『シャンハイ』

上原輝樹
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太平洋戦争前夜の上海は、英・米・仏・独・伊・日の各国列強が群雄割拠し互いを牽制し合い、各国の諜報員が暗躍する魔都の様相を呈していた、という史実に基づき、"魔都"上海でアメリカ人ジャーナリスト(ジョン・キューザック)と抗日レジスタンス活動に身を投じる女性(コン・リー)との出会いを、レジスタンスを弾圧する日本軍将校(渡辺謙)と、謎めいた娼婦(菊地凛子)、上海黒社会のドン(チョウ・ユンファ)といったノワール・フィルム的登場人物を絡めて描く『シャンハイ』は、一見の価値のある娯楽スパイ映画に仕上がっている。

まず、太平洋戦争前夜の上海で、抗日レジスタンスが活躍する"ハリウッド映画"というのが珍しい。当然、ここでは日本軍は帝国主義を展開する、全く弁護の余地のない侵略者そのものである。もちろん、ベルトルッチが、『ラストエンペラー』において満州国の傀儡政権を描いたり、チェン・カイコーが『花の生涯 梅蘭芳』において日本占領下の北京を描いたりということはあるものの、米の対アジア戦略の中で重要な戦略的パートナーと看做してきた日本の歴史的恥部をわざわざ娯楽映画として、映画化するという企画自体が、日本が重要なマーケットのひとつであるハリウッドでは興行的リスクが高かったのに違いない。

しかし今や、多くのハリウッド映画における中国のプレゼンスが明白である以上、もはや日本市場にそれほど余計な気を使う必要がなくなった、というのが実際のところだろうか。むしろ、こうした事態がハリウッドにおける、ひとつの常識的な現状認識であることを、日本に住む私たちもよく理解しておく必要がある、という意味でも本作は一見に値する。因みに、本作のプロデューサーのひとり、マイク・メダヴォイは、上海生まれのアメリカ人で、自分が生まれた時の"上海"を本作のような形で映画化するのは、まるで天命のように思えた、と語っている。

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だからといって、本作が中国のプロパガンダ映画にはなっていない、ということが当然のことながら重要で、本作の中で最も魅力的に描かれているのが、渡辺謙が演じる日本人将校と菊池凛子が演じる幸薄い娼婦の二人の人物であるということが、そのことを証明している。激動の時代に生き、運命に翻弄され、その中でもぎりぎりのところで人間性を失わない、その二人の佇まいにグッと来てしまうのは、自分が日本人であるから、という所与の鑑賞条件を超越した、本作の作劇上の勝利であると考えたい。

また、本作の主人公を演じるジョン・キューザックが、流石に良い感じで年齢を重ねて来ていて、時にジェイムス・ガンドルフィーニか?と思うような横顔に見える瞬間があるものの、永遠の左翼青年の面目躍如ともいうべき配役が本作の体制に対するレジスタンス映画としての出自を決定付けている。劇中ではさり気なく描写されるに留まっているが、彼が、単なるジャーナリストではなく、上海における、当時の米国最大の仮想敵国ナチスドイツの機密情報を探る諜報員であって、つまりは、大作歴史映画というよりは、フィルム・ノワールの気配が漂う娯楽スパイ映画として観れば、納得して見ることができる佳作であると言える。

そして、アメリカのフィルム・ノワールに欠かせない"ファム・ファタール"を、中国屈指の女優、コン・リーがレジスタンスの緊張感を伝える緊迫した面持ちで演じているのだが、せっかくならば、更なる妖艶さを発揮して頂くか、マイケル・マンの『マイアミ・ヴァイス』の時のように迫力のある人物造形がなされていれば、作品自体がより印象深いものになっていたかもしれない。その点で言えば、『シャンハイ』をエモーショナルなレベルで救っているのが、渡辺謙と菊地凛子、二人の名優の時に感情を横溢させ、時に感情を秘する的確な演技で、映画に豊かな情感と奥行きを与えることに成功している。


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『シャンハイ』
英題:SHANGHAI

8月20日(土)より、丸の内ピカデリーほか全国ロードショー
 
監督:ミカエル・ハフストローム
プロデューサー:マイク・メダヴォイ
脚本家:ホセイン・アミニ
ピアノ:ラン・ラン
出演:ジョン・キューザック、コン・リー、チョウ・ユンファ、菊地凛子、渡辺謙

© 2009 TWC Asian Film Fund, LLC. All rights reserved.

2010年/アメリカ・中国/105分/カラー
配給:ギャガ

『シャンハイ』
オフィシャルサイト
http://shanghai.gaga.ne.jp/
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