OUTSIDE IN TOKYO
Albert Serra INTERVIEW

アルベール・セラ『ルイ14世の死』インタヴュー

6. 「アルベール・セラの音楽」というタイトルで、
 マルク・ベルダゲールが作った映画音楽と、最近私が手掛けた
 演劇作品に付けた音楽が入った4枚組のレコード・コレクションが出ます

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OIT:今のジャン=ピエール・レオーが凝視するシーンでは、モーツァルトの音楽が流れていましたが、それ以外は、マルク・ベルダゲールという人が音楽を作っていますね?冒頭の室内楽やサン・ルイから聴こえてくる楽隊の音、最後のエンドクレジットの音楽は特に素晴らしかったと思いますが、彼との仕事についてどういう風に音楽を作ったのかということを教えていただけますか?

アルベール・セラ:今までの私の作品は、全てマルク・ベルダゲールとその仲間の音楽家達、複数の人がいてグループを作っているんですけど、その人達に任せてきています。もしご興味があるようでしたら、9月に「アルベール・セラの音楽」というタイトルで、彼が作った映画音楽と、最近私が手掛けた演劇作品に付けた音楽が入った4枚組のレコード・コレクションが出ます。49ユーロですから、日本人にとっては安いと思います。『私の死の物語』の音楽も彼とそのグループが担当したんですが、本当に素晴らしい仕事をしてくれました。あの冒頭のところに出て来る歌、それからロマンティックな歌、とてもインティメートな歌、また恐怖シーンの音楽、そうした音楽は、全て彼とそのグループが作ってくれた、素晴らしいものです。私の映画に付けた音楽、演劇作品の音楽が一つのコンピレーションになって出ることをとても嬉しく思っています。

撮影中ではなくて編集が終わった後で音楽のことを考え始めます。ここに歌を入れたらいいのではないかとか、音楽を入れたらいいのではないかとか思いついて、そこで作曲を始めてもらいます。そして具体的にこちらからいくつかアイデアを出し、方向性も一緒に決めていって音楽を作ってもらいます。少し恣意的なやり方ですが、例えばここに音楽があればいいのではないかとかいう風に、後になって決めていくことなんです。映像を作っていく際には音楽が先にあってそれに合わせて映像を作るということは一切していません。

音楽は感動を安易に作り出してしまいます。迷信のようなものなのですが、音楽自体の感動があって、音楽が先にあってしまうと作る映像が変えられてしまうような気がするんです。すでに音楽が考えられて存在をしている、そうするとその音楽のせいで映像が変えられてしまう、そんな気がします。それは迷信かもしれませんけれども、我々見る人の感性が音楽による感動にのってしまうという安易さを避けたいと私は思っています。ですから後になって音楽を決めます。映像自体が出来上がって存在し、それ自体として存在して上手くいっている、なぜだか分からないけれど、そこに何か付け加えてもいいんじゃないかと思う、そういう感じです。後からきますので音楽によって映像が変わることはありません。もちろん時には何度も見直した映画だと、その映像と音楽が結びついてしまって頭の中でその映像を思い浮かべると必ず音楽が鳴るというようなことがありますけれども、私の場合はそれはありません。編集が終わってから音楽を決めますから。映像の側には自由に判断をしてもらって音楽は後という形です。

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