OUTSIDE IN TOKYO
EMMANUELLE DEVOS & MARTIN PROVOST INTERVIEW

エマニュエル・デゥヴォス&マルタン・プロヴォ
『ヴィオレット ある作家の肖像』インタヴュー

4. 南仏でヴィオレットが見つける素晴らしい空き家は、ニキータ・ミハルコフの家なんです

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OIT:史実との関連でいうと、ジュネが映画を撮影しようと言って、みんなで撮影するシーンがありましたけれども、実際にあのようなことがあったのでしょうか?
マルタン・プロヴォ:ジュネの映画のシーンに関しては、モーリス・サックスの言葉を元に作った創作なんです。実際にジュネが赤ちゃん役をやってゲランが神父役をやってヴィオレットが母親役をやったという事実は情報としては残っています、ただそのフィルム自体は残っていないので色々な情報を元にして、自分でシーンを作り出したものです。そういうことがあったということは史実として残っています。
OIT:撮影について伺いたいのですが、撮影監督がイブ・カープですね。ブリューノ・デュモン監督の作品や、ジャンニ・アメリオの『最初の人間』(11)、カラックスの『ホーリー・モーターズ』(12)などで知られている方ですが。
マルタン・プロヴォ:デュモンの作品はほぼ全部手がけていますね。ミシェル・フランのカンヌ国際映画祭に出た作品『Chronic』(15)も、イブが手掛けています。
OIT:素晴らしい撮影監督ですね。
マルタン・プロヴォ:ベルギー人で、お父さんがアメリカ人なんです。
OIT:彼との仕事はどうでしたか?
マルタン・プロヴォ:素晴らしかったです、彼となら結婚したいぐらいでしたよ(笑)。
OIT:カメラ位置はどちらが決めていましたか?
マルタン・プロヴォ:一緒にやりました。彼と出会えたのは素晴らしい出来事だったのですが、『ヴィオレット』を作るにあたっては準備に相当時間をかけたんです。最初に私が一人でカット割りを考えたんですけれども、それ以外の部分では常に一緒にやり取りをしながら作っていたという感じです。カメラの位置は私が大体決めますが、私が間違っていると彼が駄目出しをしてくれるという、真に本格的なパートナーシップがありました。
OIT:コンテみたいなものも書いたのですか?
マルタン・プロヴォ:私は文字で書くんです、絵で書くことも時々ありますが、ほとんど文字で書きます。まず目をつぶると全部映像が脳裏に映るんですね。
OIT:撮り始める前に、内容を全部決めて撮っているんですね。
マルタン・プロヴォ:そうです、だからアドリブは一切ありません。全部頭の中で出来上がっています。
OIT:南仏で彼女が見つける、素晴らしい空き家がありました。あれは実際に探して見つけたものですか?
マルタン・プロヴォ:あれは実は、ニキータ・ミハルコフの家なんです。ロシア人監督のコンチャロフスキーのお弟さんですね。ちょっと季節がずれてしまったので、実際にヴィオレットが住んでいた地域では撮影が出来なかったんです、彼女の生地はもうちょっと北だったので。私がよく知っている地域で好きな場所が、実際にヴィオレットが住んでいたよりも南の方にありまして、まだ野性の自然も残っていますし、11月でも天気が良いということが分かっていたので、そこで家を探しました。私達は、実際に人が住んだ過去があって歴史のある家を見つけようと思ったのです。美術担当のティエリー・フランソワが凄く一生懸命探してくれて、漸く見つけたのがあの家でした。信じられないくらいイメージにぴったりだったんですが、空き家になっていましたね。
OIT:ミハルコフの家が映画に登場したのは初めてなのでしょうか?
マルタン・プロヴォ:もう全然住んでいなくて放置されていたのですが、家族が村を丸ごと買ったような状態だったらしいですね。だから姪が隣の家に住んでいたり、家具もそのまま残されていて凄く奇妙な感じでした。全部物は揃っているけれども、もう誰も住んでいないという。
OIT:音楽がとても良かったのですが、選曲はどなたが行ったのでしょう?
マルタン・プロヴォ:実は、最初は人に頼んで作ってもらったのですが、それが良くなかったのです。『セラフィーヌの庭』ではマイケル・ガラッソが音楽を担当してくれたんですけれど、彼は『花様年華』の音楽も手がけた素晴らしい音楽家ですが、『セラフィーヌの庭』の後、亡くなってしまった。私はいい音楽家とはずっと一緒に仕事をしたいと思っていたので、彼が亡くなってしまって本当に途方に暮れてしまい、致し方なく、変わりの人を探したわけです。同じような力強さと深みを持ったミュージシャンを探しました。そこで、共同脚本を書いているマルク・アブデルヌールが、アルヴォ・ペルトというエストニア人の音楽家を見つけてきてくれたのです。ただ彼は映画音楽を作らないものですから、既に作られている彼の楽曲の中から曲を選んで使ったのです。


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