『L.A.ギャングストーリー』

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観客を不快にさせない、
娯楽映画の素晴らしさ
star.gifstar.gifstar.gifstar.gif 上原輝樹

ショーン・ペン演じるミッキー・コーエンが、アル・カポネが牛耳るシカゴから差し向けられたギャングの体を真っ二つに裂く残虐なリンチシーンから始まる本作は、1949年のロサンジェルスを舞台に、麻薬や銃、売春といった裏稼業で荒稼ぎをし、警察の主だった幹部を賄賂で買収することで、この街を支配しつつあったギャング、ミッキー・コーエンと、街の治安を回復すべくコーエンに対して超法規的な"戦争"を仕掛ける"ギャングスター・スクワッド"との熾烈を極める戦いを描く、痛快な娯楽作品である。残虐シーンが映画冒頭から登場して、"目には目を"の発想でギャングに戦争を仕掛けるような野蛮な映画を、21世紀の今、"痛快な娯楽映画"などと呼ぶことが出来るのは、この作品の演出をルーベン・フライシャーが手掛けているからだ。

『ゾンビランド』(09)、『ピザボーイ 史上最凶のご注文』(11)において、既存のジャンル映画にポストMTV世代ならではのポップなエッジとアメリカン・サバービアのリアルな脱力感を同居させ、グラフィックノベルやカートゥーン由来のモーション・グラフィク的センスをスクリーンに軽快に息づかせてきたルーベン・フライシャーは、"ギャング映画"という先人の傑作が群雄割拠する分野において、フィルムノワールに敢えて背を向け、ルーベンならではの軽さとスピード感、クリアなデジタルな画の質感といった、21世紀ならではのデジタル撮影の利点を戦略的を駆使することで、"血塗られた抗争の歴史"を"痛快な娯楽映画"に仕上げることに成功している。

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映画は、冒頭からプロボクサーを目指したこともあるというミッキー・コーエンの腕っ節の強さと悪行三昧を直載に描き、それを伝えるボイスオーバーのナレーションに続く「善人は悪行を見ても見ぬフリをする。だが、俺はコーエンなど屁とも思わない。」という決め台詞と共に、声の主であるジョシュ・ブローリンが颯爽と登場するオープニングシークエンスから軽快なリズムで走り始める。コーエンの悪行に続いて描写される、ジョシュ・ブローリン演じるオマラの荒くれ刑事ぶりも、見事なまでに"暴力シーン"のオンパレードだが、そのケレン味たっぷりの描写に、不快感を感じることはない。

残虐性を保ちつつも適度にキャラクタライズされたショーン・ペンのミッキー・コーエンと相対するオマラを演じる、ジョシュ・ブローリンの存在感、身体の重量感、顔の造作と表情、全てが素晴らしい。第二次大戦でナチスドイツと戦い勝利を収めて帰国した戦争ヴェテランのオマラは、ロス市警の中でも孤高の荒くれものだったが、ニック・ノルティが演じるパーカー本部長から、晴れて"ギャングスター・スクワッド"結成の隠密指令を受け、チームを率いるようになると、水を得た魚のように輝きを増してゆく。この時期のLA市警には、"ギャングスター・スクワッド"の他にもハット・スクワッドやインテリジェンス・スクワッドなど、幾つもの特殊部隊が存在していたことが知られているが、軍の核実験にまつわる陰謀と対峙するLA市警ものの佳作『狼たちの街』(96)では、ハット・スクワッドのリーダーをニック・ノルティが演じていたことも想起される。

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『七人の侍』(54)よろしく、"ギャングスター・スクワッド"のメンバーが集められてゆく、そのプロセス自体も大きな見所になっている。中でも個性が際立っているのが、早撃ちの老カウボーイ、マックス・ケナードを演じるロバート・パトリックと、オマラの同僚の優男ジェリー・ウィンターズを演じるライアン・ゴズリングのふたりだが、とりわけ、ライアン・ゴズリングのジェリーは、浮かれたパナマハット姿で優雅に登場し、ふわふわと撓垂れた発話で喋る念の入った役作りで観る者を楽しませてくれる。世の中に対する諦念から優男に甘んじ、対ギャング戦争に乗り気ではなかったジェリーも、顔馴染みの少年が殺される事態を目の当たりにし、スクワッドに加勢することになる。

ジェリーが、ミッキー・コーエンの息のかかったナイト・クラブ「スラプシー・マキシーズ」で見初めた、ミッキー・コーエンの情婦グレイス・ファラデーを演じるエマ・ストーンが、文字通りの紅一点で本作に華を添えている。ジェリー、コーエン、グレイスという危険なトライアングルが物語の後景で緊張の糸を張り巡らせてゆく、ロマンスとスリルが交錯する展開は、"ギャング映画"の定型と言ってよいだろう。ルーベンの長編処女作『ゾンビランド』で主演女優を務めていたエマ・ストーンは、今や押しも押されぬスター女優だが、個人的には、出演予定であるというウディ・アレンの最新作がとても楽しみだ。

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見事なリズムでアクションと勧善懲悪的物語を展開してゆく『L.A.ギャングストーリー』は、心理劇的リアリズムに多くの時間を割こうとはしないが、感情面において2つの伏線が張られている。ひとつは、この街で暮らしてゆく我が子の将来を案じてスクワッドに参加することになった電子工学の専門家コンウェル・キラー(ジョヴァンニ・リビシ)の家族の描写であり、もうひとつが、オマラの妻コニーの存在だ。コニーを演じるミレイユ・イーノスが素晴らしく、彼女がスクリーンに登場すると乾き切ったロスの街の湿度が上がる。怖いもの知らずで暴走する夫オマラと、彼との間に授かろうとしている生まれてくるはずのお腹の中の子どもを案じて、彼らの無事を願うコニーの気持ちが、この映画において観客の涙腺を刺激する唯一の普遍的エモーションであると言って良い。

コニーは、最初は、オマラの向こう見ずな行動に怒りを隠さないが、生まれてくる子どもの未来を考え、夫への信頼もあったのだろう、結局は、"ギャングスター・スクワッド"の人選を助けることになる。そして、コーエン一味と"ギャング・スクアッド"の戦いは、自らの家族をも巻き込んだ熾烈なものになっていく。しかし、ここで勃発する"暴力"は、基本的に対等な力関係において行使され、時として、その関係が対等(フェア)でない場合に生じた不均衡は、物語の時間の流れの中でいずれ回収されてゆく。その過不足のないストーリーテリングのフェアネスが、本作の "正義"を担保している。

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そして、本作の"暴力"が不快に感じられないもう一つの要因として、毎回3時間掛けて作られたという、ミッキー・コーエンに変身するショーン・ペンのメイキャップを挙げておきたい。ショーン・ペンのメイキャップは、『ディック・トレイシー』(90)のアル・パチーノの時のように実写映画として正視に耐えない作りモノに陥ることなく、リアリズムから遠く離れたグラフィックノベル的平坦さにおいて、適度なカリカチュアされたバランスを獲得しており、21世紀的な映画表現領域の中で戯れる軽さを"ギャング映画"というジャンルに滑り込ませる、ルーベンのアクロバティックな演出を陰で支えている。

それにしても、題材が題材だけに、本作における観客に不快感を与えないための配慮は並外れている。入念に検討されたに違いない、的確なリズムを作り出してるカット割り、スタイリッシュにグラフィカルに施された視覚効果、繊細なサウンド処理、あらゆる技術とセンスを動員して、観客を不快にさせないという職人芸の素晴らしさが"映画"には存在していることをこの作品は教えてくれる。たとえ、それが、2012年7月20日にコロラドで起きたオーロラ銃乱射事件の余波で、この作品の幾つかのシーンが削られ、再撮影と再編集を迫られ、その結果、必要以上の警察賛美のシーンが加えられたのだとしても、その事が作品の魅力を本質的に削ぐことにはなっていないように思える。そうした逆境を乗り越えて、スクリーンに颯爽と登場した本作の軽やかさを大いに祝福したい。


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『L.A.ギャングストーリー』
原題:GANGSTER SQUAD

5月3日(金)全国ロードショー
 
監督・製作総指揮:ルーベン・フライシャー
脚本:ウィル・ビール
原作・製作総指揮:ポール・リーバーマン
製作:ダン・リン、ケビン・マコーミック、マイケル・タドロス、
製作総指揮:ブルース・バーマン
撮影:ディオン・ビーブ
美術:メイハー・アーマッド
編集:アラン・ボームガーデン、ジェイムズ・ハーバート
衣装:メアリー・ゾフレス
音楽:スティーブ・ジャブロンスキー 
出演:ジョシュ・ブローリン、ライアン・ゴズリング、ショーン・ペン、ニック・ノルティ、エマ・ストーン、アンソニー・マッキー、ジョヴァンニ・リビシ、マイケル・ペーニャ、ロバート・パトリック、ミレイユ・イーノス、サリバン・ステイプルトン、ホルト・マッキャラニー

© 2012 VILLAGE ROADSHOW FILMS(BVI)LIMITED

2013年/アメリカ/113分/スコープサイズ/[35mm]全6巻/ドルビーSRD+DTS+SDDS
配給:ワーナー・ブラザース映画

『L.A.ギャングストーリー』
オフィシャルサイト
http://wwws.warnerbros.co.jp/
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