OUTSIDE IN TOKYO
Werner Herzog INTERVIEW

ヴェルナー・ヘルツォーク『世界最古の洞窟壁画 3D 忘れられた夢の記憶』インタヴュー

2. 山の中の生活はほとんど神話的な世界です。自分たちで世界を発明していたのです

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OIT:映画自体は好きですか?
WH:好きです。でもおかしなことに、あまり映画は見ません。本当に少ないと思います。

OIT:例えば、去年見た2本はどんな映画だったのでしょう?
WH:うーん…。去年は2本を越えてます(笑)。映画祭に(審査員として)行ったので5本ほど見たでしょうか(笑)。だから去年は大きな例外です。それでは、こう言いましょう。私は常々、悪い映画から学ぶのです。やってはいけないことを学びます(笑)。偉大な映画を見る時、それは私の理解を超えるものです。それは私にとって奇跡なのです。黒澤の『羅生門』を見て、それは今でも私にとって大きなミステリーです。とてつもなく素晴らしい映画であるために、私にとっては謎めいたままなのです。

OIT:現在、観る必要がある以上に数多くの映画が出ている気もしますね。
WH:昔からそうで、ずっとそうだったと思います(笑)。でもその中にいいものがいくつかあるわけですから、私たちがうまい選択を学ばなければいけないのでしょう(笑)。

OIT:あなたの(主宰する)映画学校、ローグ・フィルムスクールでも話すことなのかもしれませんが、人の映画的な素養を育てるには何が必要なのでしょう。
WH:それにはごく一般的な答えしか見つかりません。まず、人はヴィジョンを持たなければいけない。自分のヴィジョンを発展させなければいけない。でなければ、本当の映画作家になることはできないでしょう。地平線の向こうにはっきりとものが見えたなら、それを求めて突き進んでいくしかないでしょう。自分の夢を体現することを恐れてはいけません。とにかく、自分のヴィジョンを生きることです。

OIT:11歳で始まった映画の世界への扉を開いた映画があったのでしょうか。
WH:そうですね。12歳から14歳の頃、私はアメリカのB級映画を見ていました。『天才悪魔フー・マンチュー』(80)のようなBムービーを(笑)。友達と見に行って、あるシーンで銃撃戦が始まるのですが、岩の上の悪党が撃ち落とされるシーンを見ていた時のことです。するとその3、4秒後に、全く同じショットが流れた。それはリサイクルされていたのです。あまりに製作費が安いために使い回されたわけです。そして悪役が岩から撃ち落とされながら、奇妙なキックのような動きをするわけですが、私はその時、友達に言いました。同じショットが2度も使われていたと。でも友達は言いました。それが「全てリアルで、本当に死んだ」のだと(笑)。彼は本当に死んだと思い込んでいたのです。いくら私が、「そんなことないよ、全く同じショットが使われていたよ」と言って、私には見えていても、友だちは気づいていなかった。その瞬間です。私の(映画の)見方が変わったのは。ナレーションの方法、編集の方法、ショットの配置とかに対して。それなので、ある意味、とてもひどい映画が私の目を開いてくれたわけです。そしてすぐに、私ならもっとうまく作れると思ったわけです。

OIT:影響された監督は、とよく聞かれると思うのですが、あなたにとっての影響は外在的なものでなく、もっと内的なものだったということですね。
WH:そうですね。私の先生は、名前のない、三流映画の監督だったのです(笑)。その映画を撮った監督の名前すら知らないのですから(笑)。でも彼には大きな恩があります。

OIT:映像/視覚的な特質は、例えば11歳の前でもいいのですが、どこから来ているのでしょうね。
WH:分からないです。

OIT:例えば、絵を描いたりしていましたか?どのように世界を見ていたのでしょう。今に繋がる素質として。
WH:それを説明するのはとてもむずかしいですね。山の中の生活はほとんど神話的な世界です。森の精霊たちがおり、急流にも滝にも、私たちが育った家の裏にも精霊たちを感じていました。でもそれは子供の頃のことです。自分たちで世界を発明していたのです。

OIT:それが今でも続いているわけですね。
WH:ある意味、続いていますね。


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