『ウルフ・オブ・ウォールストリート』

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饒舌映画の歴史を塗り替える、
スコセッシの猛毒スラップスティック・コメディ
star.gifstar.gifstar.gifstar.gifstar_half.gif 上原輝樹

時代は80年代、フランシス・フォード・コッポラの『ゴッドファーザー』(72)、『ゴッドファザーPARTⅡ』(74)をビデオで見てマフィア映画のダンディズムに魅了され、同じような映画をもっと見たいと思って辿り着いたのが、フランチェスコ・ロージの『コーザ・ノストラ』(73)やマーティン・スコセッシの『ミーン・ストリート』(73)だった。当時は、ブライアン・デ・パルマの『スカーフェイス』(83)、『アンタッチャブル』(87)、セルジオ・レオーネの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(84)、マイケル・チミノの『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』(85)、『シシリアン』(87)といったマフィア映画の傑作群が劇場でかかる、アメリカ産マフィア映画の全盛時代だった。マーロン・ブランドやロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノといった名優たちが、個性豊かに演じてみせたイタリア系マフィア映画特有の美学、甘美な音楽、最後は敗れ去ってゆくものの悲劇的な佇まいといったものに魅了されたのだが、マーティン・スコセッシの『ミーン・ストリート』だけは、見て随分とガッカリした覚えがある。

マーティン・スコセッシの作品では『ミーン・ストリート』(73)よりも『タクシー・ドライバー』(76)を先に見ていた。『タクシー・ドライバー』の、ロバート・デ・ニーロが演じた孤独な主人公トラヴィスとプレッピー風の美女シビル・シェパードとの切ない関係、幼き売春婦ジョディー・フォスターを守るべく、ベトナム戦争の裏返しの倒錯的な正義感を暴発させる血まみれのクライマックス、黒光りする夜の舗道を背景に流れるバーナード・ハーマンのメランコリックなジャズスコア、そうしたまだ観ぬ都市ニューヨークが放つ神話性に惹かれていたから、『ミーン・ストリート』のあまりに即物的で身も蓋もない、リアリズム描写に唖然としてしまったのだ。スコセッシ映画の過剰なまでの"饒舌さ"を楽しめるようになったのは、その後、留学して2年半を過ごしたニューヨークで『グッドフェローズ』(90)を見た頃のことだった。同時期に、『キング・オブ・コメディ』(83)や『ミーン・ストリート』の魅力も再発見した。この"饒舌さ"は、スコセッシのみならず、ジョン・カサヴェテス、ウディ・アレン、スパイク・リーといったニューヨークの映画作家たちを貫く大きな特徴の一つだが、今回のスコセッシの新作『ウルフ・オブ・ウォールストリート』は、タランティーノが『ジャンゴ 繋がれざる者』(12)で一休みしている間に、まさに"饒舌"映画の歴史を塗り替えてしまった、驚くべき熱量が渦巻いている映画である。

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コッポラのギャング映画が、ルキーノ・ヴィコンティに倣って、イタリアンオペラ的カタルシスの演出で滅びゆく者の悲劇で見るものを恍惚とした気分にさせるのとは対照的に、スコセッシのギャング映画(『ミーン・ストリート』『グッドフェローズ』『カジノ』)は、口から生まれたような登場人物たちが下ネタに混ぜて"ビジネス(金)"の話を弾丸を撃ち合うように矢継ぎ早に交わし合い、観客は、怒濤の如くスクリーンに迫り来る眉毛の濃い暑苦しい男たちのスラップスティックな身振りと体に圧倒されて、椅子に深く体を沈めながら引きつった笑いを繰り出して応戦するしかない。そこには悲劇への予兆といった崩壊しつつある人生への格調高い未練もなく、堕ちる所まで堕ちてゆく男たちの高笑いと血しぶきが、背景を埋め尽くすロックンロールもろともスクリーンに炸裂し続けるばかりだ。

とりわけ饒舌を極める本作は、あまりの台詞の多さのためか、せっかくロビー・ロバートソンが監修を務めた最高の選曲が必ずしも素材としてスマートに使われているとは言い難く、台詞と音楽は3時間の長尺の中にギュウギュウ詰めに押し込まれている。市販されているサウンドトラックをCDで聴くと、それなりに前半のクライマックスを形成しているビリー・ジョエルの佳曲「ムービン・アウト」などは、ジョーダン(ディカプリオ)がドニー(ジョナ・ヒル)に、オフィスをそろそろ広いところに引っ越そうかと、携帯で話している背景でうっすら流され、あってもなくても良いような使われ方をしている。せっかくセバスティアン・レリオの『グロリアの青春』(13)で珠玉の使われ方をしている、80年代にローラ・ブラニガンがカヴァーして一世を風靡したヒット曲「グロリア」のウンベルト・トッツィによる本歌も、ドンチャン騒ぎの中でさらりと流される始末だ(この曲はサントラには収録されていない)。『ウルフ・オブ・ウォールストリート』は、まさに世界を席巻するアメリカのグローバリズムと消費主義の空騒ぎと空虚な笑い、そのものであることを、台詞と音楽とノイズが強引に詰め込まれた本編の"サウンドトラック"が、何よりも饒舌に物語っている。

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どこをどう切ってもスコセッシらしさが滲む本作だが、その途方もないエネルギーを70歳を超えた巨匠から引き出しているのは、やはりレオナルド・ディカプリオの存在に違いないということは、本作の振り切った演技を見た誰もが思うことだろう。今回こそ、この作品でアカデミー主演男優賞を手中に収めてほしいと思うのだが、ひとつ不吉なのは、傑作『ダラス・バイヤーズ・クラブ』(13)で同じく主演男優賞にノミネートされているマシュー・マコノヒーが、『ダラス・バイヤーズ・クラブ』で激痩せダイエットを施した精悍な体つきで本作に登場し、若き日の"ウルフ"ジョーダンのメンターともいうべき凄腕ブローカー役を演じており、ほんの数シーンの出演ながら「マスタベーションとコカインは体と頭の働きに良い」という迷台詞を発しつつ、胸を叩くトライバル・チャントをキメにキメて、本作序盤の勢いを決定づけていることだ。どちらにしても、今年のアカデミーは、久しぶりに賞レースが気になる、アメリカ映画の当たり年であることは間違いない。

ロブ・ライナー(『スタンド・バイ・ミー』(86)、『恋人たちの予感』(89)、『ミザリー』(90)、『ア・フュー・グッドメン』(92))がキレやすい父親を演じていたり、スパイク・ジョーンズ(『マルコヴィッチの穴』(99)、『アダプテーション』(02)、『her/世界でひとつの彼女』(13))がペニー株専門の三流投資会社の代表役を演じていたり、映画監督たちのカメオ出演が楽しいが、『グッドフェローズ』、『カジノ』におけるジョー・ペシ的役割の狂人ダニーを演じたジョナ・ヒルは、ジョー・ペシほどの爆発的な魅力には至っていないし、物語自体のドライブ感も希薄で、本作で唯一素面な主要登場人物であるかもしれないFBI捜査官パトリック(カイル・チャンドラーが素晴らしい)と"ウルフ"との関係性も、二者を同じシークエンスに収めたのは、プライベートヨット上での緊張感溢れる素晴らしい会話シーンと邸宅での逮捕シーンだけという切り詰めよう、スコセッシには、金融ブローカーと司法当局との闘いをスリリングに描くサスペンスなど端からやる気がなかったのだろう。

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そうした"物語"よりむしろ、スイスのバンカーを意気揚々と演じるジャン・デュジャルダンとアメリカ人"ウルフ"による、PC基準を度外視して、お互いの差別的国民感情を丸出しにする、マネーロンダリングの真っ黒けな会話、それ自体をこれ見よがしな執拗さで露悪的に描くことに力が注がれている。本作を牽引する、そうしたギラついた会話の数々をジョーダン・ベルフォートの原作から作劇に落とし込んだテレンス・ウィンターの脚本の緻密さはやはり特筆に値するが、『ザ・ソプラノズ』や(スコセッシがプロデュースしている)『ボードウォーク・エンパイア』といったTV向け秀作ギャングドラマを幾つも手掛けてきたウィンターにしてみれば、今作は今までの仕事の集大成のような仕事であったのだろう。ウィンターは、現在、スコセッシ、ミック・ジャガーと共に、1970年代のロックの世界を描いたTVシリーズを企画中だという。

それにしても、 これほど女性の存在が二次的にしか描かれていない映画も、21世紀においては珍しい。宣伝ビジュアルで早い段階から流布されていたディカプリオの顔をハイヒールで踏みつけるマーゴット・ロビーのビジュアルが期待させるほどには、"女性"がこの映画で活躍する場は与えられていない。なぜなら、それは本作がスコセッシの準ギャング映画であり、本作でより活躍が期待されるのは、ジョーダンの(二人目の)妻ナオミ(マーゴット・ロビー)よりも、ナオミの叔母エマ(ジョアンナ・ラムレイ)であることは、若い女性よりも熟年女性のバイタリティが尊重される"スコセッシのギャング映画"では驚くべきことではないからだが、わざわざ入念に美しくデジタル処理されたハイド・パークの緑を背景に、エマとジョーダンによる仄かなラブシーンまで用意されているとは、一体誰が予想しただろうか。

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ドラッグとエクストリームなセックスの快楽にハマる男"ウルフ"の物語でありながらも、ジョーダンとナオミが出会って、初めて夜を共にするシーンにおけるナオミのアグレッシブさがジョーダンの受け身な側面を導き出し、ある種の感慨を見るものに与えるラブストーリー的瞬間が確実に存在する本作だが、ふとしたことをきっかけに、いつものスコセッシ映画の朝のベッドにおける激しい夫婦喧嘩にまで転がり落ちる、このあっという間に起きる愛の急転直下によって、本作は、いよいよスラップスティク・コメディの本質を露わにし始める。

折しも、FBIの捜査の手が迫りくる最悪のタイミングで、"スペシャル"なドラッグをキメ過ぎて、呂律も回らず立ち上がることすら出来なくなったジョーダンが、捜査を逃れるために自宅に帰らなければならず、カントリー・ハウスの床を這って外へ出て、階段を転げ落ち、そのまま地面を這って停めていたランボルギーニに辿り着き、ガルフウィングドアを足で縦に開けて運転席に転がり込む、一連のスラップスティックなディカプリオの捨て身の演技が素晴らしい。このシーンは、完璧主義者のチャップリンが何度も撮り直しをした挙げ句、お蔵入りにした、酔っぱらって家に帰ってきた主人公が二足歩行することが能わず、床や壁や手摺を背中で伝って1階の玄関から2階の寝室までをフィルムの逆回転で移動して見せる、サイレント映画『午前一時』(16)のNGシーン(※)を直裁に想起させる。前作『ヒューゴの不思議な発明』(11)をジョルジュ・メリエスに捧げた巨匠の新作が、喜劇王チャップリンやバスター・キートンといった、偉大なる映画の先人に秘かなるオマージュを捧げた作品であるに違いないことに、単なる社会風刺の馬鹿騒ぎに終わらない、スコセッシ監督らしい、映画そのものへの狂った愛情が迸るさまが見えて、気分が高揚させられる。


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『ウルフ・オブ・ウォールストリート』
原題:The Wolf of Wall Street

1月31日(金)より全国ロードショー
 
監督:マーティン・スコセッシ
製作:マーティン・スコセッシ、レオナルド・ディカプリオ、リザ・アジズ、ジョーイ・マクファーランド、エマ・コスコフ
製作総指揮:アレクサンドラ・ミルチャン、リック・ヨーン、アーウィン・ウィンクラー、ジョエル・ゴトラー、ジョージア・カカンデス
原作:ジョーダン・ベルフォート
『ウルフ・オブ・ウォールストリート』/『ウォール街狂乱日記』(早川書房刊)
脚本:テレンス・ウィンター
撮影:ロドリゴ・プリエト
視覚効果監修:ロブ・レガト
プロダクションデザイン:ボブ・ショウ
衣装デザイン:サンディ・パウエル
編集:セルマ・スクーンメイカー
キャスティング:エレン・ルイス
出演:レオナルド・ディカプリオ、ジョナ・ヒル、マーゴット・ロビー、マシュー・マコノヒー、ジョン・ファヴロー、カイル・チャンドラー、ロブ・ライナー、ジャン・デュジャルダン、ジョン・バーンサル、ジョアンナ・ラムレイ、クリスティン・ミリオティ、クリスティーン・エバーソール、シェー・ウィガム、カタリーナ・キャス、P・J・バーン、ケネス・チョイ、ブライアン・サッカ、ヘンリー・ジェブロフスキー、イーサン・サプリー、ジェイク・ホフマン、ステファニー・カーツバ、アヤ・キャッシュ、J・C・マッケンジー、アシュリー・アトキンソン、ロバート・クロヘシー、ジョニー・メイ、ボー・ディートル、ジョーダン・ベルフォート、スパイク・ジョーンズ

© 2013 Paramount Pictures. All Rights Reserved.

2013年/アメリカ/179分/カラー
配給:パラマウント ピクチャーズ ジャパン

『ウルフ・オブ・ウォールストリート』
オフィシャルサイト
http://www.wolfofwallstreet.jp


(※)英国映画協会(BFI)に保管されている、チャップリンのNGフィルムの一部がWOWOWで放送された。
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