OUTSIDE IN TOKYO
Albert Serra INTERVIEW

アルベール・セラ『ルイ14世の死』インタヴュー

4. 映画自体が一つのユートピアであるし、撮影をすること、
 すなわち映画を作ること自体が一つのユートピアなのです

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アルベール・セラ:映画自体が一つのユートピアであるし、撮影をすること、すなわち映画を作ること自体が一つのユートピアでしょう。もちろん造形的な条件とか、芸術的な条件とかから、自分の目の中にあったイメージを作り上げていかなければいけないのですが、実際に撮影は自分の友達に囲まれて、自分が選んだ人に囲まれて、実人生にある嫌なところは全て排除した状態で好きな人達とだけ3〜4週間過ごせるわけですから、それ自体がユートピアです。そうしたユートピア的な撮影であるからこそ最後に出来上がった映画の形が何かマジックなものになるのでしょう。固定されたイメージに対して、それが一つの理想であるとすればそれを具体化するのが映画です。

だから、なぜギャラを求めるのか分からない。その撮影に参加してそのユートピアにいられること自体がプレゼントなのに、参加させてもらった後でギャラを要求されることにいつも私は驚きます。『私の死の物語』の時、参加していたスタッフ、出演者の中で5〜6組のカップルが相手を変えました、撮影中に起きたことです。まとまってちゃんとして一緒に暮らしていたカップルが壊れて別の人と暮らすようになったという事件が5〜6組発生を致しました。むしろ私は、そういう風に素晴らしい人生を作ったわけですから、その人生に対して著作権料を貰いたいくらいです。逆に損害賠償を求められそうな気もしますが(笑)。

福崎裕子(通訳):でもお金は払ったんですよね(笑)?

アルベール・セラ:ちゃんとギャラは払いましたよ。でも、後で素晴らしかったからこんなギャラはいらないって返してくれるんじゃないかと思いながら払ったんですが、誰も返してくれませんでした。それで私はまた驚きました。

OIT:撮影現場で給料を要求するのはおかしいという話は半分冗談として受け止めまして、撮影の現場でセラ監督は、台詞を聴く時は背を向けて耳だけで聴くという話を聞きました。その方法はやっている内に編み出したというか、自然に出来てきたスタイルなのでしょうか?

アルベール・セラ:台詞を聞く時には俳優の演技を見ないで背を向けて聞くというのは、一つのストラテジーとして今までの作品を撮影していく内に決まってきたことなんです。初め私が考えたことは、そこの撮影をしているシーンで何が起きているのか全てを把握してはならない、したくないという気持ちでした。何が起きているのか全て分かってしまうと、オーバーリアクトしてしまう、反応し過ぎてしまう可能性がある、しかも表面的な反応をしてしまうだろうと思いました。直感的に捉えてその場面で起きていることを分析しないことをしようと思ったのです。

編集に際してはもう映像が出来上がっていますから、映像に邪魔をされないので、映像に対して分析的になることが出来ます。けれども今作っている映像に対して分析を行ったり、判断することはいけないことだと思います。直感的にそれを捉える、全てを完全に把握するのではない、見るのではなく感じる、そういう態度を撮影においては映像に対してとっています。反応は直感で反応する、その方が俳優に対して上手くいくということが分かりました。

全てがロジックで決まってしまっていてはいけない、予定されないことの神秘が残りません。人生において全て予定して決めたようなことになっても、謎の部分が残るでしょう。ですから今起きていることに対して表面的な反応はしない、見えているものに対して判断をしないという映画の作り方をしているのです。直感的な判断だけをする、映像に対する判断は後でします。すなわち信頼をして起きていることを信じる、そして直感的に少し動かすだけです。

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