『パティ・スミス:ドリーム・オブ・ライフ』

上原輝樹
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パティ・スミスは、

   アルチュール・ランボーの想像上の兄弟
   ウイリアム・S・バロウズ、アレン・ギンズバーグの弟子
   父と母の前でかつてのヒットソングを披露する親孝行な娘
   ステージでは獣のような表貌でシャウトするロックンロールニガー
   ジョージ・ブッシュを糾弾し、ジェシー・ジャクソンと抱擁する活動家
   かつての恋人サム・シェパードの前では今でも顔を赤らめる恋多き女
   プラダのコートとギャルソンのシャツを纏うアーチスト
   ユダヤの正装らしき風情でエルサレムを訪れるジューイッシュ

そして、何よりも止めどなく言葉が溢れ出る詩人。

スティーヴン・セブリングが11年間に及びパティ・スミスを撮影した『パティ・スミス:ドリーム・オブ・ライフ』には、分裂症的な現代に相応しいメサイアの如きパティの姿が収められている。本作は、パティ・スミスが、撮影を許した時のみセブリングを呼び寄せ、自らの姿と言葉をフィルムに定着させたものであり、監督のセブリングは、メサイアの言葉を伝える"使者<メッセンジャー>"の役割を献身的に演じている。そこから浮かび上がってくるのは、パティ・スミスの強烈なアーティスト・エゴだ。映画の中で、パティは、ボブ・ディランの伝説的なドキュメンタリー『ドント・ルック・バック』を引き合いに出し、これを観ていないステーィブンにダメ出しをし、その後で「撮影はここまで、止めて」という場面がある。後日、監督のセブリングは、その撮影の翌日にレニー・ケイに呼び止められ「あんた、誰?自分がどれだけラッキーか分かってる?」という屈辱的な言葉を投げかけられたと明かし、11年間に及ぶ撮影は、耐久と忍耐の訓練そのものだったと振り返る。

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そんなパティも、過去には多くのアーティスト、作家、詩人たちを崇拝してきた。前述したランボー、ボブ・ディランはもとより、ジム・モリソン、モディリアニ、ジョルジュ・バタイユ、ジャン・ジュネ、そして、ジャン=リュック・ゴダール。1995年にはボブ・ディランとのツアーを果たし、ソニック・ユースのサーストン・ムーアに、ゴダールの映画に出演依頼があったことを語っていたパティだが、ついにこの2009年ゴダールの新作『SOCIALISM』(※)に出演を果たしている。パティ・スミスは、そうした人々からの影響に身を浸し、世界と交わる。これは誤解を恐れずに言えば、女性的なしなやかさとでも呼びたくなるもので、年を重ねるにつれて硬直化していったり、早く死んでしまうことが多い男性のロック/パンク系ミュージシャンとは対照的な生命力の強さを感じざるをえない。

マーティン・スコセッシの映画が、彼が育った家庭環境の影響から、キリスト教カトリシズムの原罪、罪の意識に捕らえられるがあまりに過剰な暴力描写に走る傾向があるのと同じように、パティの詩にも宗教的/超越的な聖性への陶酔と、同時にその権威を否定する反逆者的傾向と処女性を陵辱する扇情的なエロティシズムが同居している。その相反するベクトルへと放射していくエネルギーのカオスが、ステージ上では、ロック/パンク・ミュージックの暴力性に導かれて爆発的なパフォーマンスを生み出す。2人のアメリカン・アーティストのこうした符号を見ていると、キリスト教の原罪コンプレックス=社会的/精神的抑圧がそもそも存在しなければ、欧米のロック/パンクが持つ暴力的なドライブ感も存在しなかったのではないかとすら思う。(そうした宗教的な土壌が希薄な日本では、だから、"低温のロックンロール"(伊坂幸太郎)しか鳴り響かないのか?)もちろん、その暴力性は音楽のみならず、社会全体に蔓延しているわけだが。本作でも、"Jesus died for somebody's sins but not mine.(ジーザスは誰かの罪で死んだ、それは私の罪ではない)"という、キリスト教の原罪コンプレックスそのものと言える言葉から始まる"Gloria"や"Land"のライブ映像にそうしたエクスプローシブな瞬間が捉えられている。

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"パティ・スミス"とは一体何なのか?それを知るには、CDやライブで彼女のパフォーマンスを見聞きするのが一番良いに違いない。だが、既に長年彼女の存在に触れて来た"ファン"を自認する者にとっても、今までCD、ライブ、書籍で目に耳にしてきた"パティ・スミス"とは確かに違うパティの姿をこの映画では垣間みることが出来る。多くのシーンに彼女の自己演出が入っていることに"ドキュメンタリー映画"として違和感を感じる者もいるとは思うが、それでも、彼女の口から勢い良く溢れ出てくる"詩人"の言葉にはひとつとして勿体ぶったものがなく、そうした言葉そのものが彼女自身なのだということを観るものは悟るだろう。この映画は、伝説に彩られた"パティ・スミス"の、本当の才能を、忍耐と奉仕の精神でフィルムに焼き付けた殉教者による"福音書"の如き鈍い光を放って私たちを不器用に魅了する。


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『パティ・スミス:ドリーム・オブ・ライフ』
原題:Patti Smith : Dream of Life

8月29日(土)、シアターN渋谷、シネマート新宿ほか全国順次公開

監督:スティーブン・セブリング
製作:スティーブン・セブリング/マーガレット・スミロフ/スコット・フォーゲル
撮影:フィリップ・ハント/スティーブン・セブリング
編集:アンジェロ・コラオ/リン・ポリト
出演:パティ・スミス、ジェイ・ディー・ドハーティ、フリー(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ)、フィリップ・グラス、レニー・ケイ、オリヴァー・レイ、サム・シェパード、マイケル・スタイプ(R.E.M.)、トム・ヴァーレイン、トニー・シャナハン、ジャクソン・スミス、ジェシー・スミス、ベンジャミン・スモーク

2008年/アメリカ/109分/カラー&モノクロ/アメリカン・ヴィスタ/ドルビーSRD
配給:トランスフォーマー

写真:© 2007 Educational Broadcasting Corporation and Clean Socks

『パティ・スミス:ドリーム・オブ・ライフ』
オフィシャルサイト
http://www.pattismith-movie.com/






































































(※)
ゴダールの新作"SOCIALISM"のティーザーが、"King of Pop" マイケル・ジャクソンへの追悼文(英語)と共に、パティ・スミスの公式サイトで公開されている。衝撃的に美しいYouTube映像はこちら。
パティ・スミス公式サイト
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