、しかし実のところ、どちらも子どもを主人公にした、ピアラの長篇第一作『裸の幼年時代』(69)とトリュフォーの長編第一作『大人は判ってくれない』(59)とのあいだにもすでに見られるように思える。ピアラは『大人は判ってくれない』についてどこかで悪口のようなことを言っていたはずですが(古典的な物語の構造を超え出ていないといった批判)、しかし複雑なことに『裸の幼年時代』はトリュフォーがプロデューサーを務めた作品でもある……。
アントワーヌ・ドゥ・ベック:確かにこの二人の映画監督の間の対立というのはちょっと派閥争いみたいなところがありますよね、そこにはライバル意識というものもあれば、憎しみみたいなものもあるかもしれませんが、そういう映画監督二人の対立という以上に映画に対する映画観、考え方の違いの対立があるということも言えると思います。普通はゴダールとトリュフォーの対立という方が我々の耳に届いてくる、兄貴みたいな存在でありながら喧嘩別れをしてしまう、そういう風な対立関係を我々は思い出しがちなんですけれども、実のところもっとそれよりも本当の意味での対立関係というのがトリュフォーとピアラの間にあったんじゃないかなという風に私は思います。それは非常に強いものだった、しかもそれはピアラにとってもトリュフォーにとっても、ライバル関係というものが両者の間で受け止め方は違うんですけれど、非常に苦しい体験として受け止められていた対立関係です。トリュフォーに関しては罪悪感というものがあったと思います、なぜならピアラが失敗すること全てにおいて、トリュフォーは成功していた、そのことに対する罪悪感です。だからこそ、ピアラの最初の長篇映画を、彼が『大人は判ってくれない』と同じテーマを扱っているライバル的な作品であることを知りながらもプロデュースしたのではないでしょうか。そしてピアラが自分とは違う撮り方をするというのを分かっていてプロデュースをした、そこにはそういう二人のライバル関係や罪悪感を超えた寛容性っていうものがトリュフォーの中に感じられます。そしてそれをどういう風にピアラが体験したかというと、正にライバル的であるトリュフォーにお金を出してもらって自分のキャリアがスタートしたわけです。その最初の作品でフランス映画の監督として知名度というものを彼が得ることが出来た、正にトリュフォーという自分にとって敵である人間から庇護を受けて自分のキャリアがスタートしたということに対して、最高の屈辱を彼は感じるわけです。だからこそ彼はトリュフォーに対してコンプレックスというものを単に暴力的という以上に過激に増していくわけです。ゴダールという名前が先ほど出しましたけれど、これが“第三の男”なわけですよね、ヴァン・ゴッホの映画を皆さまが今ご覧になったように、ジャン=リュック・ゴダールが『ヴァン・ゴッホ』を観た後にピアラに手紙を出しています。ピアラがヌーヴェルヴァーグの映画監督の中で恐らく唯一尊敬をしていたのがゴダールであった、そういう風なお互いの関係性があった上でゴダールはこの映画を観た後、こういう風な手紙を書いています。(注:実際のJLGの手紙の内容の順序を変えて、ドゥベック氏が抜粋・編集しなおしたもの)
親愛なるモーリスへ
(前略)この映画全体が驚異的だ。奇跡の中にディテールがあり、閃きがある。私たちがそこで目にするのは、偉大なる空が沈み、あるいはこの貧しくシンプルな大地から立ち上がっていく姿だ。(中略)

そしてきわめて稀で感動的なことには、この作品があらゆるところから私達の中に入ってくるということだ。絵画がいかに素晴らしいものであっても、絵画のようにではなく、まるで生きている感覚(エフェ・ドゥ・ヴィ)のような形で私達の中に入ってくるのだ。そしてその記憶は私達の目の前にだけでなく、私達の周りに、そして内側にあるのだ。(中略)

あなたが他の人達より遅れてやってきたのは本当に幸いなことだ。なぜなら、あなたは誰よりも早く、美、静謐、官能の領域に入り込める人だからだ。

この非常に力強くたぐい稀で、身震いがするほどの見事な作品を成しえたあなたとあなたの仲間に感謝をこめて。
ジャン=リュック・ゴダール


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