OUTSIDE IN TOKYO
Abdellatif Kechiche INTERVIEW

アブデラティフ・ケシシュ『アデル、ブルーは熱い色』インタヴュー

3. クロード・ソーテの人物に対する暖かい眼差しに共感を覚えます

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OIT:最近、たまたまモーリス・ピアラ監督の『ヴァン・ゴッホ』(91)を観たんですけれども、ちょっとそれを思い起こしました。映画のスタイルではなくて内容的にです。“アーティスト”という人達よりも、教師という“職業”を持った人達に寄り添って描いていらっしゃると思ったからです。ひょっとしてモーリス・ピアラの映画に影響を受けていらっしゃるのでしょうか?
アブデラティフ・ケシシュ:日本のジャーナリストさんからその質問を受けるのは、とても不思議な気がします。『ヴォルテールのせい』(00)の時からフランスのジャーナリストたちが、私の作品をピアラに似ていると言うのですが、私はあまり観たことなかったんですね。『ポリス』(85)しか観てなかったのですが、アラブ人社会をちょっと差別的に描いていたので、あまりこの映画は好きではなかったから、その後は観ていなかったのです。しかし、モーリス・ピアラという人間に関しては凄く共感するところがあります。彼がパルムドールをとって、皆がブーイングした時、彼は凄く傷ついたのですね、その点に共感しました。その時、凄くいい人だなと思って、その後、『ヴォルテールのせい』でピアラと比較されたので、『ヴァン・ゴッホ』(91)と『われわれは一緒に年をとらない』(72)を見たのですが、それは凄く好きでした。ただ、『悪魔の陽の下に』(87)は僕自身は何も理解出来なかったんです、だからブーイングした人もきっと僕と同じように理解出来なかったんじゃないかなと思いますけれども。もちろん『われわれは一緒に年をとらない』という作品は『アデル、〜』の話のように別れを描いていますし、とても美しい作品だと思います。『ヴァン・ゴッホ』も美しいと思います、そこにはたくさんの真実があると思うんですけれども、私自身の作品と比べて何が共通項かというと、あまり見えないんですね、私自身が影響を受けているっていう風にはあまり思えない。モーリス・ピアラという人は人類であるとか社会に対して非常に批判的な眼差しを持っている人じゃないかなと思います、こう言って良ければ、殆どニヒリズムのような、そういうところが彼の中にはあるんじゃないかなと思います。私自身が影響を受けているとすると、もっと近しいのはクロード・ソーテですね、他にもたくさんいますけれど、一人だけ名を挙げるとすれば小津安二郎です。『身をかわして』(04)の時に、もう一度ピアラの作品と比べられたので、もう一度他の作品も観たんですけれども、演出にしてもテーマの扱い方にしても自分とよく似てるかなっていうと、あまりそこでは合点がいかない。もちろん素晴らしい作品ですけれども、しかも巨匠と比べられるわけですから、とても誇らしい部分があるので、「あ、似てますか、ありがとうございます」みたいな感じでしょうか。自分の中ではやはり決定的に違うのは、人類に対する視線がとても悲観的であるということで、それよりはクロード・ソーテの人物に対する暖かい眼差しの方に共感を覚えます。ただ、似てるって言われるのは、ひょっとしたらピアラと僕の人間性、社会に対して反発しているところが近いという風に混同されているのかもしれません。


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