『ビル・カニンガム&ニューヨーク』

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こんな人生があるなんて!まるでフィクションのようなノンフィクション
star.gifstar.gifstar.gifstar.gifstar.gif 鍛冶紀子

これはビル・カニンガムという類い稀なる人物を追ったドキュメンタリーだ。彼が何者であるかを知らずとも、このドキュメンタリーは観る者を楽しませ、深い感銘を与えるだろう。

ファッションの世界にいる人は別として、多くの日本人にとって「ビル・カニンガム」の名は決して馴染みのあるものではない。彼はニューヨーク・タイムズに「ON THE STREET」というファッションコラムと「EVENING HOURS」という社交コラムを長年連載している名物ファッション・フォトグラファーだ。私たちがファッション雑誌でよく目にする「ファッション・スナップ」は、彼のコラム「ON THE STREET」を元祖としている。

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撮影当時、ビル・カニンガムは御歳82歳。ニューヨークのストリートスナップを撮り続けて50年になるという。言わばファッション界の重鎮なのだが、その実生活は謎に包まれていたそうだ。本作を観るとその理由がよくわかる。ビルはそういう人だ。リチャード・プレス監督はビルを説得するのに8年を費やしたという。8年も!と思うかもしれないが、本作を既に観た者から言わせれば、「歳月の長さはさて置いて、よくビルが撮影を許可したな」というレベル。それほどに、彼は自己顕示や名誉への欲といったものからかけ離れたところに居る。

だからこそ、本作が撮られたことには大きな意義がある。この作品が世に送り出されなければ、私たちはビル・カニンガムという人物を知ることなく終わったし、彼の人生観や仕事との向き合い方が記録に残されることはなかったであろう。それはもはや人類の損失といっても過言ではないかもしれない。戦後、ファッションは大衆のものとなり、やがて巨大な産業となる。メディアとの結びつきが強くなるにつれ、ファッションはセレブとセットで語られることが多くなった。多くのカメラマンがセレブにカメラを向ける中、ビルは「最高のファッション・ショーは常にストリートにある」を信念に、毎日ニューヨークの街へ出る。

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「無料で着飾った有名人に興味はない」「大女優を撮らない大バカと言われようが、撮るかどうかはファッション次第だ」「パーティ取材での目的はニューヨーク・タイムズ紙の取材であり、飲み食いじゃない。ニューヨーク・タイムズ紙の看板も汚せない。だから決めた、水一杯も口にしないとね。食べてから行く、それだけのことだ。置かれた状況と距離を置くとより客観視できる」

ビルのこの「在り方」がどれだけ難しいことかわかるだろうか?公正であることの難しさ、欲をかかないことの難しさ、自分に正直であることの難しさ。大人なら一度はそれら難しさに直面し、折れた経験があるのではないか?そんなビルに信頼を寄せる人は数多い。あのアナ・ウィンターもってして「私たちは毎朝、ビルのために着るのよ」と言わしめる。

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50年に渡って撮り続けたファッションスナップは、もはやファッション史の貴重な資料と言える。フィルムは全てキャビネットに納められ、彼の住居を占拠している。ビルは50年もの間、カーネギーホールの上にあるスタジオアパートに暮らしてきた。そこはかつて多くのアーティストが入居していたが、今ではビルと"カーネギーホールの女公爵"の別名を持つ女性カメラマン、エディッタ・シャーマンが暮らすのみとなっている。というのも、カーネギーホールには改築計画があり、彼らの住居であるスタジオアパートは取り壊される運命にあるのだ。このドキュメンタリーには二つの側面がある。ひとつはビルとファッションについて。もうひとつがこのカーネギーホールとビルとエディッタについてだ。

エディッタ・シャーマンその人と、エディッタ・シャーマンのスタジオ、そして若かりし頃の彼女が踊る「白鳥の湖」を目撃するだけでもこの映画を観る価値は十分にある。70年代、エディッタはアンディ・ウォーホールのミューズだった。「白鳥の湖」はウォーホールのお気に入りだったらしい。日本ではあまり話題にならなかったが、カーネギーホールの改築は様々な議論を生んだようだ。1941年以来そこに暮らし続けるエディッタ(撮影当時、御歳100歳!)は当然ながら退去を拒み、その動向は注目を集めた。そんな最中に撮影されたこともあり、本作はスタジオアパートメントの最後の姿を捉えた貴重な資料としての側面を持つこととなった。繰り返すようだが、エディッタのスタジオは一目の価値がある。広い窓にツートンの床、壁一面のポートレイト、デコラとモダンが融合したあのすばらしい空間がもはやないと思うと残念でならない。

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その一方でビルの部屋はというと、とにかくキャビネットの山!家具の類いは唯一ベッドがあるくらい。彼は退去に際してこんなことを言っている。「引っ越し先の候補地はキッチン、バス、トイレ付きらしい。そんなの要らないよ、街に出て写真が撮れればいい。こんなことに人生の邪魔はさせない」正直、常軌を逸していると思う。しかし常軌を逸するほどファッションを愛し、それとともに生きる喜びをビルは体現している。そしておもしろいことに、そんなビルの周りにいる人たち、例えばエディッタ・シャーマンやアナ・ウィンターも常軌を逸するほど写真やファッションを愛し、それとともに生きている。

ビルはフランス文化省から勲章を受けた際のスピーチでこう語っている。「私は働いていません。好きなことをするだけです。仕事ではないのです」彼のような生き方ができたなら、それはとても幸せなことだろう。そして、彼の生き方に勇気をもらう人も多くいるだろう。ニューヨークのたったひとつの映画館から始まった本作が、こうして世界に公開されるまでに至った背景には、多くの人が彼の生き方への憧れと共感を抱いたからに他ならない。あのビル・カニンガムに撮影を許可させたリチャード・プレス監督に感謝と賛辞を送りたい。

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Comment(2)

Posted by みみ | 2016.07.08

映画を観ました。彼の生き様がとてつもなく格好良くて圧倒されました。と同時に能力と才能と人柄と知識と意欲のある彼らにも老いる時間は容赦なくまとわりついていることが切なかったです。カーネーギーホールの退去のくだりには胸が締め付けられました。

彼の上品でスッキリとした着こなしもとっても素敵でした。パーティーのはしごをしている時の緑のストライプのダブルカフスのシャツもお洒落。

彼が目に学ばせた膨大なファッションの知識と研ぎ澄まされた審美眼がもうこの世に無いことが残念でなりません。

Posted by haruhi | 2013.11.25

彼女が踊る「白鳥の湖」とありますが、チャイコフスキーの「白鳥の湖」ではなくて、サン=サーンスの「動物の謝肉祭」の中の「白鳥」(バレエ「瀕死の白鳥」)だったと思います。
名画座ギンレイホールでの最終上映は満員で、笑い声があちこちから聞こえました。

『ビル・カニンガム&ニューヨーク』
原題:Bill Cunningham New York

5月18日(土)より、新宿バルト9ほか全国ロードショー
 
監督・脚本:リチャード・プレス
プロデューサー:フィリップ・ゲフター
編集:ライアン・デンマーク
追加編集:バリー・アレキサンダー・ブラウン
撮影:トニー・セニコラ、リチャード・プレス
タイトル・デザイン&写真アニメーション:キーラ・アレキサンドラ
出演:ビル・カニンガム、エディッタ・シャーマン、パトリック・マクドナルド、ハロルド・コーダ、ジョン・カードゥワン、カルメン・デロリフィチェ、アネット・デ・ラ・レンタ、アナ・ウィンター、アイリス・アプフェル、サイル・ウパディヤ、キム・ハストレイター、アニー・フランダース、レズリー・ヴィンソン、ジョセフ・アスター、トニ・"シュゼット"・チミノ、テルマ・ゴールデン、トム・ウルフ、ケニーケニー、アンナ・ピアッジ、デェディエ・グランバック、マイケル・コース

© The New York Times and First Thought Films.

2010年/アメリカ/84分/1.78:1/ステレオ
配給:スターサンズ、ドマ

『ビル・カニンガム&ニューヨーク』
オフィシャルサイト
http://www.bcny.jp/
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