『ジンジャーの朝 さよなら、わたしが愛した世界』

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自由の幻想が終わった処から、創作活動が始まる 
star.gifstar.gifstar.gifstar.gif 上原輝樹

サリー・ポッター監督の映画を見るのは、『オルランド』(92)の封切り以来、20年ぶりのことになる。彼女はその間に、タンゴの巨匠パブロ・ヴェロンとのダンスを披露したという『タンゴ・レッスン』(97)、第二次世界大戦前夜のパリを舞台にオペラ界の物語を描いたという『耳に残るは君の歌声』(02)、文化と宗教の違いを乗り越える男女の愛を、すべての台詞に韻を踏ませる手法で描いたという『愛をつづる詩(うた)』(04)といった作品を撮っている。こうして彼女のフィルモグラフィを眺めてみるだけでも、監督作品と平行して、ダンスやオペラの演出、音楽制作、詩作といった、映画監督以外の様々な創作活動に意欲的に取り組みながら、自らの映画に他分野のエッセンスを体験的に取り込んで来た、表現に対するアグレッシブな姿勢を見て取ることができる。

2009年製作の日本未公開映画『Rage』は、音楽をフレッド・フリスとポッター自らが手掛け、スティーブ・ブシェミ、ジュード・ロウ、ジョン・レグイザモ、ダイアン・ウィースト、ジュディ・デンチ、リリー・コールといった、まずまずのキャスティングを揃えた、NYコレクションの舞台裏で起きた殺人事件からファッション業界の裏側を描いたという作品ながら、トレイラーを見る限りでは、俳優陣演じるファション関係者が、フィックスのキャメラに向かって語りかけるというスタイルのインタヴュー映像で全編が構成されているらしく、その野心的な試みは見事に失敗しているようにしかみえない。サリー・ポッター監督の貪欲なまでの表現欲がひとつの頂点にまで達したのが、この『Rage』という作品だったのかもしれない。

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そこまで一度、針を振り切った後の作品と思えば、『ジンジャーの朝』のシンプルさは大いに合点が行く。サリー・ポッター監督が撮る画の美しさは、『オルランド』で既に証明済みだが、ロネ・シェルフィグの『17歳の肖像』(09)とほぼ同じ時代である、1962年のロンドンを舞台に、スモーキーなブルー&グリーンをキューバ危機に直面する"世界"の基調色とし、話しの分るリベラルな教育者(ティモシー・スポールとオリヴァー・プラットが好演)が教える学校とエル・ファニングの髪色である赤/ブラウン系の配色をナチュラルにコントロールした映像は、凛とした美しさに貫かれている。『17歳の肖像』同様、ビートルズ誕生前夜のロンドンを舞台にした本作のアトモスフィアを決定付けているのは、サウンドトラックに使われているジャズだ。ポッター監督が自ら選曲したという、チャーリー・パーカー、シドニー・ベシェ、ジャンゴ・ラインハルト、セレニアス・モンク、マイルス・デイビスといったジャズ・ジャイアンツの名演奏を、ちゃんと"聴かせて"くれる使われ方をしているところが嬉しい。

撮影は、スティーブン・フリアーズの新作『Philomena』(13)も手掛けているロビー・ライアン、編集は、『ドライヴ』(11)がブレイクしたニコラス・ウィンディング・レフンの父でもあるアナス・レフン、プロダクション・デザインのカルロス・コンティは、ポッター監督との仕事も多いが、『ベティ・ブルー/愛と激情の日々』(86)、『ロザリオとライオン』(89)、『モーターサイクル・ダイアリーズ』(04)、『オン・ザ・ロード』(12)などの仕事でも知られる名匠だ。そして、スピルバーグの時代物『戦火の馬』(11)と『リンカーン』(12)で衣装デザインの一部を担った若手ホリー・ワディントンが、60年代ロンドンのクールでスモーキーな雰囲気を伝える衣装を仕上げている。本作の魅力的なルックを創り上げる上で、美術のカルロス・コンティと衣装のホリー.ワディントンの貢献度はかなり高いはずだが、この作品を貫く"世界"に対する危機感という漠然とした感覚を、自らの思春期に重ね合わせて、内面からリクリエイションし、ある種の"親密さ"を物語全般に行き渡らせるポッター監督の脚本が素晴らしい。

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主人公の通称"ジンジャー"(エル・ファニング)は、十代の高校生で、仲良しのローザ(アリス・イングラート)といつもつるんでいる。平和運動活動家であり教師の父親ローランド(アレッサンドロ・ニヴォラ)と、画家志望だったがジンジャーを産んでからは主婦として家庭を支えるようになった母親ナタリー(クリスティーナ・ヘンドリックス)を両親に持つ彼女は、知的好奇心が旺盛で想像力にも長けている、T・S ・エリオットの詩集を読み自ら詩作にも興じる文学少女だが、ある日、ラジオで"キューバ危機"について知り、反核活動に身を投じてゆくようになる。一方、仲良しのローザは、"核の脅威"よりも、男性の目線が気になる、"普通に"奔放なティーンエイジャーである。

エル・ファニングに負けず劣らず素晴らしい、ローザを演じるアリス・イングラートは、母親がジェーン・カンピオン監督というサラブレッドだが、彼女が魅力的であること、それ自体が、本作のストーリーの信憑性を担保しており、その意味でアリス・イングラートの魅力の有無に本作の正否が懸かっていると言っても過言ではない。見るものをうっとりさせるような、少女同士の夢のように美しい時間を過ごすジンジャーとローザ(原題は『Ginger and Rosa』)だったが、異性への興味の有無を契機に、二人の仲睦まじい関係にも亀裂が生じてゆく。

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ジンジャーとローザの関係が崩れてゆくのに歩を合わせるように、ジンジャーの両親の不仲も表面化してゆく。"父親"や"夫"であることよりも、飽くまで"自由"な一個人であることを、周囲と軋轢を起こしてまで貫こうとするローランドという男の人物像がとても上手く描かれている。ローランドは、個人主義の果てにある"倫理"という大きな壁とどのように向き合うだろうか。ジンジャーは、父親ローランドの颯爽とした生き方に啓発されながら、一方で、それでも人は、何かを信じなければ生きて行けないのではないかという"実存"に関する疑念を抱いている。"キューバ危機"の煽りを受けて"世界"に対して感じてゆく"不安"と複雑な家庭環境の中で嵩じてゆく自らのアイデンティティに対する"不安"、2つの"不安"はジンジャーの中で一体化し不可分なものになってゆく。そして、世界の危機と自らのアイデンティティの危機、そうした外来の危機に揺さぶられながら、彼女は自らの性の目覚めを自覚してゆく。ジンジャーのローザに対する複雑な感情は、スーザン・ソンタグの死後に発表された日記「私は生まれなおしている」をも想起させる、美しい余韻を見るものに残すだろう。

加えて興味深いのは、ポッター監督の自伝的要素であると思われる"詩人"の誕生についての内省が、ここで語られていることだ。かつて、柄谷行人は蓮實重彦との対談で、大江健三郎の"特殊な能力"について、以下のように語ったことがある。「スティグマタ(聖痕)という現象が宗教にはありますね。信仰が信仰にとどまらないで、身体的にでてきてしまう。大江健三郎の場合は、それに似ている。~中略~ ふつうの進歩派は、ただ頭の中で原爆はこわいと思っているけれども、本気でおびえてやしない。だから、その種の運動は政治的だし、偽善的なものですよ。しかしあの人はまさに恐怖するわけね。恐怖する能力があるんですよ。」(現代思想1977年5月号「文学・言語・制度/柄谷行人と蓮實重彦との対談」より)劇中で、結局は本気で"原子爆弾"を恐怖していたわけではない、活動家の二人(アネット・ベニングの太い声の演技が秀逸だった、女性活動家メイ・ベラとジンジャーの父親ローランド)が間違いなく"政治的"に振る舞っているに過ぎず、少なくとも、その内の一人は"偽善的"であるとすら言ってよいだろう。

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それでは、この本気で"恐怖する能力"がジンジャーには備わっていたのかというと、ポッター監督は、最後の最後で曖昧にしているのだが、少なくとも、そこでは一人の詩人の誕生を描いている。丁度、それは、ジャック・ケルアック(サル・パラダイス)が「路上」を書くまでの道程を描いた『オン・ザ・ロード』と、文学誕生の起源、作家誕生の起源を遡行する試みとして符合しており、全ての物事が世知辛くも即物的に激動する21世紀において、創造的行為の内省性に今一度立ち返る、スクリーン越しの時ならぬ奇妙な共鳴に魅了される思いがする。


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Comment(1)

Posted by PineWood | 2015.06.03

ソフィア・コッポラ監督の(somewhere )の可愛いエル・ファニングが成長した姿をみるだけでも興味深い映画。日本でも、3.11以後、脱原発デモなど若者が社会にコミットメント機会が増えたが、ジンジャーの場合も、反核デモに社会参加する中で、友情、恋愛、家族との亀裂など 青春の葛藤が劇的だった。身体の成長と心の成長が彼女に詩人の魂を宿すことになるのだろう!

『ジンジャーの朝 さよなら、わたしが愛した世界』
原題:Ginger & Rosa

8月31日(土)より、シアター・イメージフォーラムにてロードショー
 
監督:サリー・ポッター
製作:クリストファー・シェパード、アンドリュー・リトヴィン
製作総指揮:レノ・アントニアデス、アーロン・L・ギルバート、ゲッツ・グロスマン、ハイディ・レヴィット、ジョー・オッペンハイマー、パウラ・アルヴァレス・ヴァッカーロ
脚本:サリー・ポッター
撮影:ロビー・ライアン
プロダクションデザイン:カルロス・コンティ
衣装デザイン:ホリー・ワディントン
編集:アナス・レフン
出演:エル・ファニング、アリス・イングラート、アレッサンドロ・ニヴォラ、クリスティナ・ヘンドリックス、ティモシー・スポール、オリヴァー・プラット、ジョディ・メイ、アネット・ベニング

© BRITISH FILM INSTITUTE AND APB FILMS LTD 2012

2012年/イギリス・デンマーク・カナダ・クロアチア/90分
配給:プレイタイム

『ジンジャーの朝 さよなら、わたしが愛した世界』
オフィシャルサイト
http://www.gingernoasa.net/
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