『オーケストラ!』

鍛冶紀子
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どんなにテンポが正確でも、どんなにミスのない演奏でも、その演奏が聴衆を感動させるとは限らない。むしろ音楽が我々の心を打つのは、そういった数値的な正しさではなく、もっとヒューマニスティックな理由によるものではないだろうか。例えばそれは、奏者の音楽への情熱だったり、その音楽を奏でる理由だったり、つまり演奏に込められた想いが音となって聴衆の琴線に触れる。文字にすると陳腐だが、やはり「そういうこと」なのだ。本作「オーケストラ!」はそのシンプルな事実を改めて教えてくれる。

チャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」が奏でられるラストシーンを観ながら思い出したのは、1961年にパブロ・カザルスがホワイトハウスで演奏した「鳥の歌」だった。フランコ政権に反対して祖国を追われた音楽家は、1961年にケネディ大統領の招聘に応じてホワイトハウスで演奏会を開く。それまでカザルスは、フランコ政権を承認する国での公の演奏会を一切取りやめていたのだが、ケネディ大統領の指導者としての姿勢に敬意を払って求めに応じたのだ。1時間を超す演奏会の最後にカザルスが奏でたのは、彼の故郷カタロニアの民謡であり、彼の最愛の1曲であった「鳥の歌」。その演奏は、単に譜面を音にするという意味での演奏を超えて、奏者の切たる想いが音になって溢れ出しているかのようだ。演奏会に招かれた賓客たちは、もっとも神聖な儀式に参列している思いで耳を傾けた※という。

カザルスの場合もそうだが、音楽家はときに政治に翻弄される。「オーケストラ!」の登場人物たちも、ソ連時代の荒波に巻き込まれ、彼らの命とも言えるオーケストラから引き離された経験を持つ。

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オーケストラの演奏をバッグにタクトを振る男。きらびやかな世界に身を置いているかと思いきや、無機質な携帯電話の音をきっかけにそれまでのクローズアップがロングショットに切り替わり、その男がしがない清掃員であることが明かされる。本作において音もしくは音楽は、彼らの境遇と心情の代弁者としての役割を果たしている。携帯の音が現実を知らせるように、オンボロの救急車が猛スピードで走り行くその音ですら、乗車する元指揮者のアンドレイ(アレクセイ・グシュコブ)と元チェリストのサシャ(ドミトリー・ナザロフ)の不遇な現状と、彼らがその時に感じている興奮を伝えてくれる。扱われる音楽も幅広い。クラシックはもちろん、ジプシーたちのロマミュージックやユダヤ人の音楽・クレズマーもかかる。それらはいずれも、カザルスにとっての鳥の歌のように、彼らのアイデンティティーを伝えるものとして奏でられている。

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ある日、パリのシャトレ劇場からボリショイ交響楽団に出演依頼がきた。しかし、そのFAXはひょんなことからアンドレイの手に渡る。アンドレイはかつての楽団仲間を集めてボリショイ交響楽団を名乗り、パリ公演を(勝手に)代行することを思いつく。突飛な思いつきにも関わらず、元楽団仲間のサシャと元支配人のガブリーロフ(ヴァレリー・バリノフ)の助けを受けながら事はトントン拍子に進んでいく。アンドレイには二つの強いこだわりがあった。それは、演奏曲はチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲であること。客演はアンヌ=マリー・ジャケ(メラニー・ロラン)であること。そのこだわりの裏には、彼らの悲しい過去であり、アンドレイたちが楽団を追われる原因ともなった一連の出来事が隠されていた。幾多の紆余曲折を経て、一行はついにアンヌ=マリー・ジャケと共にシャトレ劇場の舞台に立つ。そして、12分22秒に及ぶ渾身のラストシーンが始まる。

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本作の背景には、ソ連時代プレジネフ政権によってボリショイ交響楽団からユダヤ人音楽家たちが排斥され、彼らを擁護するロシア人もまた解雇されたという史実がある。ラデュ・ミヘイレアニュ監督は「それとなくこの現実を連想させたかった」と語っている。自身チャウシェスク独裁政権下のルーマニアから亡命した過去を持ち、共産主義と無縁ではなかったミヘイレアニュだが、その理不尽さを悲劇として描くのではなく喜劇的に描くことで、人間の生きる力を肯定しているように見える。

カザルスは1971年に国連本部で「鳥の歌」を演奏した際、このようなあいさつを添えた。「生まれ故郷の民謡をひかせてもらいます。鳥の歌という曲です。カタロニアの小鳥たちは、青い空に飛びあがるとピース、ピースといって鳴くのです」※


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『オーケストラ!』
原題:Le Concert

フランス映画祭2010上映作品
4月17日(土)GW Bunkamura ル・シネマ、シネスイッチ銀座他、全国順次ロードショー

監督・脚本:ラデュ・ミへイレアニュ
共同脚本:アラン=ミッシェル・ブラン、マシュー・ロビンス
原案:ヘクトール・カベッロ・レイエス、ティエリー・デ・グランディ
製作:アラン・アタル
撮影監督:ローラン・ダイアン
音楽:アルマン・アマール
美術:クリスチャン・ニクレスク
衣装:ヴィオリカ・ベトロヴィッチ
編集:ルドヴィック・トロフ
出演:アレクセイ・グシュコブ、メラニー・ロラン、フランソワ・ベルレアン、ドミトリー・ナザロフ、ミュウ=ミュウ、ヴァレリー・バリノフ、アンナ・カメンコヴァ、ライオネル・アベランスキ、アレクサンダー・コミッサロフ、ラムジー・ベディア

2009年/フランス/124分/シネマスコープ/カラー/ドルビーデジタル
配給:ギャガ
提供:ギャガ、アスミック・エース エンタテイメント

© 2009 - Les Productions du Tresor

『オーケストラ!』
オフィシャルサイト
http://orchestra.gaga.ne.jp/


ラデュ・ミへイレアニュ監督
 インタヴュー


フランス映画祭2010


※CD「パブロ・カザルス 鳥の歌─ホワイトハウス・コンサート」ライナーノーツより
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