『重力ピエロ』

上原輝樹
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監督第一作『Laundry』で"鳩"を飛ばして主人公2人(窪塚洋介と小雪)の恋愛を成就させた森淳一監督が、『重力ピエロ』では "春"を見事に飛ばせてみせ、出端から原作ファンの武装解除に成功してしまう。難問に違いなかったはずの"春"のキャスティングに対する不安も、開巻早々、岡田将生のしなやかな飛翔とともに何処かへ雲散霧消していった。

過去に重大な秘密を持つこの家族の中で、最も重力の重さをリアルに感じて日々暮らしているに違いない主人公の泉水(いずみ)役に、空気のような自然な存在感の加瀬亮、予想を遥かに超えるハマリ役となった最強の父親役に小日向文世、男家族3人の最愛の母親役を鈴木京香が持ち前の官能性と"女優"の存在感で演じ、忘れ難いアンサンブルキャストが実現した。そして、いつでも唯一無二のぎこちなさで人の目を惹き付ける渡部篤郎が葛城を怪演している。もっとも"怪演"という点では、渡部以上に不思議な存在感を放ってみせた吉高由里子(夏子役)も負けていない。

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家族を襲う病いと悲劇、それ故に獲得される"楽しく生きていれば重力なんて消えてなくなってしまう"という究極の楽観主義、私たちの生活に暗い影を落とす様々な厄介事、そうした全てを突き抜けんとする"低温のロックンロール"(伊坂幸太郎)が、映画『重力ピエロ』では、より一層シャープな質感とタイトなリズムで奏でられている。原作では過剰に盛り込まれた"記号"の数々を、春の部屋の壁一面に圧縮してみせた思い切りの良さにも監督のストーリーテリングのセンスを感じる。

森監督は、「今作において僕の仕事は、物語を面白くすることよりも、脚本に書かれたことをどう映像化するか」に全力を注いだと語っている。もちろん、全ての要素が脚本に書かれているわけではないから、映像で脚本の行間を埋めていく仕事もその中に含まれていると考えて良いだろう。例えば、『Laundry』で堂々と登場したあるものが、『重力ピエロ』ではさりげなく画面に紛れ込んでいる。それは、原作には登場しない教会の"十字架"のイメージだ。恐らく脚本にも存在しなかったのではないかと思う。父親が春の誕生を望む決断を行った直後、小日向文世の顔の後景に絶妙なタイミングで、実にさりげなく"十字架"が捉えられる。原作では、"神様"という表現が登場し、それは漠然とした祈りの対象である、神様、仏様、八百万(やおよろず)の神の類いに近いものだろう。舞台が伊達政宗開祖の地、仙台だからといって、キリスト教のイエス・キリストが念頭にあったとは考えづらい。そこには、映画的なクライマックスを形成する上での、脚本上あるいは、演出上の戦略的な選択がなされているように思える。

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ここで、デヴィッド・フィンチャーの『セヴン』でケビン・スペイシーが演じた狂信的な犯罪者を想い出してほしい。キリスト教の7つの大罪(憤怒、嫉妬、高慢、肉欲、怠惰、強欲、大食)を犯した法律的には無実の人々を、常道を逸したストイシズムで残忍に罰して見せた、あの凶悪犯のことだ。どうも"春"のキャラクター造形のコアな部分には、この凶悪犯のキリスト教原理主義的なストイシズムが受け継がれているように思えてならない。そのストイックな原理主義的信仰心は、もっと端的に"正義"という言葉に置き換えてもよい。その"正義"に対するストイックな信仰心と"家族"への愛が、春の一連の行動を支え、映画は炎の"贖罪"を遂げるクライマックスへと導かれていく。

観客の多くは、映画のいつ頃からだろうか、渡辺善太郎の奏でるテーマ音楽の絶大な効果もあって、夥しい感動の波に呑みこまれていくだろう。その感動の源泉は、春のストイックでハードコアな闇と光の相克、そして何よりも全てを包み込んでしまう父親の強靭な優しさに触れてしまった喜びから生じたものに違いなく、あの"十字架"が小日向文世の後ろ以外には登場しえない所以だ。同時に、それは映画というフィクションの勢いに押された観客が通常であれば許容しないであろう春の行き過ぎた行動を、感動とともに後押しすらしながら許してしまうという"怖さ"も一方で自覚しないわけにはいかない。映画『重力ピエロ』は、そのようなある種の"危うさ"を孕んだ映画だが、表面的な語り口の"軽さ"によって映画の本質的なテーマが見えにくくなっているというよりは、むしろその語り口の"軽さ"を獲得するために全力が注がれたと見るべきで、監督と原作者が共有したに違いない<人の気持ちを軽くしたい=人の気持ちを解放したい>という企ては、見事に成就したと見てよいだろう。21世紀現代日本の映画として、海外で広く知られてほしい映画のひとつだ。


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『重力ピエロ』

4月25日(土)より宮城先行ロードショー
5月23日(土)よりシネカノン有楽町1丁目、新宿バルト9ほか全国ロードショー

監督:森 淳一
企画・脚本:相沢友子
原作:伊坂幸太郎「重力ピエロ」新潮社刊
プロデューサー:荒木美也子、守屋圭一郎
エグゼクティヴ・プロデューサー:豊島雅郎
音楽:渡辺善太郎
撮影:林淳一郎
照明:中村裕樹
美術:花谷秀文
録音:藤本賢一
装飾:山下順弘
編集:三條知生
VFXスーパーバイザー:立石勝
音楽プロデューサー:安井 輝
主題歌:S.R.S「Sometimes」(TOY'S FACTORY)
出演:加瀬亮、岡田将生、小日向文世、鈴木京香、渡部篤郎、吉高由里子、岡田義徳

製作:「重力ピエロ」製作委員会(アスミック・エース エンタテインメント、ROBOT、テレビ朝日、朝日放送、東日本放送、九州朝日放送、Yahoo! JAPAN、河北新報社、住友商事)
企画・配給:アスミック・エース
© 2009『重力ピエロ』製作委員会

『重力ピエロ』
オフィシャルサイト
http://jyuryoku-p.com/
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