『ゴモラ』

上原輝樹
garrone_01.jpg

2008年のカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞し、イタリア映画ゼロ世代の実力を世界に強く印象づけたマッテオ・ガッローネ監督の『ゴモラ』が、日本では、その後、2008年TIFF東京国際映画祭、2009年イタリア映画祭で上映され、2011年の今、ロードショー公開されている。というわけで、既に3年前の映画ではあるのだが、本作で描かれた人類の退嬰ぶりは、全く古びてないどころか、より一層リアルに私たちの現実の写し鏡のような存在感を発揮し始めている。

それは何も、ドラッグの売買、武器密輸、売春、闇金融、産業廃棄物の不法処理といった"ビジネス"の利潤追求に邁進する、イタリア南部ナポリに拠点を於く実在の犯罪組織"カモッラ"の実態が、2006年に出版されイタリア国内で100万部のベストセラーになり世界40カ国以上で翻訳された「死都ゴモラ」(実際にカモッラに潜入調査をしたという著者のロベルト・サヴィアーノは、現在カモッラに命を狙われ、24時間警察の保護下に置かれているという。)の映画化ゆえ、リアリティが半端ではない、という裏付け故の現実感ではない。

garrone_02.jpg

『ゴモラ』が私たち日本に住むものにリアリティを持って響くのは、本作が明らかにしている"大人が子供から搾取する"、あるいは、"年長のものが年少のものから搾取する"傾向がこの国でも目に見えて顕在化つつあるように思えるからだ。『スカーフェイス』のトニー・モンタナに憧れを抱く二人組の少年、マルコとチーロは、カモッラの縄張りで無軌道に暴れまくり、いずれ凄惨な最期を遂げる。結局、誰一人この無軌道な若者に教育を施すものは現れない。子供や若者に、"教育を施さない"という無作為の行為自体が、一種の搾取である。この無作為の行為の、搾取の悪循環が生み出す、人類の退嬰ぶりこそが、ここ日本でも起きていることの写し鏡にみえるのだ。

折しも、同時期に公開されている日本映画『サウダーヂ』は、日本の地方都市に蔓延する閉塞状況の中でもがき苦しむ若者の姿を鮮やかに描き出し、観るものに重量級の衝撃を与えずにおかない。若者の置かれている絶望的な閉塞状況を描くという物語の帰結の共通性の他にも、『サウダーヂ』と『ゴモラ』は、(『サウダーヂ』は断じてギャング映画ではないのだが)ギャング映画における必須の要素と言うべき"言語感覚"に優れているという共通的がある。これは、スコセッシの『ミーン・ストリート』が登場した70年代以降のギャング映画における顕著な特徴だが、『パルプ・フィクション』におけるタランティーノは言うに及ばず、テレビ映画『ザ・ソプラノ』を観る楽しみも、ギャング達の饒舌さが大きな魅力のひとつであり、『ゴモラ』と『サウダーヂ』にも同種の魅力がある。

garrone_03.jpg

"魅力"といっても、『ゴモラ』の場合は、暴れ回るティーンエイジャーが、ストリップ小屋へ行き、プロの女性から、あなたは何が欲しいの?と聞かると、三歳の幼児が母親に甘えるような風情で「全部!(tutti)」と答えて抱きつく始末、体は大人だが、中身は幼い少年が犯罪行為に身を染めていき、無惨な最期を遂げるのだから観客も無傷ではすまない。この観客の体験する居たたまれなさが、どこまでも娯楽作品として楽しむことのできる上記ギャング映画と『ゴモラ』『サウダーヂ』を大きく一線を画すところだろう。

この2作品を並べて見ると、秀逸なタイトルにも現れている通り、日本の風土特有の"湿度"を孕んだ『サウダーヂ』と『ゴモラ』の違いは、『ゴモラ』における"湿度"の著しい欠如かもしれない。『ゴモラ』が映し出す殺伐とした風景は、"反ファシズム闘争"の題材を多く扱った"ネオレアリズモ"の流れを汲み、『シシリーの黒い影』『コーザ・ノストラ』『予告された殺人の記憶』で知られるイタリアの巨匠フランチェスコ・ロージ、79年の傑作『エボリ』を想起させる。そもそも、ナポリ出身のフランチェスコ・ロージ監督の長編映画デヴュー作品が、『ゴモラ』と同じく、カモッラを描いた『挑戦』(58/筆者未見)であるとのことだから、その20年後の作品『エボリ』が21世紀に於ける『ゴモラ』の登場を予見していたと言っても過言ではないかもしれない。

garrone_04.jpg

ただし、"キリストもエボリよりも南に行くことはない(Cristo si è fermato a Eboli)"とのタイトルの原作(カルロ・レービ)を持つ『エボリ』が描いた"貧困にあえぐ南部"でさえも豊かな詩情が溢れていたものだが、『ゴモラ』にはかつてのネオネアリズモ作品に横溢していた"詩情"のかけらもない、という点が如何にも仮借なき21世紀的映画の息苦しさであって、宣伝で言われている『ゴッドファーザー』などの格調高いギャング映画を期待すると大いに肩透かしを喰うことになる。

その"詩情"の代わりに『ゴモラ』が提示するのは、やはり21世紀的意匠としか言いようのない"デジタル"の感性である。"涙"や"情"を見せない『ゴモラ』は、カモッラの最下層の構成員たちの日常を彩る死の舞踏めいたアクションをデジタルの感性で活写し、観るものに残酷な高揚感を与える。こうしたデジタル映像の操作感を想起させる映像表現は、ルーベン・フライシャー『ゾンビランド』のオープニングタイトルを挙げるまでもなく、ユニバーサルなトレンドですらあるが、こうした映像処理を最小限に留めているところにも、この作品の不気味さが宿っている。

garrone_05.jpg

そして、死都ゴモラに息づくカモッラの不気味さを最も際立って映像的に表現しているのが、"巨大団地"と"産業廃棄物不法投棄"の現場の持つ異様なスケール感であることは誰の目にも明らかだろう。『サウダーヂ』にも団地が登場し、そこが地域のスラム化と関連していることが示唆されているが、現代史における郊外の"団地"の出現と荒廃というテーマは、実に興味深いものに違いなく、多くの映画をこのテーマに関連して参照することが出来るのだと思う。工場があれば、そこには団地がある。むしろ、団地がない国を探す方が難しいくらいだろう。

映画を少し離れるが、今、森美術館で開催中の「メタボリズム展」は、戦後日本で"未来の建築"を夢見た建築家たち(丹下健三、黒川紀章、菊竹清訓、槇文彦ら)が、生物学用語の"新陳代謝"を意味する"メタボリズム"という名称を掲げ展開した建築運動について、貴重な資料、テクスト、写真、動画、模型などの展示とシンポジウムやレクチャーを通じて、彼らの試みを再評価しようとするものだ。彼らは、環境にすばやく適応する生き物のように次々と姿を変えながら増殖していく建築や都市のデザインをイメージしたのだという。

確かに、終戦直後復興期に興った「メタボリズムの誕生」の展示(丹下健三の建築を捉えたアラン・レネの『二十四時間の情事』も上映されている)では、復興を目指す現実的かつ夢想的で、良き公共への貢献を目指すビジョンが示されていて非常に興味深いのだが、時代が進むに従って"空想"の度合いを強めていく様が、3.11以降の今、見ると少し痛々しくもある。彼らが、"生き物のように姿を変えながら増殖していく建築"を提唱する一方で、現実には次々と画一的な"団地"が建設されていき、その40年後の今、私たち人類は世界中でその解体や再利用に頭を悩ませている。『ゴモラ』はその末端の風景を露にしている。

garrone_06.jpg

一方、産業廃棄物不法投棄の現場では、巨大なトラックの運転に、10歳にも満たないと思われる子供たちが駆り出されており、そんな子供たちが補助クッションなどをやり繰りして運転席に座らせられ、実際に運転を始めるシーンはあまりにもシュールで唖然とさせられる。この凄まじい光景を見て、さすがにこの仕事を続けるわけにはいかない、と心を決めた若者と、少しばかりの欲をかいたせいで痛い目を見たオートクチュールの"マエストロ"がトラックの運転手として人生をやり直す、その決意だけが、殺伐とした『ゴモラ』が示す唯一の希望ではあるのだが、実は『ゴッドファーザー』ですら、映画の中で何ら現実的な希望を示しめしていたわけではなかったことを確認しておきたい。

だから、本作を観て、やはり『ゴッドファーザー』のような格調高い作品を観たいという思いに駆られるのだとしたら、その物語に人間性が示されているかどうか、ということよりも、もはや21世紀の今では失われつつある20世紀の"フィルム"が獲得し得た"映画美学"への強烈な"サウダーヂ(郷愁)"がそこに存在しているからに違いない。


『ゴモラ』について、皆様のご意見・ご感想をお待ちしております。
なお、ご投稿頂いたものを掲載するか否かの判断については、
OUTSIDE IN TOKYO 編集部の判断に一任頂きますので、ご了承ください。





Comment(0)

『ゴモラ』
原題:GOMORRA

10月29日(土)より、渋谷シアター・イメージフォーラムにて衝撃のロードショー
 
監督:マッテオ・ガローネ
脚本:マルリツィオ・ブラウッチ、ウーゴ・キーティ、ジャンニ・ディ・グレゴリオ、マッテオ・ガローネ、マッシモ・ガウディオーゾ、ロベルト・サヴィアーノ
原作:ロベルト・サヴィアーノ「死都ゴモラ」
プロデューサー:ドメニコ・プロカッチ
撮影:マルコ・オノラート
編集:マルコ・スポレティーニ
美術:パオロ・ボンフィーニ
衣裳:アレッサンドラ・カルディーニ
音響:レスリー・シャッツ
整音:マリチェッタ・ロンバルド
音編集:ダニエラ・カッサーニ
出演:サルヴァトーレ・アブルツェーゼ、シモーネ・サケッティーノ、ジャンフェリーチェ・インパラート、マリア・ナツィオナーレ、トニー・セルヴィッロ、カルミネ・パテルノステル、サルヴァトーレ・カンタルーポ、マルコ・マコール、チロ・ペトローネ

2008年/イタリア/135分/カラー/ヴィスタ/ドルビーデジタル
配給:紀伊國屋書店、マーメイドフィルム

『ゴモラ』
オフィシャルサイト
http://www.eiganokuni.com/
gomorra/
印刷