OUTSIDE IN TOKYO
TALK SHOW

モーリス・ピアラ『ヴァン・ゴッホ』公開記念
アントワーヌ・ドゥ・ベック×廣瀬純トークショー

3. 有名になってしまった人々に、もう一度、無名性あるいは匿名性を返すということ

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廣瀬:裏返されたキャンバスを背負って自然のなかを兵士のようにひとり歩いて行くヴァン・ゴッホというものを、アントワーヌさんはいま、この作品の日本公開用ポスターやチラシに使われている写真映像を見事に分析しつつ話してくれたわけですが、ぼくもこの同じ映像から出発したいと思います。こうして背中から撮られているヴァン・ゴッホはそれでもなお“ヴァン・ゴッホ”なのか、誰でもいい人、誰でもない人になってはいないか。ここでのヴァン・ゴッホは具体的で特異的な芸術家ではなく、抽象化され大衆化された労働者なのではないか。美術史にその固有名を刻んだ画家ではなく、他の誰とでも交換可能であるような名のない普通人ではないか(登場人物を背中から捉えることでその人称的特異性を奪うという手法は日本の映画作家、山中貞雄が戦前に先駆的に試みていたものです)。ピアラの映画にはこのように人々からその名を奪うような側面、固有名を普通名にかえてしまうような側面、登場人物をその人称性から解放するような側面、さらにはまた、特異的で特権的な瞬間を凡庸で普通なものにかえてしまうような側面があるように思えます。たとえば、『ヴァン・ゴッホ』では主人公その人の死、ヴァン・ゴッホの死という本来であれば何にも代え難い特権的瞬間として扱われるべき出来事が、その後に続くシーケンスによってほとんど「どうでもいい」ようなものとされてしまう。ヴァン・ゴッホが死ぬのに続いて直ちに、おばちゃんが足挟んで大騒ぎするシーンが展開されることになるわけです。これによって、ヴァン・ゴッホの死という出来事は日常的凡庸さのなかにそっくりそのまま書き込まれてしまう。同じような意味で興味深いのはラストショット、「彼は私の恋人だった」と明言するマルグリットを真正面から固定キャメラで捉えたバストショットです。彼女はそれをこの上なく得意げに言う。最近の日本語で言うとまさに“ドヤ顔”です。その誇らしげな態度はいったいどこからくるのか。ヴァン・ゴッホが既に世界中で有名になっていて私はその彼女だったのよということでは微塵もない。そうではなく、誰とでも交換可能な無名のひとりの男としてのヴァン・ゴッホ、現代思想風に記述すれば「ヴァン・ゴッホ」の恋人だったということに彼女の誇りは存しているのです。固有名をもたない普通の女の子が同様に固有名をもたない普通の男の恋人だったということ、そこに彼女の誇りがある。ジル・ドゥルーズがどこかで書いていた一節、「固有名は苛烈な非人称化プロセスの果てに産み出される」という一節を思い出させもするショットです。マルグリットもそうだし、お医者さんのガシェも、弟のテオもそうだけど、今日ではみんなとても有名になってる。美術史上もっとも有名な画家のひとりヴァン・ゴッホの取り巻きだったから、高額で取引される彼の絵の題材になった人々だからです。『ヴァン・ゴッホ』の賭け金は「あのおじさん知ってる」「あのお姉さんも絵でみたことがある」といった有名人たちに、すなわち、有名になってしまった人々に、もう一度、無名性あるいは匿名性を返すということにあるのです。美術史の“Who’s who”のようなみものに登録されてしまった人々をもう一度“脱登録”させる、そのことによって逆に“固有名を超える固有名”(人称性を超える特異性)のようなものを彼らに返却してみせる、ピアラ作品にはそんな側面があるように思えます。
アントワーヌ・ドゥ・ベック:廣瀬さんのおっしゃったことは、とても新しいと思います。そこからまたちょっと私自身も発展させていきたいと思うんですけど、ピアラが凄く力強いな、非常に挑発的だなっていう部分は、ヴァン・ゴッホが死ぬわけですよね、その時にラヴーの宿の夫人が彼の遺体を、普通のなんでもない匿名の人の遺体のように部屋の隅にやる、それはまるで美術史を本当に隅にやるというような、おっしゃったような紳士録から脱登録させるような、そういう風な意味合いがあると思います。そしてもっと凄いことには、このラヴー夫人というのがあの場面で、本当であれば、あの一日で最大のイベントというのはヴァン・ゴッホの死だったはずなわけですけれども、正にラヴー夫人が罠に引っかかって足を引っ掛けてしまう、そのことが一日の一番大切な出来事のような形にしてしまう、そこからまた人間の生きているバイタリティとかエネルギーというものが映画に再び加味される、それは非常に力強い演出であると思います。あそこでピアラがクローズアップしたのは正にヴァン・ゴッホの死ではなくて、普通の庶民の女性が罠にかかって足を引っ掛けたという出来事であり、そこからまた新たに人間のエネルギーというものが再出発する、それが非常に美しいという風に私自身は思っています。そして最後のマルグリット・ガシェの「私の恋人だった/C'était mon ami」という言葉に関しては、これはピアラ自身が考えていたであろう一つの作品があります、それは同じ台詞で、同じ意味合いで、同じイメージだったと思います。それは黒澤明監督の『デルス・ウザーラ』(75)の最後のシーンですけれども、狩猟者が殆ど死ぬわけですけれども、この狩猟者を誰も知らない、その彼のことを唯一知っているアルセーニエフというキャプテンが彼の遺体を見て、共同墓地に彼の遺体が埋められる時に、「彼は私の友人だった」という一言を残しています。それはまさにマルグリット・ガシェがヴァン・ゴッホとの出会いを偉大な画家との出会いだという風に感じているのではなくて、ひとりの人間としての出会いだったと感じていることに通じる、同じ意味合いを持っていると思います。ただピアラは、黒澤の映画の終わり方よりもっと押し進めるわけですね、なぜならマルグリットが一言、「私の恋人でした」っていうそのカットで映画が終わる、その終わり方というのが非常に唐突なのです、非常に謎めいた、非常に力強い終わり方になってるわけです。もしアカデミックなヴァン・ゴッホの伝記映画であればミネリがしたように最後にはヴァン・ゴッホの作品をスクリーン上に流すような演出も出来たわけですけれどもそれはしない。あるいは、タルコフスキーの『アンドレイ・ルブリョフ』(71)では、非常に素晴らしい作品アイコンを急にそこでカラーで流している、タルコフスキーでさえ流しているけれどもピアラはそれをしない、なぜならそこで彼が提示したかったのはヴァン・ゴッホ=偉大な彼ではなくて、一人の男を、一人の人間というものを提示したかったというピアラの意思があります。そして恐らく観客が期待している、ゴッホの作品が流れるであろうという期待を裏切って非常に暴力的というか過激な終わり方をさせているというところがあると思います。
廣瀬:アントワーヌさんが黒澤を引いて説明してくれたそのことから逆説的にも、やはりピアラは黒澤明よりもずっと小津安二郎に近いと言えるでしょう。小津とまるきり同じようにピアラもまた、“死”といった通常であれば特異的に扱われて当然の出来事をいっきに日常の凡庸さの中に書き込んでみせるわけです。


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