『ハーブ&ドロシー』

鍛冶紀子
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アートコレクターと聞くと自然と富裕層を思い浮かべる。アートと触れ合う機会は普くあれど、アートを「持つ」となると話は別だ。「観る」と「持つ」の間には大きな溝がある、漠然とそう思っていた。でもそれは、一方的な思い込みだったらしい。どうやらアートコレクターという名の門戸は誰にでも開かれていて、それをくぐるかどうかは個人の意志次第のようだ。実際、私たち一般市民でも買える価格のアートはごまんとある。とはいえ、だ。数あるお金の使い道の中から、アートを買うという道を選び、且つその道を歩み続ける人が、この世にどれくらいいるのだろう? このドキュメンタリーは、ごく普通のサラリーマンでありながら、稀代のアートコレクターとなった夫妻の話。

元郵便局員のハーブと元図書館司書のドロシーは、マンハッタンのアパートに住むごくごく普通の老夫婦。しかし、彼らこそが全米を驚かせたヴォーゲル・コレクションの主である。若かりしき頃、ハーブは独学で美術を学び、やがて自分でもアートを買い始める。とはいえ、ミドルクラスの彼らの手に届くのは、当時まだ市場価値の定まっていなかったミニマム・コンセプチュアルアートだった。二人はドロシーの収入で生活し、ハーブの収入で作品を買い続ける。作品選びの基準は、自分たちの収入内で買える値段であること、1LDKのアパートに収まるサイズであることの二つ。

彼らはとにかくアートを観て歩く。展示会を巡り、アーティストの元を訪ねる。そのエネルギッシュなことといったら! 彼らの生活の全てはアートとともにある。コツコツと買い集めた(時にはアトリエから拾ってきた)作品たちで、アパートは溢れかえり、床にも天井にもはたまたバスルームにもトイレにもアート、アート、アート。そのコレクションはやがて2000点を越える。蒐集当初は無名だったアーティストたちも今ではアート史に名を残すような大物となり、売ればその金額たるや数百万ドルと言われるほどに。でも、ハーブとドロシーにはコレクションを売るなんて発想は全くない。92年、彼らはコレクションをナショナルギャラリーに寄贈。投資目的でもなく、名声を得るためでもなく、ただひたすらコレクションを続けたハーブ&ドロシーの選択だった。

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本作はヴォーゲル夫妻の回想を元に、二人と縁の深いアーティストたちのインタビューを交えたドキュメンタリーだ。監督は佐々木芽生。ハーブ&ドロシーの逸話にも驚いたが、監督が日本人女性というのもまた驚きだった。テレビの世界にいた佐々木監督は、番組制作をきっかけにヴォーゲル夫妻のことを知り衝撃を受ける。「私が感じた衝撃は何なのか、ふたりの物語は、とても大切なメッセージを含んでいるのではないか」という想いから、撮影を開始。夫妻の元には、それまでも何件もの撮影依頼があったそうだ。夫妻側から断ることは一度もなかったが、みな制作資金の調達でつまずいた。その点、佐々木監督は夫妻の了承を得るやいなや、自分のデジカメで撮影を始めたという。結果、完成まで4年の歳月がかかり、資金調達のため莫大な借金も抱えた。それでもあきらめずに撮りつづけた監督の実行力には拍手を送りたい。20世紀のアート史を語るうえでも、アートとは何かを考えていくうえでも、ハーブ&ドロシーのドキュメンタリーは確かに撮られるべきものだっただろう。それを日本人女性が成し遂げたと思うと、勝手ながら誇らしい。

佐々木監督も言っているが、ハーブとドロシーの話は一見おとぎ話のようだ。いわゆる普通の人が慎ましい暮らしの中でアート作品を蒐集し、類を見ないコレクションを築き上げたという夢のある物語。だがスクリーンに映る彼らの姿はもっと生々しい。リチャード・タトルの作品を観ながら、「これがほしい」と譲らないハーブには、リンダ・ベングリスが言う「ハーブはいつも最高の作品を欲しがった。最低の金額で最高のものをより多く」「彼らがアトリエに来るのをいやがるアーティストもいた」という言葉の真を見る思いがするし、作品群に埋もれたアパートは、もはやコレクションを鑑賞する暮らしとはほど遠く、彼らのアートへの愛が、過剰なまでの執着心に見えてきたりもする。「ハーブ&ドロシー」が単なるおとぎ話に終わっていないのは、彼らは決してアートのためにコレクションを築いたのではなく、自分たちの楽しみのためにアートを買い、アートに夢中だから蒐集を続け、その結果がコレクションというひとつの形になったということを美化することなく描いているからだろう。

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ナショナルギャラリーの館長はヴォーゲル・コレクションのことを「大きな犠牲のもとにつくられたコレクション」と言ったそうだが、それは違うだろう。だって「買い手は大勢いたのになぜ売らなかったのか?」 という質問に、ハーブは即答しているのだ。「お金よりコレクションの方が大切だから」。 生涯をかけて夢中になれるものがあり、それらをただひたすら求め続ける。ヴォーゲル・コレクションは"犠牲のもと"などではなく、"豊かな人生の中でつくられたコレクション"と呼ぶにふさわしい。

本作は入り口こそアートだが、その実はハーブとドロシーの生き様を追った一本になっている。アート好きにはもちろんだが、より多くの人にご覧いただきたい。豊かに生きるとはどういうことか、考えるきっかけを与えてくれるだろう。


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■『ハーブ&ドロシー』トークショー
11月14日(日)14:00〜/ 18:30〜(予約制)
『ハーブ&ドロシー』の名シーンを観ながら、佐々木芽生監督が、その制作秘話を語る。

【2:00PM - Afternoon session】
 佐々木芽生監督 × 青山秀樹/ローゼン美沙子 (NEW TOKYO COMTEMPORARIES)
【6:30PM- Evening session】
 佐々木芽生監督 × 原田マハ(小説家/キュレーター)

・入場料:無料
・ホテル「LLOVE」2階 LLOVE THEATER

【予約はこちらから】
reserv.herbdorothy@gmail.com まで
メールタイトルを【14日代官山予約】、
メール本文に【氏名、人数、希望時間(14:00 or 18:30)】を記載し
送信してください。

*本編全編の上映会ではありません。計20分ほどの映像をご覧いただけます。
*当日は特別鑑賞チケット、オリジナルTシャツなどの販売もございます。

LLOVE http://llove.jp/
Twitter http://twitter.com/llove_tokyo





『ハーブ&ドロシー』
英題:HERB & DOROTHY

11月13日(土)より、シアター・イメージフォーラム他全国順次
 
監督・プロデューサー:佐々木芽生
エグゼクティブ・プロデューサー:カール・カッツ、キャシー・プライス
撮影監督:アクセル・ボーマン
編集:バーナディン・コーリッシュ
音楽:デヴィッド・マズリン
アソシエイト・プロデューサー:山崎健
撮影:ラファエル・デ・ラ・ルス、エリック・シライ、イアン・サラディガ、モーラン・ファロン
モーション・グラフィックス:エナート・ガヴィッシュ、バート・モス、ドナ・プレナー 
出演:ハーバート・ヴォーゲル、ドロシー・ヴォーゲル、チャック・クロース、クリストとジャンヌ=クロード、ロバート・マンゴールド、ローレンス・ウィナー、リンダ・ベングリス、河原温、リチャード・タトル、ソル・ルウィット 他

© Katsuyoshi Tanaka

2008年/アメリカ/87分/カラー/デジタル
配給:ファイン・ライン・メディア、TSUMUGU

『ハーブ&ドロシー』
オフィシャルサイト
http://www.herbanddorothy.com/
jp/index.html
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