『リミッツ・オブ・コントロール』

上原輝樹
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ジム・ジャームッシュ監督の新作『リミッツ・オブ・コントロール』は、アルチュール・ランボーの「酔いどれ詩人」から引用された一節とともに開巻する。

   無情な大河を下りながら もはや船引きの導きを感じなくなった

この言葉は、21世紀の現代に生きる我々の姿そのものを言い表しているようでもあるし、これから我々が体験する115分間のスペインへの幻想的な"旅"の始まりをただ単に告げているだけのようでもある。

現代において多くの"旅"がそうであるように、本作の主人公、イザック・ド・バンコレが演じる"孤独な男"の"旅"も空港に始まり空港に終わる。マドリッドの老仕立て屋の手によるオートクチュール・スーツを一分の隙もなく着こなす"孤独な男"には、あるミッションが課せられている。それは、

   自分こそ偉大だと思う男を墓場に送れ

というものだった。ジャームッシュ監督の従来の方法と違って、脚本は書かずに、25ページ程度のあらすじを基に撮影監督のクリストファー・ドイルとともに、スペインの陽光と色彩に刺激を受けながら流動的に映画を撮り上げて行ったという本作だが、それでも"孤独な男"は、この殺しのミッションを"ゴースト・ドッグ"並みの「すべて熟知」な手際の良さで成し遂げて行くことだろう。"自分こそ偉大だと思う男"とは誰なのか?本作が製作された頃に、世界中で最も強大と思われる権力を手にしていた人間が誰であったかを想起すれば、その答えは明らかだ。ビル・マーレイがその"アメリカ人"を演じており、そのネクタイの色からも実在のモデルの顔が容易に思い浮かぶわけだが、これ程ストレートな政治的ブラック・ユーモアはジャームッシュ作品にしてはめずらしい。

"孤独な男"の殺しのミッションを遂げるためのストイックな規律に支配された"旅"は、スペインのセビリアの街並や建築が前景になったり背景になったりしながら、絵画的な美しい構図と偏執狂的までのディテール描写におさめられ、現実と幻想を行き来する酩酊感の中で、観る者の思考、論理に揺さぶりをかける。映像的には、もちろん、クリストファー・ドイルの感覚重視のキャメラワークが大きく貢献しているに違いないが、同じくらいの比率でこの酩酊感にドライブをかけるのが、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドを、サイケデリック&メタリックに進化させたようなヘヴィー・サウンドの日本人3人組ボリスの音楽だ。かつて、ヒッチコック映画において、ヒッチの映像が60%、残りの40%は私が完成させると語ったのはバーナード・ハーマンだったが、本作の完成は、ボリスの音楽なしでは考えられないという位見事にハマっている。もちろん、このハメる才能は、処女作『パーマネント・バケーション』(80)のジョン・ルーリーのサックス以来、一度たりとも外したことのないジャームッシュならではの「全て熟知」な領域。

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"孤独な男"は、スペイン中を巡り、コードネームを持った同志たちと情報を交換する。ジャームッシュ作品初登場となるガエル・ガルシア・ベルナル、『デッドマン』(95)以来の出演となる名優ジョン・ハート、かつてのデレク・ジャーマン映画のミューズにして、今や世界を代表する名女優の輝きを放つティルダ・スウィントン、"ヌード"のコードネームで現実と空想の世界を行き来するパス・デ・ラ・ウエルタ、『ミステリー・トレイン』(89)以来、またもや、列車に乗ってジャームッシュ作品に登場、最もクールなコードネーム"モレキュール(分子)"を授かった工藤夕貴といった錚々たる顔ぶれが、『ブロークン・フラワーズ』(05)的な空間移動マナーと『コーヒー&シガレッツ』(03)的な親密なミーティング・マナーで登場し、観るものを楽しませてくれる。

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工藤夕貴のスーパークールなコードネーム"モレキュール"に象徴されるように、本作には"科学"に対する親近感がそこかしこで表明されている。その親近感は、そもそもタイトルの元ネタとなったのがバロウズのエッセイであったこととも決して無関係ではないが、敢えてストーリーの中でその徴を挙げるとすれば、ビル・マーレイが演じる"アメリカ人"を現実社会において票の力で支えたキリスト教コミュニティと、これと対立する構図となってしまったイスラム教社会、二つの一神教的宗教観に対するアンチテーゼとして"科学"が依って立つ論理性、合理性の方向に振り子の針を少しだけ戻そうではないかという態度表明の中にあまり厳つくない"科学"に対するシンパシーが見て取れる。だから、"孤独な男"のミッションは、狂信的な感情の高ぶりによってもたらされる突発的な行動ではなく、あくまでルールに基づいて理性的に抑制された行動と"正しい方向"への想像力の行使によって、遂行されなければならない。

しかし、"孤独な男"は確かに本作の紛れもない主人公ではあるものの、本作の全てではない。本作の無数の"モレキュール"を引き寄せて映画を成立させるのは、明快に映画を観る前から断言されている『リミッツ・オブ・コントロール』というメッセージ性が高いタイトル、その"言葉"そのものに違いない。ウイリアム・バロウズのエッセイから拝借されたこの言葉の意味するところは、文字通り"支配をすることの限界"を示唆したものだが、バロウズのエッセイでは、"言葉"とは、「支配のための優れた道具」であり、"言葉"によらない、物理的な力による精神の支配に依存した支配機構は、いずれもすぐに支配の限界にぶちあたるだろうという優れた洞察が示されている。この考えに刺激を受けたジャームッシュは、人がどのように支配されることを求めるのかについて考え、「支配のための優れた道具」である"言葉"を必要最小限のストイックなマナーで用いて、映画エッセイともいうべき<試行>を試みる。このイマジネーション溢れる実験から生まれた本作が、世界中に散在するインディペンデントな魂を持った"モレキュール"たちの心を掴まないはずがない。デビュー以来20年間、「真面目に考えるには深刻すぎる人生」(オスカー・ワイルド)に刺激を与え続けて来たニューヨーク・インディーズの雄は、最高潮の実験精神を漲らせ、世界に散らばり自由に動き回る"モレキュール"たちの心をいまだかつてない程不穏にざわつかせている。


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『リミッツ・オブ・コントロール』
原題:The Limits of Control

9月19日(土)、シネマライズ、シネカノン有楽町2丁目、新宿バルト9、シネ・リーブル池袋 他にて全国ロードショー

監督/脚本:ジム・ジャームッシュ
製作:Entertainment Farm、ポイントブランクフィルム、フォーカス・フィーチャーズ、ステイシー・スミス、グレッチェン・マッゴーワン
製作総指揮:ジョン・キリク
撮影監督:クリストファー・ドイル
編集:ジェイ・ラビノウィッツ
プロダクションデザイン:エウヘニオ・カバイェーロ
音楽:ボリス
サウンドデザイン:ロバート・ヘイン
衣装デザイン:サビーヌ・デグレ
キャスティング:エレン・ルイス
出演:イザック・ド・バンコレ、アレックス・デスカス、ジャン=フランソワ・ステヴナン、ルイス・トサル、パス・デ・ラ・ウエルタ、ティルダ・スウィントン、工藤夕貴、ジョン・ハート、ガエル・ガルシア・ベルナル、ヒアム・アッバス、ビル・マーレイ、ラ・トゥルコ、タレゴン・デ・コルドバ、ホルへ・ロドリゲス・パディージャ

2009年/スペイン・アメリカ・日本/115分/カラー/ビスタサイズ/ドルビーデジタル
配給:ピックス

写真:© 2008 PointBlank Films Inc. All Rights Reserved.

『リミッツ・オブ・コントロール』
オフィシャルサイト
http://loc-movie.jp/index.html

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