(上原輝樹) |
2014.5.8 update |
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上映プログラム |
『去年マリエンバートで』(L'Année dernière à Marienbad) 1960年/93分/35mm/モノクロ/日本語字幕付 出演:デルフィーヌ・セイリグ、ジョルジョ・アルベルタッツィ、サッシャ・ピトエフ 原作:アラン・ロブ=グリエ 記憶と幻想が錯綜する、不可思議な寓話。時間軸、構図、人物像まで、あらゆる映画の形式と決別したアラン・レネ監督の傑作。豪華城館に紛れ込んだ男が、女と再会する。「去年マリエンバードで二人は出会った」と男は告げるが、女は覚えていない。しかし男の話を聞いているうちに、女の記憶は曖昧になり、現実と虚構の境界が消えてゆく......。 「登場人物は現在に属する、だが感情は過去の中に沈み込む。感情が登場人物になる、太陽がないのに公園に描かれた影のように(『去年マリエンバートで』)」。 (ジル・ドゥルーズ、『シネマ2*時間イメージ』宇野邦一ほか訳、法政大学出版局) |
『薔薇のスタビスキー』(Stavisky...) 1974年/115分/35mm/カラー/英語字幕付 出演:ジャン=ポール・ベルモンド、シャルル・ボワイエ、アニー・デュプレー、フランソワ・ペリエ、ミシェル・ロンズデール、クロード・リッシュ トロツキーがフランス領土に亡命する。そのときスタビスキーはパリにある自分の劇場でオペレッタを上演し、ムッソリーニの口座ために武器密売の仲介をし、優雅な生活を送っていた。1930年代のフランスで暗躍した希代の詐欺師スタビスキーの半生を描く。「私にとって、これは詐欺についての夢想のようなもので、詐欺とはつまり死を忘れるための競争のようなものだと考えた」(アラン・レネ)。 |
『ガーシュイン』(Gershwin) 1992年/52分/ベータカム/カラー/無字幕 出演:ベティ・カムデン、アドルフ・グリーン、エドワード・ジャブロンスキ、ジョン・カンダー、マーティン・スコセッシ、ベルトラン・タヴェルニエ ポピュラー音楽・クラシック音楽の両面で活躍し、「アメリカ音楽」を作り上げた作曲家として知られるジョージ・ガーシュインについて、様々な証言とともに音楽についても造詣が深いアラン・レネが撮ったドキュメンタリー。デッサンと当時の写真、そしてレネ作品のお馴染みの俳優たちのナレーションで、ポピュラー音楽・クラシック音楽の両面で活躍しアメリカ音楽を作り上げた「完璧な音楽家」ジョージ・ガーシュインの生涯、その時代が見事に語られている。 |
『恋するシャンソン』(On connaît la chanson) 1997年/120分/35mm/カラー/英語字幕付 出演:サビーヌ・アゼマ、ピエール・アルディティ、アンドレ・デュソリエ、ジェーン・バーキン パリの空の下、家探しをきっかけに知り合った7人の男女が繰り広げる勘違いを、エディット・ピアフからジェーン・バーキンまで往年のシャンソンやフレンチ・ポップスにのせて、7人の男女が華やかに繰り広げるラブ・ストーリー。98年ベルリン映画祭生涯芸術貢献賞受賞。「『恋するシャンソン』には、特に都市との繋がりが見えます。身体の延長として、あるいはその隠喩としての都市が見えます。人間、そして建築物の外見についての可能な限りのヴァリエーションとともに」(パスカル・フェラン) |
『風にそよぐ草』(Les Herbes folles) 2008年/104分/35ミリ/カラー/日本語字幕付 出演:サビーヌ・アゼマ、アンドレ・デュソリエ、アンヌ・コンシニ、エマニュエル・ドゥボス、マチュー・アマルリック 人を愛する情熱は、アスファルトの隙間から生える名もなき草のように、強く、しなやかに、決して枯れて絶えることはない...。出会いは偶然だった。歯医者のマルグリットはある日、街でひったくりに遭いバッグを持ち去られる。その財布を拾ったのが、初老の紳士ジョルジュだった...。「アラン・レネはこれまでにないほど親しみやすい、感情の変わりやすさ、気まぐれについて魅力的な物語を作り上げた。人間の行動に対する観察の中で、アラン・レネは科学者、また昆虫学者が対象のメカニスムを細かく分析するような眼差しを一度たりとも失ったことはない。しかし年月と共に、深い愛情や感情といった何かに、大きく感情移入できるようなものへと発展していった」。ジャン・マルク・ラランヌ 「レ・ザンロキュッティーブル」 |
『あなたはまだ何も見ていない』(Vous n'avez encore rien vu) 2012年/115分/35mm/カラー/日本語同時通訳・英語字幕付 出演:マチュー・アマルリック、ピエール・アルディッティ、サビーヌ・アゼマ、アンヌ・コンシニ、ミシェル・ピコリ 著名な劇作家であるアントワーヌ・ダンタックの死後、遺言によって、彼の戯曲『ユリディス』を演じた俳優たちが、南仏の邸宅に集められる。彼らはコロンブ座という若い俳優たちの劇団がこの芝居を演じている映画を見せられる。愛、生、死、死後の愛、芝居の舞台の上でそれらはまだ意味をなしているのだろうか? スクリーンで若者たちが演じているのを見ていた俳優たちもいつの間にか台詞を呟き始め、『ユリディス』の舞台を演じ始める...。 「登場人物たちはつねに死の欲望に動かされている、それこそがレネの映画の素晴らしく、感動させるところである。自己同一化の過程において、観客に見えてくるのは何かしらの亡霊である。たとえば、生きることがなかった、あるいは漠然と生きた亡霊の人生だったり、存在しなかった、あるいは消え去ってしまったことさえ分からないような亡霊との関係だったり。」ジャン=セバスチャン・ショヴァン |
『慎み深い革命家、アラン・レネの方法論』 (Une approche d'Alain Resnais, révolutionnaire discret de Michel Le Clerc) 1980年/59分/ベータカム/モノクロ&カラー/無字幕 監督:ミシェル・ル・クレーク 『アメリカの伯父さん』までのアラン・レネの道程を、彼の脚本家たちや、40年代、50年代の知人たちの証言をもとに紹介している。当時のレネがロケハンや撮影風景を生き生きと動き回っている姿を見ることができる。 |
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