OUTSIDE IN TOKYO
Romain Goupil INTERVIEW

ロマン・グーピル『来るべき日々』インタヴュー

2. 一番情熱を傾けているのは”政治”で、”映画”に対しては斜に構えているところがある

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OIT:(隣りにいらっしゃる)奥様ともビジョンはシェアしていないんですか?
ロマン・グーピル:サンダには衣装も担当してもらっているんですよ、ですから私はシナリオを書いたら、サンダも含めて他の人たちと一緒に色々考えます。ただサンダは女優もやりましたので、そこでまた色々と難しいことが出てくる。私自身は、自分を凄く皮肉に見ているところがあって、普通、他の監督たちは映画が全てっていう感じで、映画に全てを入れ込んでいるわけですが、私は昔から一番情熱を傾けているのは政治なんです。政治というのは何かを考えて、それを実現していくプロセスなわけですが、映画は何かを考えて、それを偽装する、というか偽のものを作っていくわけですね、現実にはないものを作っていく、だからどこかで映画はそんなもんでしょうって考えているところがあるんです。雨が降ったって言って大騒ぎする監督がいるけど、神様じゃないから雨も降るよねっていう感じで、ちょっと斜めに見ているところがある。一方で、例えば共産党の活動とか全学連が成田空港を襲うとかっていう話になると、そこでは本当に怪我人が出たり、一生怪我を負う人もいるかもしれない、それでもそれをやらなくてはいけないという決定は凄く重いものであるわけですね。それに比べて映画の1シーンっていうのは、失敗しても映画ですから死ぬわけじゃない、そういう意味ではちょっと自分は斜に構えてるところがある。逆に素晴らしい作品を作れる監督っていうのはやっぱりそこまで入れ込むことが出来る、私の場合は、その世界とは違うところに住んでいると思います。

OIT:今、政治のお話しがあった関連で、監督については<1968年の世代>っていうことがよく言われていますけれども、監督のキャラクターがこの映画の中で<1968年の世代>について語っていたことは、監督ご自身と同じ意見と思って良いのでしょうか?
ロマン・グーピル:あそこはかなり自嘲している、皮肉たっぷりのところなんですけど、私自身は、あの質問している子供達の年齢の時には、もうとにかく車があれば火をつけて、ガラスがあれば石を投げて割って、それで警察をどこまで追い込むかっていう、そういうことばかり考えて実行していたわけです。プロレタリア独裁を実現する為のボルシェビキ活動の前線でリーダーをやっていたので、革命を起こして権力を獲るということしか考えてなかった。それが、自分に子供ができると、子供たちにはすぐには自分が思ったものは手に入らないよとか、すごくお爺さんぽいことを言うようになった。だから自分がやっていたことは中退して、今になってどこにでも火をつけて革命を起こせなんてこと言えないわけです、そういう自分を皮肉っている場面ですね。その上滑稽なのは、学校で教頭先生をしている人みたいに、ちょっとそれについて説明をして下さいとかって言われるわけですから、それってまるで百年前にいた戦士みたいな扱いかなって感じで、笑うしかないわけです。

OIT:そのシーンには実際のお子さんが出ていらっしゃいましたね。
ロマン・グーピル:ジュールっていう大きい方の子は私たち二人の子供なんですけど、火炎瓶投げたの?とか、警察に火がついたの?とか、まるで夢の中の話のように彼は考えていて、それを聞くと、どうなってんだって思っちゃいますね。息子が“台詞”で言うんですけど、お父さんは高校時代は高校を辞めて中退して活動をしなくちゃいけなかったって言うけど、今は学校に行きなさいとか、宿題をやらなくちゃいけないって言ってるよね、つまりいつでもお父さんは自分は正しいと思ってるんだよねって、まさにそういうことですね(笑)。

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