『わたしの可愛い人--シェリ』

矢野華子
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『わたしの可愛い人--シェリ』は、フランスの女流作家、コレットの初期代表作「シェリ」(1920)を下敷きとした作品である。スティーヴン・フリアーズ監督、クリストファー・ハンプトン脚本、つまり、18世紀のフランス貴族社会を舞台にした名作『危険な関係』(88)コンビによる新作だ。恋愛遊戯の華やかな魅力と喜び、そして虚しさが、今度は舞台を20世紀初頭に移して描かれる。

ベル・エポックのパリ、1906年、優雅な引退生活を送る元ココット(高級娼婦)のレア(ミシェル・ファイファー)は40代後半にして未だ美しさを保っている。同じく引退した同業者、マダム・プルー(キャシー・ベイツ)の一人息子のシェリ(ルパート・フレンド)は19歳。「シェリ」は仏語で「愛する」「最愛の」といった意で、英語なら「ダーリン」。レアは彼を子供の頃からそう呼んできた。富も若さも美貌も、私たちが憧れるすべてを持ち、それが故に空しさを抱えたシェリは、彼をそうさせた母親を嫌い、優しく接してくれる知的で美しいレアを慕ってきた。放蕩にふける息子の身を案じ、さらにはその諸経費に眉根を寄せていたマダム・プルーは、彼をレアに託す。かくして二人の生活が――男女としての、しかし浮世離れしたとしか言いようのない生活が始まった。富を得たココットが若い男性を囲うのは珍しい話ではなかったが、すぐ飽きるというレアの予想に反して六年が過ぎた。そして、突如彼女に一方的な別れが告げられる。

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ココット、ドゥミ・モンデーヌなどと呼ばれたレアの職業については、「ベル・エポック」「パリ」「女」と揃ったらこの方、仏文学者鹿島茂教授の素晴らしいパンフレット解説を参照されたい。「美貌と肉体に加えて知性と教養」が「最低条件」だった彼女らは自ら顧客を選ぶプライドを持ち、彼女らの最高峰と付き合うともなれば「小さな国の国家予算くらいの金額」が必要となった。最先端モードを着こなした彼女らの艶姿は、上流階級のマダム達にも羨望されることがしばしばだった。本作で象徴的に扱われるレアの真珠の首飾りは、彼女が男たちから得た富を明快に示している。リーズナブルな養殖真珠の本格的な普及は1910年代以降の話だから、これは希少な天然ものだ。真珠の色や大きさを揃える必要性のある首飾りは、大変高価だった。

モードといえば、本作の冒頭、1906年はモード史上のエポックとなった年でもある。この年、パリ・オートクチュールで初めて、それまで必需とされたコルセットを使わないドレスが発表された。それはすぐには一般には広まらなかったが、第一次大戦(1914‐18)後には大多数の女性がコルセットを捨てることになる。

本作でレアが着るのが、この最先端モードだ。ドライヴィング・スーツ、ラヴェンダー色のハイ・ウエストのドレス、グリーンのスーツ等、当時のモード満載である。コルセットがないと身体的には楽だが、それは体型を修正しづらいということでもある。ファイファーは既に50代だが、相変わらずのスレンダーな肢体、見事な着こなしでレアを体現している。マッサージをかかさず、招待ランチの後には夕食を節制するレアは、厳しい自己管理に挑み、実行している。仕事は引退してもまだ現役の「女」であり、過去に固執せず今を生き、楽しむ溌剌とした女性と見てとれる。自動車から金融の知識まで、新しい情報の入手にも抜かりはない。若い男性をも虜にする所以である。

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対照的に描かれているのがマダム・プルーだ。本作でも達者な演技に思わずうならせられる名女優ベイツには失礼ながら、中年太りとはかくあるべしという体型、コルセット、装飾過多なドレスという旧態依然とした姿。服装だけではない。二人が暮らす屋敷の装飾も、片や前世期の流行である豪華、重厚なネオ・ゴシック風、片や当時の流行様式である軽やかで優美なアール・ヌーヴォ(当時の大建築家ギマールによるヴィラ・メザラ。美麗!)と対照的である。甘ったれの、でも憎めない若者、シェリを間に時には協力し、時には火花を散らす二人の志向性の違いを視覚的に明快に表現し、さらにはベル・エポックの時代を私たちの目前に再現させてくれる見事な仕事だ。

さて、別れを告げられたレアは誇り高く、潔く身を引く。恋愛遊戯は一見彼女の敗北に終わるが、親子ほどの年の差を超えた恋愛に勝利したのは彼女だったことが、ラストに示される。この中年女性を勇気づけてくれる結末は、しかし私たちへのお愛想ではない。恋愛の多様性と深淵を見つめ続けてきたフリアーズ、ハンプトンの才が溢れる、秀逸なラストといえよう。

ところでかなり年下の男性との恋愛という分野は、ココットの独占場でもない。例えば『危険な関係』の舞台ともなった18世紀の貴族社会の裕福な未亡人たち、本作の原作者コレットの実生活。史実ではないが、あの『舞踏会の手帳』(ジュリアン・デュヴィヴィエ/37)だって、主人公の母性本能が喚起されてエンド・マークが出たその後、同様の話が展開したかもしれない。スキャンダラスかもしれないが、有り得る話なのだ。

と言いながら、私も年齢的には立派な中年女性だが、実は彼女らの気持ちは全く理解できない。美しいが何の経験もない若い男。遠くから眺めるのは楽しいが、なぜその世話を私がしなければならないの?彼らには恐縮だが、そんな面倒は願い下げ。母性本能?なくて結構!もっともレアのような富も美も持たない身なので、願ったとしても実現しないんですけど・・・。いや待てよ。もう少し年齢を重ねたら、私もそんな気になるのかも??

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『わたしの可愛い人--シェリ』
英題:CHERI

10月16日より、Bunkamura ル・シネマほか全国ロードショー
 
監督:スティーヴン・フリアーズ
脚本:クリストファー・ハンプトン
製作:ビル・ケンライト
共同製作:アンドラス・ハモリ、トレーシー・シーワード
撮影監督:ダリウス・コンジィ
美術:アラン・マクドナルド
メーキャップ:ダニエル・フィリップス
編集:ルチア・ズケッティ
音楽:アレクサンドル・デプラ
衣装:コンソラータ・ボイル 
出演:ミシェル・ファイファー、ルパート・フレンド、キャシー・ベイツ、フェリシティ・ジョーンズ、イーベン・ヤイレ、フランセス・トメリー、アニタ・パレンバーグ 他

2009年/イギリス、フランス、ドイツ/90分/カラー/シネマスコープ/ドルビーデジタル
配給:セテラ・インターナショナル

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『わたしの可愛い人--シェリ』
オフィシャルサイト
http://www.cetera.co.jp/cheri/
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