OUTSIDE IN TOKYO
Romain Goupil INTERVIEW

ロマン・グーピル『来るべき日々』インタヴュー

3. マチュー・アマルリックが映画に出演するようになった切っ掛け

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OIT:それは実際にお子さんに言われて気付いたことだったりするんですか?
ロマン・グーピル:実は、全くそういうことは息子とは話さないんです、というのは私が一番最初に作った68年を舞台にした『30歳の死』(82)っていう映画がありますけど、家にDVDがあっても全く見ないし、息子とはそういうことは全く話さないですね。彼にしてみればそれは百年前のことって感じで。あそこのシーンは、学校とかに行くと、時々、68年がどうだったという話をすることがあって、その時に色々質問を受けて、どういう思いで活動をしたかということを聞かれたりする、それをシーンにしたのであって、息子は全然そんなことを聞いてこないし、全く関心無いみたいですよ。

OIT:息子さんはこの映画をご覧になってるんですか?
ロマン・グーピル:観てない、だから皆さんは子供たちよりも先に見ていることになります。

OIT:これから強引にでも見せようっていう考えは?
ロマン・グーピル:そうね、見せようとは思うんだけど、お母さんが裸で出てるからちょっとまずい。それに友達とかその彼女とか、、、見せるのはまずいかな。娘の方は15歳で中学校だから、お父さん映画作ったんだ、えっ、お母さんが裸で出てるのってことになったり、友達とか友達のお母さんに多分言いづらいと思う(笑)。

OIT:友達っていうと、アルノー・デプレシャンとかマチュー・アマルリックとかが出てましたけど、彼らは友達だから出てくれたんですか?
ロマン・グーピル:最後のシーン、ダニエル・コン=ベンディットとかアンリ・ウェベールとかアンドレ・グリュックスマンは私の世代で政治をやっている人達なんです、その人達も出てくれましたけど、その次の世代で一番仲がいいのがデプレシャンとマチュー・アマルリックなんです。マチュー・アマルリックは私の助監督とか助監督のセカンドをやってたんですね、それで『エルへの手紙/Lettre pour L...』っていう92年ぐらいに作った映画でも助監督をやっていて、その時、美術を担当してくれるスタッフがどうしても来てくれないんだって言って、困った困ったって言ってたんですよ。それで私はカメラを彼に向けて、じゃあ何が困っているのかをカメラに説明しなさいって言ったんです、そしたら彼が、全部の人が集まらないとか、美術の人がちっとも手に入らないとか、身振り手振りでああだこうだ言って、結構面白かった。それをデプレシャンが見て、彼を自分の映画に使おうと、それでデプレシャンの映画にマチューが出るようになったんです。

OIT:それがきっかけなんですか?
ロマン・グーピル:マチューは最初は技術者だったんです。

OIT:じゃあ、”マチュー・アマルリック”の産みの親みたいですね。
ロマン・グーピル:そうそう、毎回会う度にその話をして大笑いしていますよ。

OIT:これからも政治活動と同時に、楽しい映画を作り続けてください。
ロマン・グーピル:私もそう願っています。

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