『ゼロ・ダーク・サーティ』

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映画は悪魔がつくった
star.gifstar.gifstar.gifstar.gifstar.gif 上原輝樹

2012年アメリカ大統領選挙において、オバマ大統領再選を目指す選挙対策チームが、ビン・ラディン殺害成功の功績をアピールすべく、『ゼロ・ダーク・サーティ』の制作に全面協力するようCIA上層部に働きかけた事は今や周知の事実だが、その過程で、行き過ぎた情報提供がなされた廉(かど)でCIAヴィッカーズ次官が機密漏洩の疑いをかけられたり、全米公開後には、CIAマイケル・モレル副長官による批判(※1この映画の描写は実際に起きたこととはかけ離れている、この映画では"ごく少数の個人"がこの作戦を成功に導いたかのように描かれているが、実際は"何百人もの局員"が携わったCIAの組織的な勝利である)がワシントン・ポスト紙に掲載されたり、本国ではかなりの議論を呼んだことがネット上で伺い知ることが出来たが、当然のことながら、ここ日本では、アメリカにおけるそうした政治的喧噪とは無縁に静然と公開されるに至った。

前作『ハート・ロッカー』(09)で、戦争後遺症による人格崩壊を描いたキャスリン・ビグローとマーク・ボール(脚本)のコンビは、今作『ゼロ・ダーク・サーティ』においては、政治利用を試みたオバマ陣営や、組織の手柄を殊更主張しようとするCIA上層部の思惑を正面突破して、対テロ戦争という難儀な"仕事"にコミットする者たちの姿をスクリーンに映し出すことに成功している。ビグローは、善悪二元論や芸術家的理想主義から遠く離れて、合衆国が自ら囚われている血なまぐさい入れ子構造の複雑さ、そのものの中へ道なき道を踏み分け突き進んで行く。

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映画は、パキスタン・イスラマバードのCIA秘密施設で行われる、捕虜の尋問シーンから始まる。もちろん私たちは、ここで描かれているような暴力的な尋問が秘密裏に行われて来たことを様々な報道を通じて知らされているし、ポランスキーの『ゴースト・ライター』(10)やスコリモフスキの『エッセンシャル・キリング』(10)なども似たような状況を描いてきた。それでも、スクリーンに映る拷問シーンを冷静な気持ちで観続けることは難しいのだが、捕虜の役を演じている俳優の腫れ上がった顔の輪郭の中に、ジャック・オディアールの『預言者』(09)やレア・フェネールの『愛について、ある土曜日の面会室』(09)で強い印象を残したレダ・カテブの目と鼻の原型を認めるに至って、ようやくその不快感が和らいでいく。(それにしても、レダ・カテブという俳優は、『愛について、〜』といい、本作といい、一体どこまで"美人女性監督"によって肉体的苦痛を与えられる運命にあるのか!)

そんな修羅場に、若く優秀な女性分析官マヤ(ジェシカ・チャステイン)が送り込まれてくる。最初は、イスラマバード支局チームリーダー、ダニエル(ジェイソン・クラーク)の捕虜に対する非人道的扱いに怯む様子を見せていたマヤだが、次第に状況を受け入れていく。CIAの切り札として投入されたマヤは、捕虜との駆け引きや、膨大な量のデータ分析に多くの時間を費やすが、なかなか有力な手掛かりを掴めない。そんな折、ロンドンで爆破テロが起きてしまう。これを機に、爆破テロに関わったアルカイダの大物アブ・ファラジを捉え、俄に活気づくビン・ラディン追跡チームだが、拷問に屈せず尋問をかわしてくファラジの前に、チームリーダーのダニエルの方が根負けしてワシントンDCの本部へ帰ってしまう。孤独に追いつめられていくマヤを気遣ったチームの同僚ジェシカ(ジェニファー・イーリー)はマヤを食事に誘い外出するのだが、二人はそこで爆破テロに巻き込まれてしまう。ビグローは、マヤがダニエルと良好な関係を徐々に築き上げていくプロセスや、当初は互いにクールな距離感を保っていたマヤとジェシカが親密さを育んで行くプロセスを、緊張感を持続しながらもリズム良く描いていく。じりじりと"ビン・ラディン追跡"のミッションに追い詰められていき、テンションが張り巡らされて行く辛抱の時間帯を、一人牽引していくジェシカ・チャステインの切れ味の鋭い、立ち居振る舞いが素晴らしい。

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ビグローは、映画が中盤に差し掛かると、文字通り、孤軍奮闘するジェシカ・チャステインを強力にサポートすべく、的確なタイミングで助っ人を投入していく。CIAイスラマバード支局実働部隊のリーダーに、『ドミノ』(05/トニー・スコット)、『チェ 28歳の革命 / 39歳 別れの手紙』(08/ソダーバーグ)、『カルロス』(10/アサイヤス)で "戦士"を演じて来たエドガー・ラミレス、懐の深さを見せるCIA局長に、『ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア』(1999-2007)のトニー・ソプラノ以来の当たり役とでも言うべきジェームズ・ガンドルフィーニ、CIAテロ対策センター中東部門のチーフに、『裏切りのサーカス』(11)ですっかり情報局員役が板についたマーク・ストロングを配し、この3人の個性溢れる俳優たちとジェシカ・チャステインを1対1で対峙させ、いずれもチャステインに主導権を握らせる演出を貫いている。マヤがガンドルフィーニ演じるCIA局長の前で啖呵を切るシーンの爽快さ、そして、官僚的慎重さに苛立つマヤがマーク・ストロングが演じる上司を煽るシーンのユーモアが、観るものを魅了する。

そして、ビグローは、パキスタンやアフガニスタンの市井(しせい)において、米軍に向けられる視線を、前作『ハート・ロッカー』同様、執拗に捉えている。この点が、ベン・アフレックが『アルゴ』(12)において、イランの人々を単に襲いかかってくる群衆としか描いていない、"他者"の欠如を露わにする精神的未成熟との大きな違いだ。これは、映画作家が獲得している世界観の決定的な違いであって、『アルゴ』が欧米、もしくは、欧米的パースペクティブを無批判に受け入れることができる観客のみに賞賛される所以だろう。ビグローが、本作において足を踏み入れている領域は、もはやアカデミー賞という晴れの場で賞賛され得る限界を遥かに超えた"暗い場所"にある。

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本作のラスト30分間で展開されるネイビーシールズによるビン・ラディン襲撃シーンが圧巻だ。レーダに映らないステルス型ブラックホークが、闇夜を飛行し目的地に到着する、その一連のシークエンスを深い闇が包んでいる。最も闇が深まる深夜0:30に精鋭部隊がブラックホークから放たれ、"ジェロニモ"殺害計画が決行される。この襲撃が始まるまでの、深夜の闇を捉える撮影が秀逸だ。この一連のシーンのビジュアルが、正に本作のタイトル"ゼロ・ダーク・サーティ=深夜0:30"という言葉の残酷な詩情を見事に浮き彫りにする。("ジェロニモ"と命名するCIAのセンスは、アメリカ合衆国の血なまぐさい起源を何と直接的に呼び覚ますことか!)

そのビジュアルの美しさと共に音響編集の素晴らしさが際立っている。シールズが視野の狭い暗視スコープで見ている映像は、『羊たちの沈黙』(91)以来だろうか、お約束のグリーンで処理されているが、ドアを爆破する時に生じる爆破音が実に繊細に処理されており、観客を不快にしない。以降リレーのように続くシーンで観客に不快さを感じさせるには、音を抑制しなければならないからだ。ブレッソンが言うように「画と音は、どちらかを優先しなければいけない。両方を同時に与えてしまうと、それらはお互いに相殺してしまう」ことをビグローは知っている。かくして、ビグローは、爆音に続いて、シールズが女性を殺し、子供を泣かせるシーンを描く。

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ビグローは、血に飢えたテロとの戦いを描くことで、実際は、その戦いの、勝利の苦々しさを描いていることが、その描写を通じて伝わって来る。女性を殺したり、子供を泣かせたりする、生々しい描写を敢えて入れること。ビン・ラディンの隠れ家で流された女性たちの涙は、そのままマヤの涙と対比される。その点に女性であるビグローが、呪われた国、合衆国でこの映画を撮らなければならなかった、彼女なりの必然性があるのではないか。同時に、ジェームズ・ボールドウィンが語った「悪魔が映画を作った」(※2)という、その言葉の意味での邪悪さが、一人の男を探し出し殺害するまでの道程を描いた、この作品には宿っている。そして、その主人公が、あまりにも美しい女性であるということ。そのロックンロールな邪悪さが観客を魅了する。ボールドウィンが語ったように、悪魔は、あなたの中にも、私の中にも、いる。


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『ゼロ・ダーク・サーティ』
原題:Zero Dark Thity

2月15日(金)より、全国ロードショー
 
監督・製作:キャスリン・ビグロー
脚本・製作:マーク・ボール
撮影監督:グリーグ・フレイザー
美術監督:ジェレミー・ヒンドル
編集:ディラン・ティチェナー、ウィリアム・ゴールデンバーグ
衣装デザイン:ジョーリ・L・リトル
作曲家:アレクサンドル・デスプラ
出演:ジェシカ・チャステイン、ジェイソン・クラーク、ジョエル・エドガートン、ジェニファー・イーリー、マーク・ストロング、カイル・チャンドラー、エドガーラミレス

Jonathan Olley (C) 2012 CTMG. All rights reserved.

2012年/アメリカ/カラー/ドルビーデジタル/158分
配給:ギャガ

『ゼロ・ダーク・サーティ』
オフィシャルサイト
http://zdt.gaga.ne.jp/











(※1)The Washington Post
CIA complains about depictions in Osama bin Laden movie 'Zero Dark Thirty'































































































































































































































































(※2)「悪魔が映画をつくった」ジェームズ・ボールドウィン 山田宏一訳 時事通信社
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