『ヴィニシウス -愛とボサノヴァの日々-』

上原輝樹
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『ヴィニシウス』は、ブラジルの偉大な詩人ヴィニシウス・ヂ・モライスの遺した作品の数々と伝説的な生涯を赤裸々に描き、単なるドキュメンタリーの枠を超えシネマ・エッセイとでも云うべき独自の高みに達した希有な作品だ。ヴィニシウスのブラジルに於ける偉大さが、その名に相応しく撮らせるべくして撮らした作品と言っても良いかもしれない。

映画は、夜のリオの海岸線を見下ろす空撮シーンから始まる。昼の陽光溢れるビーチではなく、リオの海岸沿いに連なる店のネオンが、妖しくも美しい輝きを放つ夜景から映画が始まった時点で、かつてJ・L・ゴダールが、マルセル・カミュの『黒いオルフェ』には、リオ・デ・ジャネイロが少しも写っていないと憤慨した(※1)時のような不手際はまず起こらないだろうと期待に胸がふくらむ。キャメラは、妖しいネオンを放つ店の奥へ入っていく。そこでは、トップレスのダンサーやプロの妖艶な女性たちが奔放な姿で男たちを挑発している、夜のリオ・デ・ジャネイロ!と興奮するのは肉食系男子だけか?西欧の植民地化に対してパラドキシカルな食人思想を産み出し抵抗したカウンターカルチャー、トロピカリズモの革新的伝統が今なお生きるブラジル、その国の最高の詩人を描く映画は、素晴らしい滑り出しで開巻する。

そして、『ヴィニシウス』は「想いあふれて」のあの挑戦的なシンコペーションさながら、畳み掛けるように語りかけてくる。詩人が生まれた1913年、イパネマビーチはまだ無人の砂浜だったこと、そもそもリオはパリをモデルに創られた街であること、魅惑の都市、リオ・デ・ジャネイロの変遷が貴重なアーカイヴ映像と写真で辿られていく。『良家の子息』(※2)、ヴィニシウスは、若くして正統派の詩人として文壇に認められ、外交官の職を得てパリやLAに赴任、戯曲や映画評も手掛け、早熟な才人として早くから名声を獲得した。1956年に詩人が世に問うた戯曲『オルフェウ・ダ・コンセイサォン』は、前述のマルセル・カミュによって『黒いオルフェ』として映画化され、カンヌ映画祭特別賞とオスカーの最優秀外国語映画賞を受賞、ただし、その出来映えについては、かつてカエターノ・ヴェローゾが「唯一ゴダールだけが正当な評論をした」(※3)と記したように、外国人のエキゾチズムに満ちたフェイクな代物だったという他ない。ヴィニシウスは、この映画化にはあまり関わっておらず、試写の際も途中で退席したことが伝えられてはいるものの、この遺恨が晴れるのは40年後のカルロス・ディエゲス監督によるリメイク『オルフェ』の登場を待つしかなかった。フランス人、カミュの『黒いオルフェ』で現実離れした"楽園"として描かれたファヴェーラだったが、ディエゲスの『オルフェ』では、設定を現代に持ってくることで、今のファヴェーラ、すなわち「都市の成長と破滅的な人口流入のせいで過密となり、暴力と犯罪が流入した」(※4)ファヴェーラを描くことに成功した。その<神の街>ファヴェーラは、いずれ『シティ・オブ・ゴッド』で世界に衝撃を与えることになる。

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もっとも『黒いオルフェ』は、映画における過大評価よりも、ヴィニシウスとジョビンによるサウンドトラックの素晴らしさ、そして、そもそも原作の戯曲『オルフェウ・ダ・コンセイサォン』の音楽(※5)に不遇時代のアントニオ・カルロス・ジョビンを抜擢したこと自体に計り知れない価値がある。ヴィニシウスの慧眼は、ブラジルのみならず、世界のポピュラーミュージックの歴史を変えたといっても過言ではない。

そして2年後の1958年、ヴィニシウスとジョビンは、ジョアン・ジルベルトをギターに迎え「想いあふれて(Chega de Saudade)」を発表する。ボサノヴァの誕生である。本作には、この頃のとても貴重な映像が収められている。アロルド・コスタ監督の『芝生のピッチ』で「あなたがいなければ私は存在しない」を歌うエリゼッチ・カルドーゾの伴奏をジョアン・ジルベルトが務めている映像だ。レコーディングの際、まだ新人だったジョアンが、大御所のカルドーゾの歌唱に何度もダメ出しをしたというエピソードを想い出す間もなく、ただただ感動して見入ってしまう。その後もヴィニシウスとジョビンの蜜月は続き、1962年の「イパネマの娘」は言うに及ばず、「A Felicidade」「Insensatez」「Ela e Carioca」といった永遠の名曲の数々を残すことになる。

本作の、もうひとつのウルトラレア映像は、ヌーベルヴァーグの忘れられた映画作家、ピエール・カスト1963年の作品『ブラジル・ノート』のワンシーン、バーデン・パウエルと共に「オサーニャの歌」を"バーイ、バーイ、バイバイ"と唄うヴィニシウスの姿がホームビデオのような親密さで捉えられている。バーデン・パウエルとの共作は、バイーアの民間信仰カンドンブレに影響を受けた「アフロ・サンバ」(1966年)として結実。この後も、ヴィニシウスは、カルロス・リラ、シコ・ブアルキ、エドゥ・ロボ、トッキーニョといった名作曲家たちを育てていく。映画では、彼らの口からヴィニシウスにまつわる伝説的な証言の数々が語られる。

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監督のミゲル・ファリアJr.がインタヴューで語っているように、ヴィニシウスの創作意欲は、彼の並外れた人生と表裏一体の関係にあった。嘘偽りのない美への崇拝から生じた9度にも渡る美しい女性たちとの結婚と別れ、ありのままの自分を表現するために常習化した過度の飲酒、貯める/溜めるということを知らない詩人の属性だろうか、金銭についても出し惜しみせず、そのせいで貯蓄もなく、一人の女性と別れる度に全財産を投げ打ち、次の女性に全身全霊の愛を捧げた。映画は、詩人の輝かしい功績と共に、こうしたあまりにも"人間らしい"実生活をも明らかにしている。詩人ヴィニシウスのエッセンスを描くという監督の試みは見事に実を結び、ヴィニシウスという偉大な詩人の魂に触れた私たちの心はどこまでも高く飛翔していく。私たちは今、<崇高さ>とは何か、ということを知った賢人の如き気分の高揚を味わっている。


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『ヴィニシウス』
原題:Vinicius

4月18日(土)より、
渋谷シアターTSUTAYAほか
全国順次ロードショー

監督:ミゲル・ファリアJr.
脚本:ミゲル・ファリアJr.、ヂアナ・ヴァスコンセロス
協力:エウカナアン・フェハス
最終版テキスト:エーリキ・ネポムセーノ
撮影:ラウロ・エスコレル
音楽監督:ルイス・クラウヂオ・ハモス
美術監督:マルコス・フラクスマン
衣裳:マリリア・カルネイロ
編集:ヂアナ・ヴァスコンセロス
録音:ブルーノ・フェルナンデス
音声編集:ミリアン・ビッデマン
製作:ミゲル・ファリアJr. 、スザーナ・ヂ・モライス
ポスト・プロダクション:マルセロ・ペドラッツィ
エグゼクティヴ・プロデューサー:テレーザ・ゴンザレス
司会:カミーラ・モルガード、ヒカルド・ブラ
ゲスト演奏者:ヘナート・ブラス、ヤマンドゥ・コスタ、アドリアーナ・カルカニョート、オリヴィア・バイントン、モニカ・サルマーゾ、マリアナ・ヂ・モライス、セルジオ・カッシアーノ、ゼカ・パゴヂーニョ、MSボン、ネーゴ・ジェフィ、ルロイ、マルチナーリア
出演:アントニオ・カルロス・ジョビン、ジョアン・ジルベルト、バーデン・パウエル、アントニオ・カンヂド、カエターノ・ヴェローゾ、カルロス・リラ、カルリーニョス・ヴェルゲイロ、シコ・ブアルキ、フェヘイラ・グラール、エドゥ・ロボ、フランシス・ハイミ、ジョルジアーナ・ヂ・モライス、ジルベルト・ジル 、ルシアーナ・ヂ・モライス、マリア・ベターニア、マリア・ヂ・モライス、ミウーシャ、スザーナ・モライス、トニア・カヘーロ、トッキーニョ

2005年/ブラジル/122分/35mm/カラー&白黒/1:1.85アメリカンヴィスタ/ドルビーSR・ドルビーSRD

©1001Filmes Ltda.2005
製作:1001フィルムズ
後援:ブラジル大使館
配給:ツイン

『ヴィニシウス』
オフィシャルサイト
http://www.vinicius.jp/




※1
「ゴダール全評論・全発言I」より

※2
ヴィニシウスの実娘スザーナ・ヂ・モライス(プロデューサー)が以前に監督したドキュメンタリー映画に『ヴィニシウス・ヂ・モライス、良家の子息』という作品がある。

※3
ユリイカ1998年6月号ボサノヴァ特集「食人習慣/カエターノ・ヴェローゾ」より

※4
「THE NEW BRAZILIAN CINEMA/ルシア・ナジブ」第10章:浜辺に死す より


※5
『オルフェウ・ダ・コンセイサォン』2006年リイシュー版CDジャケット miguel_s01.jpg

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