OUTSIDE IN TOKYO
Mike Mills INTERVIEW

マイク・ミルズ『人生はビギナーズ』インタヴュー

4. 映画作家として沢山学ぶことができて、観客と強い内容を共有できる勇気が湧いた

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Q:ユアンはこの映画の最良の部分を引き出したと思います。クリストファー・プラマーもそうだと思いますが、撮影の前、または最中にどんなことを話し合いましたか?
MM:たくさんあり過ぎるからね。結婚する時に奥さんにどんなことを話したか、みたいなことだよ。まず手紙(を書くこと)から始まった。僕はリハーサルがとても大事だけど、その時に脚本は使わないんだ。キャラクターに実際に起きたようなことをやりながら、俳優と役柄との境界線をより曖昧にしていく。すると彼ら自身が役柄を描いているような気になってくる。彼らにとって可能な限りリアルになるように持っていきたい。だからメラニーとユアンの最初の顔合わせの時は2人に何度も別れを体験してもらった。即興で何度も別れを体験していく。そしてマジックマウンテンに行ってジェットコースターに乗った、2人ともジェットコースターが大嫌いなんだけど(笑)、たくさん乗り物に乗って、僕らは死ぬほど怖い思いをした。それは、愛とはそういうものだから。興奮もすれば、楽しいし、動きも予想がつかないけど、同時に怖いし、やりたくない時もあれば、不安にもなる。だからこそ彼らにとってできるだけリアルに感じられるようにしたかった。そして十分に時間を与えて一度切り離してもらう。間違ってることなんてないという意識に慣れてもらう。どんなことをやってもいいんだって。現場は楽でゆるくて自由な雰囲気だったよ。

リハーサル、撮影のプロセスで、2週間をかけて彼らの一番いい面を引き出し、他の人に見つけられない微妙なニュアンスを見つけたいんだ。まず、最初の5日でユアンとクリストファーの撮影をした。ユアンとクリストファーの物語を順撮りで。その5日で、2人が一緒の5つのシーンを選んだ。ただシーンの台詞を読み合わせて、特に練習するわけでもない。彼らは役者として素晴らしいから、彼らを限定した状態に追い込みたくはない。生きてほしいんだ。そしてそのシーンに辿り着くまで、体験的な即興をしていく。それが彼らの滋養となり、シーンの糧となるように。その日の終わりに最初はハルがオリバーにカミングアウトするシーンをやるために、まず2人でデパートに行ってもらった。ユアンとクリストファーの2人だけで。2人にお金を渡して、「クリストファー、あなたはこれからゲイなんだから、自分の魅力を引き出すために、若い男に対して自分をオシャレに飾らなければいけない」と言った。ユアンは手伝いのために付き添ってもらった。そうして2人はワイルドな冒険を経験し、クリストファーはスキニー・ジーンズに取り憑かれて買ってきた。スキニー・ジーンズを試し穿きして、ユアンが支払いをした。そうしてユアンはやっと彼をリハまで連れて帰ってきた。完璧だった。2人はキャラクターが生きてきた人生を実際に生き始めたんだ。

Q:映画で描かれている体験はあなたもしたことですか?
MM:僕の実人生は映画と少し違う。姉が2人いて、一番上は7歳離れている。僕が17歳の時、一番上の姉に、父さんはゲイだったのよって言われた。父とも母ともそんな話をしたことがなかったけど、僕らは父がゲイじゃないかとなんなく思っていた。だから全くのサプライズではなかったかな。さっき言ったように、父はとてもやさしくてシャイで、あまり多くを要求したことがなかった。だから彼がゲイとして生きたいと言った時、しかもそれは母と44年間暮らした後だったので、「父さん、ゲイになっていいんだよ。生きたいように生きるべきだよ」って楽に言えたんだ。自分がしたいようにするべきだって。でもある意味、75歳の父親が色気づいて、男をほしがる様子を目の当たりにするのに少し戸惑いはあったよ。とにかく、彼はとてもポジティブになり、ずっと僕に何でも表現するようになって、自分のいろんな面を見せるようになった。だから全体的にほとんどがポジティブな体験だった。母が亡くなった時に、父が萎んで消えてしまうんじゃないかという不安に駆られたけど、カミングアウトしてみたら、突然、生き生きとするようになった。だから逆に感謝していた。ゲイになることでずっと活き活きとしていたから。

Q:カメラは何を使いましたか?
MM:カメラはREDで、一世代前の型だけど型番は覚えていない。320万ドルしか予算がなくて31日間で撮影したかったから、フィルムだととてもじゃないけど無理だった。でも次第にデジタルを好きになっていった。好きなだけ撮ることができて、いつカメラをオンにしてもオフにしても構わない。いつもカメラをオンにするか、あまりセーブすることを考えなくてもいい。カメラをオンにしたまましばらく流して、演出をしたり、ゆっくりもう1テイク撮ったりしながらカメラはずっと回しておける。そうして何度テイクを重ねても大丈夫だった。だから合間も居心地よく、カジュアルで、急がなくていい撮影ができた。

Q:撮影監督のキャスパー・タクセンの選択は?
MM:彼はとても若いけど、彼もかつて子役だった。彼はとてもエモーショナルな撮影監督でパワーに満ち、とても若くて前向きだ。そんな要素を僕も欲していたんだね。ある意味、そんなポジティブさが必要だった。重くなる可能性のある映画を作る上では。最終的に重くなりすぎることは避けたかった。それにただ単に彼が好きだった。キャスパーはあまり光がない環境で仕事するのもうまい。彼はそれを問題としなかった。露出も正確だ。どれだけ明かりが必要かも的確で、照明のセッティングも正確だ。だから僕の、演技ありきの撮影スタイルに欠かせない人だった。カメラのことでなく、役者のことだけ考えて撮影できるから。

Q:映画を撮った後に何か変化はありましたか?
MM:(笑)この映画がとてもパーソナルなため、みんなそう思うのかもしれないけど、自分ですでに体験しなければならなかったんだ。映画を作る前から自分だけだったり、友人たちとだったり、家族やセラピストとだったり。だから映画を撮って公開するのは、家族のことというより、僕と俳優たち、僕と監督との関係性の方が強い。構造も書き方も、この映画の撮り方として、とても多くのリスクを冒した。そしてうまく伝えることができて、観客にもちゃんと伝わったと思う。そのため、映画作家としてとても勇気を与えられた。観客と強い内容を共有できる勇気が。だから、もう作る前に、父とのことは学んでいた。僕と世界、映画監督としての僕のように、たくさん学ぶことができて、ますます勇気が湧いたよ。


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