2014年第19回釜山国際映画祭レポート<後編>

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3. 注目のニューカレンツ部門、審査委員に、アスガー・ファルハディ、ボン・ジュノ、ジャック・ランシエールら

『Nezha』 『We Will be OK』

個人的に注目したのは、アジアの新しい才能の発掘を掲げるコンペティション「New Currents」部門の上映だ。コンペティションの審査員長を、イランの名匠アスガー・ファルハディが務め、審査員として、ボン・ジュノ監督(韓国)、東欧/バルカン映画のエキスパートDina Iordanova教授(イギリス)、女優、ライター/ディレクターとして活躍するSuhasini Maniratnam(インド)、哲学者ジャック・ランシエール(フランス)が名を連ねている。筆者が短い滞在期間中に見ることが出来たのは、『(Sex)Appeal』(台湾)、『Nezha』(中国)、『We Will Be OK』(韓国)、『Ghadi』(レバノン/カタール)、『Mariqina』(フィリピン)の5作品のみだが、いずれの作品もそれなりの水準に達していた。Baek Jaeho監督の『We Will Be OK』は、釜山映画祭デヴューを望む映画作家の卵たちの日常を"映画内映画"のナラティブをかませて描いた野心作、監督がiPhoneで映画を撮影することになったら、途端に女優がやる気をなくすといったエピソードにも、俳優出身監督らしいリアリティが豊かに息づいている、使われている音楽も"今"を感じさせてくれて新鮮だった。中国映画『Nezha』は、反抗心の強い二人の少女の出会いから、やがて別の道を歩むまでを叙事詩的に瑞々しい筆致で描くが、画作りのスケール感が素晴らしい。ナラティブにおける大胆な省略、"映画"ならではの表現の地平を拡げようとする意気込みを感じる作品。監督のLi Xiaofengという名前を記憶の片隅に留めておきたい。

『End of Winter』 『13』

なお、ニューカレンツ賞を受賞したのは、Kim Daehwanの『End of Winter』(韓国)とHooman Seyediの『13』(イラン)の例年通りの2作品。『End of Winter』に1票、『13』に4票が投じられたが、どの審査員がどの作品に票を投じたかは明らかにされていない。審査員長のアスガー・ファルハディは、『End of Winter』に関して、「家族の人間関係を巧みに探求した、そのスタイルの一貫性、エレガントに演出された映画的空間、素晴らしいアンサンブルキャストが評価され」、『13』に関しては、「革新的なキャメラワーク、長編処女作品としてはハイレベルな技術的達成とダイナミズムが評価された」と語っている(http://www.screendaily.com/territories/asia-pacific/busan-wraps-record-year/5078550.article?blocktitle=Latest-Asia-Pacific-news&contentID=406)。

ここで少し脱線するけれども触れておきたいことがある。私が映画祭のメイン会場シネマセンターに到着すると、折しもそこでは、セウォル号事件を描いたドキュメンタリー映画『ダイビング・ベル(The Truth Shall Not Sink With Sewol)』の映画際での上映中止に対する抗議活動が行われていた。それは、セウォル号転覆の一般人犠牲者遺族対策委員会が遺族の心情を傷つけるものとして、釜山市長に上映中止を求め、市長が映画祭のチェアマン(Seo Byung-soo)に上映中止を要求、チェアマンがこれを受け入れたことに対して行われた抗議活動だった。その場で配布された抗議声明(「徹底的な真相究明が保障されたセウォル号特別法を促す映画人1123人宣言」)には、韓国の有名無名映画人1123名が名を連ねており、俳優のソン・ガンホ、キム・ヘス、パク・ヘイル、映画祭オープニングで渡辺謙と共に司会を務めたムン・ソリら、監督では、カン・テギュ、キム・ギドク、リュ・スンワン、パク・チャヌク、イム・スンレといった名前を読み取ることが出来る。結局、こうした抗議活動が功を奏したのか、『ダイビング・ベル』は映画祭で上映され、韓国での一般公開も決定した。

この一件に関連して興味深かったのが、ニューカレンツ審査員を務めたアスガー・ファルハディとポン・ジュノの発言である。開会式を発熱のために欠席したポン・ジュノは、翌日の記者会見で『ダイビング・ベル』の上映を中止するとした映画祭チェアマンの対応を批判し、この映画を見れば、市長も意見を変えるに違いないと発言、『ダイビング・ベル』の映画祭での上映を強く支援した。一方、他の審査員や映画祭ディレクター(Lee Yong-kwan)がこの件についてコメントを控える中、審査員長のアスガー・ファルファディは、「人は映画から、外国の文化や社会について多くのことを学ぶことができる。しかし、ひとつの映画が示しているのは、ある特定の視点に過ぎないのだから、人は、その社会について学びたいと思うならば、映画を通じてのみならず、その他の様々な手段を通じて学ばなければならない。ひとつの映画を通じて、安易にその社会を知ったつもりになるのは危険なことだ。」と語っている(VARIETY daily、October 4.2014)。

ポン・ジュノは、前出のVARIETY dailyのインタヴューで、以前は社会問題に関して意見を言うことは控えていたが、最近ではそうした躊躇を克服して、積極的に社会問題に関わって行くようになったと語っている。その顕著な例のひとつが、永久機関によって走り続ける、社会階層が車両ごとに分かれた列車の中で起ころうとしている"革命"を描いた『スノーピアサー』(13)であることは明白だ。一方、アスガー・ファルハディは、映画作家を始めとして、表現者や知識人への弾圧が公然と行われたアフマディネジャド政権下でも、イラン国内で映画を撮り続けた強者である。アフマディネジャド政権下の2010年に、海外でも高く評価され、国内でも大ヒットを遂げたアスガー・ファルハディの『彼女が消えた浜辺』は、社会の構成員として伝統的な共同体をつつがなく継続するためにつき続ける慢性的な"嘘"と"隠蔽"をアンチ・クライマックスな群像劇の中で描いた傑作だったが、その作品を顕した監督の発言だけに、「ひとつの映画を通じて、安易にその社会を知ったつもりになるのは危険なことだ。」という言葉は重く響く。私たちが、外国人として、他の国の映画を見る場合、とりわけ、映画祭のような機会では、その国がどこにあるのかという知識すら乏しい国々の映画を見ることもあるが、そんな時、私たちが見ているのはあくまで"映画"なのであって、その国の社会や文化、そのものを見ているわけではない。アスガー・ファルハディの言葉は、ありとあらゆる機会を通じて、それ以外のものに絡めとられそうになる"映画"を、"映画の島"(カラックス)に繋ぎ止めるための視点を改めて示してくれる貴重なものに思えた。
4. 圧倒的な充実感「World Cinema」部門

『Clouds of Sils Maria』 『Leviathan』

個人的には、このために釜山に来たと行っても過言ではない「World Cinema」部門の充実は目を見張るばかりだ。アサイヤス『Clouds of Sils Maria』、『悲しみのミルク』(09)クラウディア・リョサの『Aloft』、ゴダールら13人の映画作家による短編集『Bridges of Sarajevo』、旧作2作品が日本でも公開されるアンドレイ・ズビャギンツェフ監督の『Leviathan』、アラン・レネの遺作『愛して飲んで歌って』、東京フィルメックスでの特集上映が決まったクローネンバーグの『マップ・トゥ・ザ・スターズ』、クリストフ・オノレ『Metamorphoses』、アーシア・アルジェント『わかってもらえない/Misunderstood』、グザヴィエ・ドラン『Mommy』、アベル・フェラーラ『Pasolini』、ジョン・ブアマン『Queen and Country』、ローラン・カンテ『Return to Ithaca』、ベルトラン・ボネロ『Saint Laurent』、ダルデンヌ兄弟『Two Days, One Night』、ヴェネチア金獅子賞受賞作ロイ・アンダーソン『実存を省みる枝の上の鳩』、カンヌパルムドール受賞作『ウインター・スリープ』等々、カンヌ、ヴェネチア、ベルリンの映画祭サーキットで話題になった作品が一通り顔を揃えていると言っても過言ではない。

『Manglehorn』 『The Wonders』

個人的に見たい作品が目白押しの「World Cinema」で今回見ることが出来たのは、(久々に素晴らしい!)アル・パチーノがハーモニー・コリンと共演する、デヴィッド・ゴードン・グリーン監督『Manglehorn』、人里離れた自然に囲まれた地で蜂蜜作りを営む一家の過酷で野性的な暮らしを描く叙事詩的映画、姉アルバも出演しているアリス・ロケヴァケル監督の瑞々しい長編処女作『The Wonders』、そのアルバ・ロケヴァケル主演、ラブコメからスリラーまでジャンル映画を横断する怪作『ハングリー・ハーツ』、ゴダールの、文字通り目眩を誘う3D映画『さらば、愛の言葉よ/Goodbye to Language』、そして、ミア・ハンセン=ラブのフレンチ・エレクトロ・サーガ『Eden』。1989〜2013年まで、ニューヨークのパラダイス・ガラージュに端を発した、パリのハウス/ガラージュ ミュージックシーンをクロニクルに描く音楽映画『Eden』は、ミア・ハンセン=ラブらしい、人生の年輪をヴィヴィッドに、メランコリックに、時に苦々しくもリアルに刻印した、二部構成のヒューマンドラマだが、ヴァンサン・マケーニュ、(痩せすぎていてクレジットを見るまで気づかなかった、、、)ローラ・スメット、グレタ・ガーウィグといった旬の顔ぶれの出演やブレイク前の"ダフト・パンク"の二人組のユーモア溢れる描写も相俟って、"祭り"を打ち上げるには最高の一作だった。『Eden』を見た翌日早朝、私は、iPhoneに入っていたラリー・レヴァンの「live at the Paradise Garage」を聞きながら、濃密に映画と向き合った数日間の興奮が覚めやらぬまま、まだ夜明け前の釜山の街を後にした。

『さらば、愛の言葉よ』 『Eden』
解放的な雰囲気の中、オープンスペースで行われるトークショー
上写真左は、『Leviathan』のアンドレイ・ズビャギンツェフ監督、右は『The Gate』のレジス・ヴァルニエ監督。『The Gate』は、カンボジアにおいて、フランス革命を理想としながら、悲劇に終わったクメール・ルージュの革命を、強制収容キャンプに捉えられた実在のフランス人民族学者の自伝をベースに描いた作品、シネマセンターの巨大オープンスクリーンで上映された。トークショーには、キム・ギドクやベルトラン・ボネロも登壇した。






第19回釜山国際映画祭
2014年10月2日〜11日
公式サイト(英語ページ):http://www.biff.kr/structure/eng/default.asp
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