OUTSIDE IN TOKYO
Abdellatif Kechiche INTERVIEW

アブデラティフ・ケシシュ『アデル、ブルーは熱い色』インタヴュー

4. パルムドールをとった時、やっぱりあまり意味がないな、
 僕の映画の影響力なんて本当にちっぽけなものだなと、過小評価をした

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OIT:なるほど。多分、最後の質問になると思うんですけど。
アブデラティフ・ケシシュ:答えが無駄に長いので、もうちょっと続けていいですよ(笑)。

OIT:監督は多分、キャラクターを通して監督の考えを語らせていたと思うんですけれども、例えば、エゴン・シーレとクリムトへの言及がありました。エマ(レア・セドゥ)が、私はシーレよりもクリムトが好きと言ったりしますね。
アブデラティフ・ケシシュ:このシーンに関しては、どちらかと言えばインテリやアーティスト達の会話は割とこういう話が多いので、その典型的な会話として登用したというだけで、何か自分の普段思っていることをこれを通して言ってやるんだっていう、そういう強い意図はなかったんですね。ただ、もちろんエゴン・シーレの方に私自身は興味を惹かれています。特に彼の小説というか、短編のような、素晴らしい詩があるのですが、そちらの方に惹かれているのです。あるいは、彼がとても若くして亡くなったことに人間の魂の苦痛であるとか、苦悩を感じて、より“人間シーレ”に対しての共感というものを私は感じているだけなのかもしれませんけれども。

OIT:一連の会話の中で、サルトルの“アンガージュマン”、社会参加という言葉が出てきて来ます。映画を撮ること自体が社会参加のひとつであると思いますが、監督ご自身は映画作家の社会参加について、特にお考えはありますか?
アブデラティフ・ケシシュ:映画を撮り始める前から、そういうアンガージュマン、コミットメントということは頭の中にあるものなんですけれども、ちょっと嘘っぽいかな、アーティフィシャルかな、無駄かなっていう風に思った時もあるんですね。パルムドールをとった時もそうでした。無駄だな、やっぱりあまり意味がないな、僕の映画の影響力なんて本当にちっぽけなものだなと、過小評価をしたのですが、またパルムドールから時間が経ち、今はまた心境が少し変わって、ひょっとしたら意味があるかもしれないと思い始めています(笑)。

OIT:いやいや、もの凄く意味があると思いますけれども。本当の人間が描かれている、素晴らしい映画だと思います。


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