『乱暴と待機』

浅井 学
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原作の本谷有希子演出の舞台『甘え』を見たことがある。舞台主演の小池栄子が「決して褒めない演出家さんなのでつらかった」とテレビ出演の際に言っていたが、本谷作品に通底すると感じていた"女性に対する厳しい視線といらだつ態度"を象徴するエピソードだと興味深く聞いたことを覚えている。

この映画の演出はもちろん冨永昌敬監督なのだが、「僕は同化しようと思ったんです。本谷有希子になろうと思ったんですから」と語っているように、本谷舞台の雰囲気が大胆に映画の中に組み込まれている。例えば、女優のセリフまわしに関して、相手を非難し問いつめる際(女性が女性に)の、映画のセリフとは思えない状況説明調で淡々と畳み掛けるという陰湿なテイスト(ちょっと怖い!)はまさに本谷節と呼ぶべきものかもしれない。浅野忠信、美波、小池栄子、山田孝之という個性的な俳優を揃えつつ、ここでも"しゃべり方"を軸にして過剰とも言える舞台劇風なキャラクターづくりが行われ、この映画に独特な間と空気を与えている。

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さて、無職の夫・番上(山田孝之)とスナックで生活費を稼ぐ妊娠中の妻・あずさ(小池栄子)の引っ越し先にいたのは、あずさの高校時代の天敵、奈々瀬(美波)。奈々瀬は挙動不審な男・英則(浅野忠信)と兄妹のフリをしながら同居していた。英則は屋根裏から奈々瀬をのぞくことを習慣している。そして、なぜか最も効果的な方法で奈々瀬に復讐をしようと日々考えていて、奈々瀬はその日を心待ちにしている。その内、当然のごとくダメ夫・番上が奈々瀬を口説いて男女関係になり、あずさの怒りが爆発し、様々な謎もからんで、4人の関係はさらにこんがらがっていく。

4人の人間関係の中で重要なのは、二人の対照的な女性、あずさと奈々瀬だ。奈々瀬は"弱い女"のシンボル。甘え上手でアピール上手。女性の敵と見なされ、陰口をたたかれてしまうタイプ。一方、あずさは、"強い女"、自立しものを言う。往々にして、女として"負け組"の烙印を押され、自分は常に損をしていると考え、"弱い女"を攻撃対象とする。時代は変わっているとは言え、属するコミュニティーの中で主体的立場に立つ男性に庇護され "やさしくされる"のは相対的に"弱い女"であるという苛立ち。ここに本谷的テーマが鎮座し、一瞬、男性の思考は置いていかれるかもしれない(この感覚はそれはそれで面白い体験なのかもしれない)。

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人間関係、仕事、結婚など、人生のあらゆる場面で"強い女"で生きていくことので受けるプレッシャーとリスクがどれほど大きなものなのかを体現するのは、身重ながらダメ亭主を養い、夫に浮気され一人激しく傷つくあずさなのだが、奈々瀬を見ていると"弱い女"で生きることも楽ではない....などと思ってしまうのは男目線?監督が男だから?この映画を見終わったカップル、あるいは女性同性でも、あずさと奈々瀬論、あるいは男女論がそこかしこで白熱することになるだろう(ケンカにならない程度に!)。

客観的に見ればこの映画の登場人物の中で"強い"人間など一人もいない。ひたすら持たれ合い、すれ違い、傷つけあいながらも、か細い人間の絆を求めてあがく。静寂とドタバタ、SだのMだの、4人の俳優陣によって意図的に生み出される不協和音によって、人間関係や日常空間が歪めていく独特な演出をぞんぶんに楽しみたい。

ポスタービジュアル(原作も)のイラストはヱヴァンゲリヲン新劇場版の監督・鶴巻和哉、主題歌は相対性理論と大谷能生。本谷有希子、冨永昌敬とゼロ年代カルチャーの牽引者がここでそろったのも"いま"の空気感をたっぷりと内包した映画なのだろう。


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『乱暴と待機』

10月9日より、テアトル新宿ほか全国ロードショー
 
監督・脚本・編集:冨永昌敬
原作:本谷有希子
撮影:月永雄太
音楽:大谷能生
主題歌:相対性理論と大谷能生
美術:安宅紀史
照明:斉藤徹
録音:高田伸也
整音・効果:山本タカアキ
出演:浅野忠信、美波、小池栄子、山田孝 他

2010年/日本/97分/カラー/ビスタサイズ/DTSステレオ
配給:メディアファクトリー/ショウゲート

©2010『乱暴と待機』製作委員会

『乱暴と待機』
オフィシャルサイト
http://ranbou-movie.com
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