『イエロー・ハンカチーフ』

上原輝樹
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刑務所から出たばかりの元服役囚ブレット(ウイリアム・ハート)が、ダイナーで何年か振りの冷たいビールを飲み、窓の外を行き交う若い男女の戯れを、とても眩しげに見つめる冒頭のシーンがとてもいい。ウイリアム・ハートは、本作の役作りのために、刑務所で懲役2020年の刑に服する男の隣の独房に入り、自分が犯した罪のすべてを詳らかに語るこの男の話に一晩中耳を傾けたのだというが、ハートの演技には、そうした役作りをするにあたって費やされたはずの苦労の痕跡らしきものは何一つ残っていない。冒頭のブレットから伝わって来るのは、とりあえずは出所したものの、まずはどこにも自分の居場所がない、その孤独感、そして、静寂にも似た一抹の開放感だろうか。その心の静けさの中でブレットは、とりあえずは川を下ることを考えている。

ふとしたきっかけから、ブレットは、ダイナーで若い男女ゴーディ(エディ・レッドメイン)とマーティーン(クリスティン・スチュワート)と知り合い、道中を供にすることになる。フェリー乗り場で船に乗り川を下ろうとしていた彼らは、突如降り出した豪雨のために足止めをくい、近くのモーテルで一泊することになる。このモーテルの女主人を、オリジナル版『黄色いハンカチ』(山田洋次/77)に出演していた桃井かおりが演じており、オリジナル版への明快なオマージュになっている。

prasad_02.jpgそのモーテルで、ゴーディが馬鹿げたテレビ番組に悪態をつく姿を見て、ブレットが思わず笑みをこぼす。何年も笑ったことがなかったというぎこちない微笑。素晴らしく抑制されたハートの演技に、見るものは自然と映画に引き込まれて行くことだろう。若い二人もとてもいい。ロバート・デ・ニーロが監督した『グッド・シェパード』(06)での好演が印象深いロンドン出身のエディ・レッドメインが、若い頃のブレットとだぶるような不器用な若者ゴーディを演じ、恋心を抱くマーティーンからウザがられる。ジョディー・フォスターに推薦されてこの役を射止めたというクリスティン・スチュワートが、『トワイライト』シリーズで一気に火がついた旬の女優らしい場違いな艶かしさで、ブレットとゴーディの不器用な生き方しか出来ない男の哀切を一層際立たせるが、そんなマーティーンも思春期の自分探しに悩む孤独な魂の持ち主だった。

この不揃いに見えて、どこか共通の孤独を抱える3人が、ブレットの服役によって別離せざるを得なくなっていた妻のメイ(マリア・ベロ)の幻影を追い求めて旅をするロード・ムービーでもある本作の魅力は、芸達者な役者たちの演技だけではない。ケン・ローチやスティーブン・フリアーズとの仕事で知られるイギリスの撮影監督クリス・メンゲスによる、桃井の再登場と共に画面に堂々と登場する"巨大ワニ"や"ヘビ"などのミシシッピ川流域に生息する動物たちや夜の闇を何重にもつつむ鳥や虫たちの鳴声、そして、ハリケーン・カトリーナの爪痕が残るニューオーリンンズの鬱蒼とした緑が生い茂る湿地帯特有の風土を捉えたロケーション撮影が、物語が進むにつれて独特の魅力を発散していく。

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日本ではあまりにも有名なオリジナル版を知るものにとっては、終盤の展開に今更驚きを期待することもなかろうが、この孤独な3人が、旅を通じてお互いの過去を、胸に秘めた自分の内面を、あくまで抑制されたトーンながらも徐々に曝け出していくことによってお互いが癒されていく、その人間らしい魂の回復のプロセスを、実に魅力的にドキュメントされたアメリカ南部の風物と共に、素晴らしい俳優陣の演技アンサンブルで楽しむことができるのが嬉しい。決して期待を裏切らない静かな感動を秘めた本作には、何かが決定的に失われてしまった9.11以降のアメリカにおいて、もはや失われてしまった<アメリカン・ビューティー>を外国人目線から懐かしむかのようなノスタルジックな詩情が濃厚に漂っている。


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『イエロー・ハンカチーフ』
原題:The yellow Handkerchief

6月26日より東劇他全国公開

監督:ウダヤン・プラサッド
製作総指揮:リリアン・バーンバウム
製作:アーサー・コーン
原作:ピート・ハミル
脚本:エリン・ディグナム
撮影:クリス・メンゲス
美術:モンロー・ケリー
編集:クリストファー・テレフスン
音楽:イーフ・バーズリー、ジャック・リプジー
出演:ウィリアム・ハート、マリア・ベロ、クリステン・スチュワート、エディ・レッドメイン

2008年/アメリカ/96分/カラー/シネスコ
配給:松竹

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『イエロー・ハンカチーフ』
オフィシャルサイト
http://www.yellow-handkerchief.jp/
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