OUTSIDE IN TOKYO
Stephen Nomura Schible INTERVIEW

スティーブン・ノムラ・シブル『Ryuichi Sakamoto: CODA』インタヴュー

2. 坂本さんが嘆く音楽に着目をされたというのが、自分には響いた

1  |  2  |  3  |  4  |  5



OIT:この映画が“重要”だと思わされたのは、80年代の映像を使っているところでした。坂本さんは当時YMOで一世を風靡されていたわけですが、その頃の映像で、東京という街はテクノロジーが進化し過ぎてしまったと仰っていて、ご自分もテクノロジーを駆使したシンセサイザーを使って音楽を創る一方で、坂本さんはそうしたテクノロジーが犯す“エラー”に興味があると語っています。
スティーブン・ノムラ・シブル:先程、お話したことが意図的な構成だとすると、その中には、過去を振り返るという部分があったわけです。願わくば、新たな音楽を創っているところを撮りながら過去を振り返る、という構成を考えていましたので。それで、撮影がある程度進んだ段階でアーカイブのリサーチをしました。ありとあらゆる資料をリサーチして、素材を見る、ご本人のプライベート・アーカイブにもアクセスする許可を頂き、色々なものを見ていくわけですけれども、基本的には、震災後は状況が落ち着かなくなる、日本という国もどうなっていくか分からなくなる、その中で日本を代表する音楽家がいる、そこで幾つかの出会いがあり、やがて音楽へ回帰していくという流れがあります。そこで、この人はどこから来て、どういう人物なのかというサブプロットが必要だと思いました。坂本さんの言葉で言うと、“幻想”だった頃の日本とか東京というものが、テーマとして、対象としてあると良いだろうと。映画って、そういうものですよね。説明ではないから、対立を生じさせながらストーリーを運んでいく。その対照項としてのフラッシュバックで、80年代の映像があり、色々と探して行く中で、『Tokyo Melody』というフランスの1983年のテレビ映画があった。エリザベス・レナードという人が1週間位の撮影で収めたもので、youtubeとかでは出回っているのですが、オリジナルの16mmフィルムの素材としては大変貴重なもので、今回、私たちはそれをパリから取り寄せました。エリザベスさんご本人にも一度直接お会いして、助けて頂いたのです。その中のインタヴューに、その言葉があった。意図的な部分と、偶然見ることの出来た素材の中で坂本さんが言っていること、更には、撮影しながら、思ってもみないような出来事が起きていく中で、ひとつひとつをパズルのように織り上げていきました。映画の脚本もそうだと思いますが、シーンは短ければ短い方が良い、何かを入れるのであれば、ひとつの意味だけではなく、複数の意味が生じるようにということを理想として意識しつつ、今、拾ってくださった、テクノロジーのエラーが面白い、という箇所は多面性があると思ったので入れたんです。

OIT:坂本さんの新譜『async』の話で言うと、最初にタルコフスキーの映画『惑星ソラリス』(72)の引用から入って、バッハの“コラール”への言及があり、坂本さん自らの“コラール”を作るという流れがあります。“コラール”は日本語では“聖歌”と訳されたりしていて、バッハの場合はキリスト教が背景にあると思うのですが、坂本さんが“コラール”を作るというのは初めてのことではないかと思うのですが。
スティーブン・ノムラ・シブル:これも面白いテーマなのですが、坂本さんの歴史を調べると、ドビッシューの影響というのはとても良く知られていますよね。幼い頃にドビッシューの“9th コード”に快感を覚えたという有名な話もありますから、私も正直に言うと、現代音楽とか前衛音楽の奔りだと言われている“9th コード”とか、そっちじゃないかと思っていたので、その辺のお話も随分と坂本さんにお聞きしたのですが、そういう話になると結局、“説明”になってしまうんですね。いわゆる“音楽ドキュメンタリー”って数多く作られてますけど、典型的なのは、インタヴューされる人がいっぱい出て来て、そのアーティストの事を語るという、劇場で見るよりも、そのパッケージを買ってもらう、ファン向けにセールスするという形、それが主流ではあると思うんで、そういう作り方をした方がいいのかなと迷って、そういう作り方を試みはしたのですが、今回の場合は、あまりにも現在進行形のことが意味があったり、ライブ感があって面白いんですよね。坂本さんと、あのピアノの部屋で撮影を始めたら、いきなりバッハの話とかを始めるわけですよ、こっちはまだ準備をしているところだったんですが、いきなり弾き出して、こういうのを演りたい、とか言い出したり、“コラール”の話にしても、こちらが聞き出そうとしたわけじゃなくて、坂本さんが話し出すわけです。それで、あの演奏シーンがあって、こちらは後で『惑星ソラリス』を見てみる。あのバッハは、『惑星ソラリス』じゃないかな?ってあたりをつけてね、そうすると同じ曲を弾いてる、ってことを編集者が見つけて、じゃあこれを繋いでみようということで繋ぐ。そこでプロットの話に戻りますと、主人公が何かをしたい、それが達成出来るのか、出来ないのかというのが語りの基本形態ですよね、そうすると、“コラール”を作ろうとする、これが出来るのか、出来ないのかということでひとつのフレームが出来る。その“コラール”ということで言うと、先程、“聖歌”と仰いましたが、坂本さんは、この映画の中でも「バッハは嘆いていた」ということを言っていましたよね。それが僕にはとても響いたんですね。坂本さんが嘆く音楽に着目をされたというのが、自分には響いた。偉大な音楽家って、上手く嘆くんですよね。僕なんかが、予算が足りない、仕事が辛い、完成出来るかわからないって言っても愚痴に過ぎないし、誰もお金出してくれないんだけど、例えば、ジャンルは違いますけど、2パックが世の中の無情をラップすると普遍的になるわけですよね。音楽ってそれなんですよね。偉大な音楽家はそれが仕事だから、今のタイミングだと、神聖な音楽を作るというよりは“嘆いている”と、そこが響くなと思ったんです。



←前ページ    1  |  2  |  3  |  4  |  5    次ページ→