『NINE』

上原輝樹
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フェデリコ・フェリーニの『8 1/2』(63)に惚れ込み、マルチェロ・マストロヤンニが演じた悩める映画監督グイドのキャラクタをそのまま受け継ぎ、『8 1/2』にダンスと音楽を加え、ミュージカル作品『NINE』としてフェリーニ作品への愛を昇華させたモーリー・イェストン(楽曲・作詞)は、出来上がった脚本をフェリーニ監督本人に見せてお墨付きをもらい、ブローウエイでの上演へと漕ぎ着けた。1982年に主演ラウル・ルイスで開演した『NINE』は、現在に至るまでロングランを続ける大ヒットミュージカルとなり、ジョニー・デップもニューヨークへ行く度に見に行くのだという噂もまことしやかに囁かれている。そのミュージカル『NINE』が、豪華キャストでロブ・マーシャル(『CHICAGO』(02)、『SAYURI』(05))によって映画化された。

映画は、スランプに陥った映画監督グイドの、素晴らしい映画作品を創るということは如何に至難の技かという事を記者会見で語るフラッシュバックのシーンから始まる。映画製作のあらゆる段階において、失敗がいかに不可避であるかということ、そして、そうしたあらゆる危機を乗り越えてイメージを焼き付けられたフィルムが、本当に輝くことが出来るかどうかの瀬戸際は、"編集"の段階にあるのだという、グイドの映画論が語られる冒頭は、それが当代随一の名優ダニエル・デイ=ルイスによって語られるだけあって、さすがの説得力で見るものを引き込むだろう。

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映画の舞台は、1962年のローマ、チネチッタスタジオ。映画のファーストシーン、脚本の1ページ目をどのように始めるべきか、そのアイディアすら浮かばず苦悩するグイドの前に、恩寵のように闇の中からグイドの人生を鮮やかに彩る女性たちが次々に現れる。いつしかそこには、瀟酒なステージが組まれ、シーンは豪華女優陣のレビューへと様変わりしている。グイドのミューズ、スター女優のクラウディア(ニコール・キッドマン)、最愛の妻ルイザ(マリオン・コティヤール)、妄想を何でも実現してくれる愛人カルラ(ペネロペ・クルス)、グイドの良きアドバイザーでもある衣装デザイナーのリリー(ジュディ・デンチ)、ヴォーグ誌の記者、若さでグイドを誘惑するステファニー(ケイト・ハドソン)、少年時代、9歳のグイドに性の目覚めを教えた娼婦サラギーナ(ファーギー)、そして、母性の国イタリアにおいて全てを支配するママ(ソフィア・ローレン)、この女優陣の豪華さはやはり尋常ではない。別格のソフィア・ローレンを別として、ハリウッドのキャスティング戦争を勝ち残ってきただけのことはある。

ダニエル・デイ=ルイスが演じた主役グイドの役は、当初、ハヴィエ・バルデムが配役されていたが、ハードワークについていけずドロップアウトしたこと、ニコール・キッドマンが演じたクラウディア役は、当初、キャサリン・ゼタ=ジョーンズが配役されていたが、役の"大きさ"を巡って監督と衝突し、プロジェクトを去ったこと、愛人カルラの役は、レニー・ゼルヴィガーが第一候補とされていたが、ペネロペ・クルスがオーディションで役を勝ち取ったこと等々、IMDBのトリヴィアを覗くと業界モノ『NINE』に相応しく幾多の製作舞台裏話が掲載されている。

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しかし、本作の最大の見所は、これら豪華女優陣の競演!というよりも、名優ダニエル・デイ=ルイスの存在そのものと言うべきだろう。悩める映画監督グイドが、記者の質問への回答に窮して会見を脱走するシーンやステージでの(年齢を考えると尚更)驚くべき軽やかな身のこなし、そして、かつてイタリア映画やフランス映画を見て、登場人物のファッションに憧れるというアナクロニズムを久々に喜びと共に甦らせてくれる魅力的なルックといったものが、ダニエル・デイ=ルイスという希有な俳優の存在を得て、夢物語的次元の精神年齢9歳実年齢50代の伊達男キャラに結実した。

加えて、『パブリック・エネミーズ』のデリンジャーの妻役の感動が冷めやらぬ"悲劇の妻"が、本作にもそのまま引き継がれたかのようなマリオン・コティヤールの感動的なパフォーマンスが忘れ難い。彼女が、画面に登場するや否や、一瞬にして感情の嵐が画面に漲る。その秘密は、やはりあの大きな瞳にあるに違いないのだが、彼女が瞳を潤ませたその瞬間、映画に生々しい感情が溢れ出す。このマテリアリズムと空騒ぎに満ちた本作の中で、数少ない生身の人間のリアリティが感じられる瞬間である。

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本作の舞台設定である60年代のイタリアをある程度の時代考証に基づいて再現しなければならないという映画の写実主義的なモラルを、『SAYURI』の監督に求める気は始めからないが、19世紀末のパリ、モンマルトルに登場し"ムーラン・ルージュ"と並んで歓楽街を盛り上げた有名なミュージック・ホールの古き良きエンターテイメントの精神をジュディ・リンチが謳い上げる「フォリー・ベルジュール」にしろ、ケイト・ハドソンが歌う「ビー・イタリアン」にしろ、極北の革命思想家・映画作家ギィ・ドゥボールが1967年に残した著作に因んで、「スペクトルの社会」からの逆襲とでも呼びたくなるような時代錯誤が、本作には蔓延している。名高い絵画作品「フォリー・ベルジュールの酒場」がゴダールの『(複数の)映画史』にシネマトグラフの潜在的な先駆的作品として引用されたエドワード・マネや、まさにそのダンスの官能性を捉えた傑作『フレンチカンカン』(54)のジャン・ルノワールといった名前、そして、『甘い生活』(60)、『イタリア式離婚狂想曲』(61)等の60年代イタリア映画で描かれたパーティーの狂躁とアフターパーティーの倦怠といったヨーロッパ映画の頽廃とは無縁のまま、映画『NINE』は観客を圧倒的な迫力でねじ伏せようとしているかに見える。

映画は、最愛の妻ルイザの愛を失ったグイドが、最後にその失った愛を取り戻すべく失意のどん底から立ち上がり、再び自分の映画を撮り始めるというところで終わる。映画の冒頭で、いみじくもグイドが、いかに傑作映画を作りだすことが難しいかと語った映画論の正しさを、図らずも本作自ら証明してしまう、そのプロセスを我々観客は、今、正に目にしていたのだ。グイドが最後に「スタート」と言って撮影が始まる新たな映画は、場合によっては見るべき作品になるのかもしれないとの予感を孕みつつも、我々観客は永遠にその作品を目にすることはできないという最大の皮肉とともにこの映画はエンドマークを迎える。


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Comment(1)

Posted by PineWood | 2015.05.09

ミュージカル映画は(チキチキ・バンバン)(ハロー・ドーリー)など名画座で見て、学園時代に1日、幸福感にひたったものだ。フェリーニの名作がミュージカルになり、マリオン・コテヤールがしっとりとした、いい持ち味を出しているとなれば見ない訳にわ行かないし、フェデリコ・フェリーニ監督の創作の秘密の一端がモノクロの(8 1/2)とは違った形で表されていた♪
最近、午前十時の映画祭で久々に(小さな恋のメロデイ)を見ましたがビージーズの音楽が懐かしく、また学園もののミュージカルに(ダウンタウン物語)があったなあと記憶のフラッシュ・バック!

『NINE』

3月19日(金)ロードショー

監督:ロブ・マーシャル
脚本:マイケル・トルキン、アンソニー・ミンゲラ
作詞・作曲:モーリー・イェストン
原案:アーサー・コピット
製作:マーク・プラット、ハーヴェイ・ワインスタイン、ジョン・デルーカ、ロブ・マーシャル
製作総指揮:ライアン・カヴァノー、タッカー・トゥーリー、ボヴ・ワインスタイン、ケリー・カーマイケル、マイケル・ドライヤー
撮影監督:ディオン・ビーブ、ASC、ACS
美術:ジョン・マイヤー
編集:クレア・シンプソン、ワイアット・スミス
衣装:コリーン・アトウッド
振付:ジョン・デルーカ、ロブ・マーシャル
楽曲:モーリー・イェストン
オリジナル・スコア:アンドレア・グエラ
キャスティング:フランシーヌ・マイスラー
出演:ダニエル・デイ=ルイス、マリオン・コティヤール、ペネロペ・クルス、ジュディ・デンチ、ファーギー、ケイト・ハドソン、ニコール・キッドマン、ソフィア・ローレン

2009年/アメリカ/カラー/シネマスコープ/SRD、DTS/118分
配給:角川映画、松竹

©2009 The Weinstein Company. All Rights Reserved.

『NINE』
オフィシャルサイト
http://nine-9.jp/
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