OUTSIDE IN TOKYO
JULIE BERTUCELLI INTERVIEW

ジュリー・ベルトゥチェリ『パパの木』インタヴュー

2. ドキュメンタリーを経て、
 長編やフィクションを撮るという方向性が一番いいと思います

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OIT:カンボジアのリッチー・パン監督とはどのような縁で仕事することになったのですか?
JB:彼はフランスに住んでいたので、カンボジアで映画を撮るからアシスタントに入らないかという話があったのです。カンボジアにはカンボジア人のアシスタントがいたのですが、フランスから補助金をもらって作る映画だったので、フランスのスタッフでも構成しなければいけなかったので、それでその時は関わることになったわけです。

OIT:現場で映画を学ばれたということですが、基本的に、映画を作るのに映画の勉強はそんなに必要ないものですか?
JB:そうですね。特に行かなければいけないということはないと思います。現場は具体的な映画の勉強をする上では、学校とは違う意味でいい場所だと思うんです。そして映画に関する教養や知識は、学校で教えてくれることになるのでしょうが、それも本でとか、映画をたくさん観るとか、いわゆるシネフィルという方向に自分を持っていけば、そこで同じような知識は得られるのではないかと思います。フランスでは、学校に行った映画人と、行っていない、自分みたいに現場で入っていく人が、半々くらいいると思います。具体的な、作品ごとのアプローチを目の当たりにして勉強できるのはなんと言っても現場で、それが経験になっていくし、いずれ学校を出た人たちが現場に行けば、それはそれで経験になるけれども、結局どちらでもいいのではないかとも思います。
ただ、ひとつ言えるのは、ドキュメンタリーを経て、長編やフィクションを撮るという方向性が一番いいと思います。なぜなら、ドキュメンタリーを撮ること、そこで勉強することは、映画に対するその時々の、即興的な適応能力がついてくるというのがドキュメンタリーなのです。つまり決まった通りには何もできないので、とても柔軟性が求められる。でも言い方を換えるなら、それがとても自由だということも言えるんですね。だからドキュメンタリーを経た方がいいとは思います。

OIT:そもそもなぜドキュメンタリーに入っていかれたのですか?
JB:人間を見るのがとても好きでしたし、自分が知らない世界を掘り下げて見ていくことにとても興味がありました。それに現実は常に想像よりも強いと思っていました。そういう意味で、ドキュメンタリーに傾倒しました。若い時は、自分で何を語っていいか、どんなストーリーを語っていいかというアイデアがなかったのです。だから自分の目の前にあるものを、映像に収めていくことの方を先に知ったのです。そしてそれを重ねていくうちに、いずれ、フィクションを撮る時も役に立つだろうという思いもありました。フィクションというのはどうしても、別に自叙伝を描くわけではないけれど、パーソナルなものが投影されるわけなので、いきなりそうするよりも、自分と距離感のあるものを撮っていく作業が自分には必要だったのです。ドキュメンタリーというのは、あるところまでは、ずっとカメラを向けられるけど、それでも限度があるわけです。あまりにその人の深いところまでカメラを向けるという作業は、私にはできません。でもそれがフィクションになっていくと、今度は(全て)作るものですから、どこまででも写すことができるというか、自分が写したい部分まで写すことができるわけですね。そういう違いはあります。というのは、最初の『やさしい嘘』はフィクションですが、あの家族をドキュメントで撮ろうというのは無理です。でもフィクションであれば撮り切ることができるのは分かりました。


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