OUTSIDE IN TOKYO
Romain Goupil INTERVIEW

<1968年>を共に闘った同志の自死をきっかけに作られた、”五月革命”を考察する伝説的な処女作『三十歳の死』(82)、移民問題に光を充てながら、友達を守るために団結する子供たちを活写した『ハンズ・アップ!』(10)と、政治性の強い、私的な映画を作り続けて、社会と対峙してきたロマン・グーピル監督の新作『来るべき日々』がTIFFのコンペティション部門で上映された。

”来るべき日々”とは、かつては、革命を起こして権力をひっくり返すことを夢見た男が迎える”老い”を実感をする日々のことであり、警官隊に投石していた男が迎えることになる、自らの子供たちに宿題をやりなさいと言わざるをえなくなる日々のことであり、そして、究極的には自らの”死”を迎える日のことであるだろう。グーピル監督は、そうした、控えめにいっても左程楽しくなりそうもないテーマと、自らを取り巻く社会や家族と正面から向き合い、現在の自らの立ち位置を冷静に観察しながら、率直さの美徳の現れであるに違いない”ユーモア”をフレームの中と外の両方で爆発させ、見るものを魅了する。

自分が、ゴダールやポランスキーのような”特別な監督”とは違う場所にいるということ、今はかつてのような荒々しい政治活動に身を投じるわけにはいかないということ、父であり夫であるということ、かつての同志たち、そして、今も多くの友人たちとともにあること、そうした全ての体験や感情を含んだ豊かな”個人情報”が、彼の映画や言葉を通じて観客に伝わってくる。その”明け透けさ”から、私たちは、私たち自身の”来るべき日々”について、勇気ある想像力の働かせ方を学ぶことが出来るだろう。映画について、”監督”という人々について、家族について、率直に語ってくれたロマン・グーピル監督のインタヴューをお届けする。

1. ”死”は本当はそんなに深刻なことじゃない

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OUTSIDE IN TOKYO(以降OIT):作品を拝見して、ユーモアに満ちた、楽しい映画だと思いました。監督の作品は“闘う映画”として知られていますが、今回は、“闘う”主人公を監督ご自身が演じられていて、そこにユーモアの要素がふんだんに加味されています。今回は最初からそういうものにしたいという考えがあったのですか?
ロマン・グーピル:深刻なことを語る時にそれを本当に理解してもらうには、やはりユーモアを通す必要があると思うんです。悲しいことを悲しく、ただ悲しい音楽を流して悲劇として描くのは簡単ですが、なかなか真の深刻さは伝わらない。それに比べてこの映画では、“死”は本当はそんなに深刻なことじゃないんだよっていうことを言っている。それをどうやって描くかというと、やっぱり楽しんでいる様を描くしかない。60歳にもなると、残りの人生が、今まで生きてきた人生を超えることはないわけです。だからそれを悲しいと捉えるのではなく、どうすればもっと楽しんで過ごすことが出来るかということを考える。楽しいことはよく考えてみると沢山ある、友人もいるし、子供たちもいるし、妻もいるし、楽しいじゃないかっていう風にね、それを描きたかった。ユーモアがあるっていう風に見てもらえたのはとても嬉しいですね。特にこの作品では私が主人公を演じているから、自分自身をちょっと馬鹿にしたり、自嘲気味に扱ったりということもやりやすかった。もしそれが違う人物像だったり、他の人が演じていたらそうは行かない、その人物に対して戯けたり、「ほらね、お馬鹿さん」という感じには描けなかったと思いますよ。

OIT:ご自身が演じられた主人公は、“監督”と呼ばれる人たちをある意味カリカチュアしているところがあると思うんですけど、それは普段から何となくご自分を見たり、他の監督を見たりしていて感じていたことなのでしょうか?
ロマン・グーピル:おっしゃる通りです、私は、ゴダールやポランスキーの助監督を長く務めていましたから。父も映画界にいたんですが、父が、監督っていうのはびっくりするような変なことをやるもんだって言ってましたよ。例えばある監督なんかは、俳優が演じているところへやってきて、俳優が演じているのと同じことを身振り手振りでやってみせたかと思うと、今度は俳優がその通りにやらなかったと言って怒り出したりする、そういう変な監督がいっぱいいるわけです。監督はそうやって出来た映像を見て、自分の人生の全てがこの中にあると言ったりする。だから、本作の最後のシーンなんかも、監督として自分の死を演出をしているわけですから、もう絶対に満足行く訳がないですよね。お母さんの泣き方が足りないとか、友達は髪を直したりしているけれども、もっと深刻に考えてくれないと困るとかっていう感じで。監督っていうのは50人もの人々を束ねて作業をさせるわけですから、必ず嫌なやつなんです。監督でいい奴なんていうのはいなくて、必ず嫌な奴なんですけど、ずっと嫌なやつ奴をやり続けて、騒いでダメ出しばかりしていると、映画が出来上がらないので普通は妥協するわけです。それでも中にはずっと騒ぎたててそれでも映画が出来上がってしまう監督がいる、そういう監督は特別な存在だと思います。自分の経験からそう言える。やはり監督だけが、こういうものを作るってるということを知っている。唯一出来上がった映像を知っているのは監督だけで、他の人はそれを読み取ってこういう感じかなってトライしているだけなので、やはり嫌な奴になるのは避けがたいのです。

『来るべき日々』
英題:The Days Come

監督・脚本:ロマン・グーピル
プロデューサー:マルガレート・メネゴーズ
撮影監督・音響編集:イリナ・ルブチャンスキー
音響:ソフィー・シアボー
編集:ローランス・ブリオー
衣装:シャルロット・ダヴィド
美術:バプティスト・ポワロ
出演:ロマン・グーピル、ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ、マリナ・ハンズ、ノエミ・ルヴォスキ、ジャッキー・ベロワイエ

© 2014 LES FILMS DU LOSANGE - FRANCE 3 CINEMA

2014年/フランス/85分/カラー

第27回東京国際映画祭
『来るべき日々』
オフィシャルサイト
http://2014.tiff-jp.net/
ja/lineup/works.php?id=5
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