『ウィ・アンド・アイ』

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もしかしたら、これこそ"真に公平な目線"なのかもしれない
star.gifstar.gifstar.gifstar.gif 鍛冶紀子

明日から長い夏休みが始まる。生徒たちは終業の鐘とともに教室を飛び出し、構内では所持が禁じられている携帯電話を受け取ろうと公売に群がる。窓口はもみくちゃだ。その混乱ぶりをそのままに、生徒たちは続々とバスへとなだれ込む。止めどないおしゃべり、下らないちょっかい、我がままな振る舞い。もし自分がこのバスに乗り合わせたとしたら「なんて運が悪いんだ......!」と密かに舌打ちするだろう。ティーンエイジャーの集団ほど騒がしく、調子に乗っていて、やっかいなものはない。しかし、その騒がしさの裏に、そこはかとない不安や寂しさを感じてしまうのは、自分もかつてティーンエイジャーであり、彼らと同様に「仲間の顔」と「個人の顔」の二つを持っていたからであろうか?

舞台はニューヨークのブロンクス地区。おそらくサウス・ブロンクスだろう。車内の子どもたちほとんどが、ヒスパニックと黒人だ。サウス・ブロンクスはかつて荒廃がひどく、犯罪率の高いエリアだった。最近では再開発が進み(その様子は車窓の風景として目にすることができる)、以前よりはマシになっているそうだが、低所得者層の街であることに変わりはない。彼らが厳しい環境に生きていることは、この映画の重要な下地となっている。それはあくまでも下地であり、映画全体を覆う膜にはなっていない。ここが、本作を撮ったのがミシェル・ゴンドリーであることの最大のポイントであろう。ゴンドリー監督は彼らの過酷さに焦点を当てるのではなく、それを下地とし、ブロンクスの住人であることよりも彼らがティーンエイジャーであること、そして、十代の子どもたち特有の陽気さと陰鬱さ、集団化したときの傍若無人さと一人になったときの頼りなさ、その二面性に光を当てた。

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バスはまるで母体のようだ。事実ドライバーは女性で、子どもたちを口頭では叱りつけるもののそこには確かな愛情があり、子どもたちのよき理解者として描かれる。その母体=バスの中で彼らは「守られた存在」であり、子ども同士自由に騒ぐことが許される。しかし、それはひと時のこと。バスを降りればそこは現実だ。彼らの現実は決してやさしいものではない。家庭環境は厳しい。殺されてしまう友人もいる。仲間たちとのバスのひと時は彼らに許された唯一のモラトリアム。だから、テレサは学校には行かずともバスには乗り込む。しかしゴンドリー監督は、ドライバーがティーンエイジャーである彼らに軍隊への入隊を奨める(入隊すると奨学金など金銭的なサポートが得られる)という哀しいリアリティをプラスすることを忘れなかった。

バスの中ではいくつものエピソードが同時進行する。後方の座席を占有する悪ガキ4人組が繰り広げる悪事の数々。レディ・ガガを思わせる金髪のカツラをかぶったテレサの登場。自分の誕生会の招待リストの作成に熱中するレディ・チャンとその親友のナオミ。浮気話でもめるブランドンとルイスのゲイカップル。中でも印象深いのは悪ガキ4人組のひとり、BIG.Tと白人の老女のやりとりだ。ゴンドリー監督らしいユーモラスな演出に思わず笑ってしまったが、そこに含まれた毒は苦く残り続ける。

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悪童たちの喧噪を乗せて、バスはブロンクスの街を走る。そして、バスが停留所に停まるたび、一人また一人と降りていく。太陽は徐々に沈みはじめ、ティーンエイジャーの姿が減る毎に車内に静寂と寂寥感が満ちていく。それとともに、彼らの「仲間の顔」は影を潜め「個人の顔」が浮かび上がる。タイトルの通り、103分の間、わたしたちは彼らが見せる「私たちの場合の彼らの人格」と「私の場合の彼らの人格」を追い続ける。夜の帳が下りたころ、車内のティーンエイジャーは悪童のひとりであるマイケルと、彼に想いを寄せるテレサだけになる。もはやそこに「the We」はなく、マイケルの「the I」とテレサの「the I」だけが残る。

バスの中で子どもたちは常にケイタイをいじっている。オープニングシーンでバス型のカセットデッキ(ゴンドリーらしい演出!)が無惨にもバスに踏みつぶされるのだが、その両極に位置するのがこのケイタイだ。音楽を聴くのはもちろん、恋人の本心を探るのも、笑いの共有も、そして仲間はずれにされたことを知るのも、さらには仲間の死を知るのも、全てケイタイ。彼らはケイタイによって常に話題を得て、そして誰かと繋がっている。一人でいながらにして「the We」になれるツールなのだ。

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そして何よりゴンドリー監督はPV時代からの持ち味であり、ゴンドリーカラーの象徴とも言える「反復とズレ」を、ケイタイを利用することでスクリーンに導入した。このゴンドリー流のリズムが随所に配置されていることで、私たちはこれがミシェル・ゴンドリーのフィルムであることを度々意識するだろう。

本作は監督のミシェル・ゴンドリーが、ブロンクス地区の「ザ・ポイント」というコミュニティ・センターに集う子どもたちと共に作り上げた。高校生たちはみな素人。この地区のリアルな住人だ。ゴンドリー監督は三年にわたって彼らを取材し、映画の中に彼ら自身の経験やエピソードを混ぜ込んだ。そして、彼らと約束した通り、彼ら自身の物語を撮った。そこには政治的な主張もなく、差別的な(もしくは差別を摘発するような)フィルターもない。真っ直ぐな眼差しで目の前にいる彼らを物語にしている。

アマチュアとの共同作業は、『僕らのミライへ逆回転』(08)で既に体験済みとはいえ、あれだけのくせ者ティーンエイジャーが一同に介したカオスの中、全員にカメラを向けて(しかも、ちゃんと個々のエピソードを与えながら!)破綻なく紡いだのはさすがだ。そして、彼らの"厳しいリアル"に喰われることなく、あくまでもゴンドリー流のフィルムに仕上げたのもさすが。全体は軽味だが、噛むほどに複雑味が増してくる。そして何よりミシェル・ゴンドリーという人のやさしさと誠実さを感じさせる一本である。


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『ウィ・アンド・アイ』
原題:THE WE AND THE I

2013年4月、シアター・イメージフォーラム、シネ・リーブル梅田他、全国ロードショー
 
監督・脚本:ミシェル・ゴンドリー
共同製作:ポール・プロック、ラフィ・アドラン、ジョルジュ・ベルマン
脚本:ジェフ・グリムショー、アレックス・ディセンホフ
撮影監督:トマソ・オルティーノ
美術監督:サラ・メイ・バートン
衣装:ジェフ・ブキャナン
編集:ベッキー・グルプカンスキー
製作総指揮:ジェス・ナイ
第一助監督:ジュリー・フォン 
出演:マイケル・ブロディー、テレサ・リン、レイディーチェン・カラスコ、レイモンド・デルガド、ジョナサン・オルティス、ジョナサン・ウォーレル、アレックス・バリオス、《ナオミ》マーフィー

© 2012 Next Stop Productions. LLC

2012年/アメリカ/103分/カラー/ビスタ/ドルビーデジタル
配給:熱帯美術館

『ウィ・アンド・アイ』
オフィシャルサイト
http://www.weandi.jp/
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