OUTSIDE IN TOKYO
Luca Guadagnino INTERVIEW

ホセ・ルイス・ゲリン『ミューズ・アカデミー』インタヴュー

3. 『シルビアのいる街で』は夢想、『ミューズ・アカデミー』は生身の女性たち

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OIT:その上で、撮影の実際の仕方で、先ほど言った車の窓の外から撮っていながら音が二人の会話だったり、室内でやればその人達の会話だったりがきちんと聞こえていて、逆に外の音が聞こえていないとか、そういう意図的な選択についても教えてください。
ホセ・ルイス・ゲリン:そうですね、その関係は最後のシーンは逆になります。中の会話は聞こえず、外の音しか聞こえないという風にして終わります。そのシーンに何を入れるか、それが自分の中で一番重要だと思っています。なぜかというと、今、消費される映画っていうのはみんな聞こえてくる、全部を聞かせようとする。蚊が飛んだだけでも蚊の音が聞こえる、なんの意味もないのに。もしその監督が選択をしなければ、そこに映画的なものはないというのが私の考えです。同時に映画というのは、映像から見た観点と、音から見た観点というのが必ずある、それをどういう風に選ぶかということが大事です。選択する、その基準というのが一番重要なのです。私が初めて映画を撮り始めた時は、まずは映像を撮って、その後で音だけを撮りに行きました。いまやもう音と一緒に撮れますけれども。編集の時に音なしでまずは観ます。それでノートにここで何を聞きたいかっていうことを書いていく。ですから直接映像と一緒に入った音とは対立するかもしれませんが、まずは音なしで観て、メモをして何が聞きたいかを、そこで録られた音の中から選ぶ。今、若い監督達はみんな非常にいいカメラで、音がいいやつで撮っていますね、そのせいかもしれませんが、あまり映像と音の印象的な関係というものを考えない人が多いのではないですか?

OIT:『ゲスト』の時も後から音を撮りに行ったりされていましたね。
ホセ・ルイス・ゲリン:そうです。

OIT:今回もそういうことをしているのですか?
ホセ・ルイス・ゲリン:この作品はもうほとんど音には介入しないような形で作りました。ほとんどが会話というか言葉なので、それをまず撮るということです。

OIT:サルデーニャ島の時の話で、サルデーニャにはアモーレっていう言葉がないという話が出てきましたね。“愛”を扱うことにしたっていう意味では、哲学的な考察としてあまり“愛”というものが扱われていないということはありませんか?朝、二人(江口と上原)で会った時に、ロラン・バルトの「恋愛のディスクール・断章」の話や、谷崎潤一郎という日本の作家が、「茶道では恋愛を主題にする話は禁じられていた」と記している(谷崎潤一郎随筆集「恋愛と色情」)といった話を少ししたのですが、“恋愛”は哲学的に語られる必要がないものというか、下に見られているものであるという印象があったりもします、今回の作品ではそれをテーマとして扱っています。
ホセ・ルイス・ゲリン:そうですね、そうやって観客も観ると思うんですけど、テーマがあって哲学的な言葉で語っていても、やってることが違うっていう、その落差っていうのが見えると思うんですね。だから私の中では人は嘘つきだっていうのがまずあって、言ってることとやってることが違うっていうのは凄くあることなので、そういう意味でも考えるきっかけになればいいと思います。それと先程言われた感情ですね、愛というよりも恋愛という感情に対して軽く見られるところがあるかもしれませんけれども、でもそれがどういう風に語られているのか、何で語っているのかっていうことが映画の中で観られると思います。特に教授の妻が初めに恋愛とは文学が発明したものだと、それが女性を傷つけてきたという台詞があります。でも最後になると彼女が一番その愛を信じているんだろうと思うようになってきます。哲学的な理論を超えた生身の人の姿がここにある。羊飼いの歌にしてもそうです。私達は時々言語にとらわれることがある、あの歌が私達を解放してくれるということは撮ってから分かったのです。自然の音を声に変えるという、私達とは違うコミュニケーションの体系が彼らにはあるということを知り、解放された気分になりましたよ。

OIT:彼女たちの目も変わりますよね。
ホセ・ルイス・ゲリン:そうですね、今回の彼女たちの会話は普通の映画のように書かれたものではない、彼女たちの中から出てきた言葉なのです。本当に言っていることが目に出ますし、それと共に変わります、だから全部のショットをアップで撮っていますけれども、それが自分の中ではとても重要なことでした。

OIT:『シルビアのいる街で』もそういう思い込みだったり、妄執だったり、そういったものを撮っていますけど、残酷な面ももちろんあるんですけど、凄く優しさも感じました。
ホセ・ルイス・ゲリン:じゃあ、こっちの方が好きですか?

OIT:『ミューズ・アカデミー』も好きですね、とても面白かったです。
ホセ・ルイス・ゲリン:『シルビアのいる街で』は、人は出ていますけれども、見えるものは要するに夢みたいなもの、夢想ですね。要するに本当の人物像というのは出てこない。でも『ミューズ・アカデミー』の方はミューズって言っておきながら全然ミューズじゃなくて、生身の女性たちなんです。ですからこの二つは全く逆の映画だと思っています。『ミューズ・アカデミー』の方では完璧にそれぞれの人間性というのが出ているんです。


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