OUTSIDE IN TOKYO
Luca Guadagnino INTERVIEW

ホセ・ルイス・ゲリン『ミューズ・アカデミー』インタヴュー

2. 文学のことを語ってはいるけれども、そこにあるのは人間関係なのです

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OIT:それはダンテの「神曲」をなぞっているわけではないんですか?
ホセ・ルイス・ゲリン:はい、そうです。でも日本の観客にはそんなことは知らずに観てほしい。ヨーロッパの詩や文学が始めのところで沢山出てくるのですが、そこでつまずかないでほしいっていうのと、そこから出てくるのは常に人間関係なのです。文学のことを口では語っていますけど、そこに見えてくるのは、どっちが強いかっていう人を操る力関係だったり、愛だったり、誘惑だったり、そういうことが全部文学を窓口にしているけれども、見えてくるのはそこにある人間関係なのです。ですから、文学は口実に過ぎない、入り口に過ぎない。

OIT:割と素直にドキュメンタリー的な視点からついていくと、やっぱり車の窓の外から撮影をしているのに、中の音がちゃんと聞こえている、その違和感からちょっとざわつき始めたんですね。
ホセ・ルイス・ゲリン:それこそ私が観客に求めているところで、観るシーンごとに自分に問いかけてほしい、これ何なんだろうみたいな感じで問いかけてほしいと思う。映画がずっと変容していくわけです。ドキュメンタリーから始まって、ちょっとコメディっぽくなり、最後はメロドラマのような形で終わる。

OIT:もう一度聞きますけど、そのメロドラマ的な着地点はどの時点で見えてきたのですか?
ホセ・ルイス・ゲリン:それは二人の女性の対立です。ネットで愛情が得られると思った女の子ですね。ずっと観ていて、あれって思ってシームレスな感じで移っていくのは、あの女の子の場合も、その車もそうですけど、はじめは外から撮っている、教室なので公の場なんですけど、その公の場から私的空間に入ると、そこはもうフィクションになる。その私的空間に入るところでその変わり目が分からないように、常に外から撮って外の反射と内の声が聞こえる、その中で始めにドキュメンタリーで出てきた登場人物が変容していく、そのような感じで見えるようにしたかったのです。

OIT:その女性達の発言、個人的な発言であったり、自分達で考えた言葉だったりに影響を受けて編集をしていくっていうこともあったわけですね。
ホセ・ルイス・ゲリン:そうですね、まさに。私は考えて、その状況だけを与えていたわけですけれども、彼女達のダイアログが私の想像を超えたところまでいってしまう。だからもうどこにいくか分からなくて、それにまた影響されていく、本当に相互作用で作っていった映画です。ですからこの映画に関しては、私が彼女達の変容に毎回驚く、最初の観客だったと思います。

OIT:この映画は、これまで女性が観た時と男性が観た時の感想や意見は違っていますか?
ホセ・ルイス・ゲリン:そういう風に一般化したくないのは、それぞれの人がかなり深いところで感想を言うので、一概には言えないからです。でも映画に関して美しい感想を言ってくれたり、書いてくれたりしているのは女性たちですね。京都で上映した時は、映画に関する感想を手紙で配給会社の方に送ってくれた方がいて、非常に美しい感想が書かれていました。

OIT:物語の筋の中で出てくる欲求とか見られ方とか、見方の演出っていうのは一般的な映画の場合は、幻想だったり高揚感をあえて作り出して観客を導くっていうことをしているわけですよね。それに対して監督は、以前好きな監督として挙げていた、ホン・サンスやペドロ・コスタもそうかもしれませんが、そういうものをずらしたり、排除したりしています、その点についての考えを教えてください。
ホセ・ルイス・ゲリン:私の中では何がそこに提示されているかっていうところが非常に重要なのです。それを例えば出し過ぎるのか、出さな過ぎるのか、そのさじ加減も重要ですけれども、でも自分の中では常にそこに空間があってほしい、ということはあります。それがないと映画を作る意味がない気がするのです。だから常に説明されるものと内省するもの、対比するもの、自分の中ではそのバランスが必要です。




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