『シャネル&ストラヴィンスキー』

矢野華子
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シャネルのクリエイティブ・ディレクター、カール・ラガーフェルドとシャネルのメゾンからの協力を得て製作されただけのことはあって、本作の衣裳、セット等の繊細かつ贅沢な演出には見応えがある。「表情、衣裳、物、そして編集によるシーンの繋ぎ方」を重視し、「話し言葉のかわりに、こういった言語を使っていくことで素晴らしい撮影技術的な視覚表現」に取り組んだと語るヤン・クーネン監督の試みは見事に成功したといえるのではないだろうか。私と同類のファッション好きはもちろんそうではない方々も、シャネルの私物だった美術工芸品や彼女が暮らした空間やプライベート・ワードローブに基づいた衣裳など、<ホンモノ>の持つ高度なクオリティ溢れる映像に魅了されるだろう。

本作は1913年、ストラヴィンスキー作曲の「春の祭典」初演に始まり、シャネルの有名な香水「No.5」が発表された1922年前後の二人の芸術家としての、そして男女としての交流が描かれている。

この時代、社会、そしてファッションは大きく変化した。1914-18年の第一次世界大戦中、男性に代わって社会で働いた女性たちは、戦後も家庭に戻ろうとはしなかった。当時の風俗を活写したヴィクトール・マルグリットの小説『ラ・ギャルソンヌ(少年のような女性、の意)』(1922年)に見られるように、既存の社会的な規範に盲従せず、男性と同じように学び、働き、自由に恋愛する自立した女性、モダン・ガールが誕生した。彼女たちはその活動的な生活様式に適応する身体的な機能性の高い、新しい服を必要とした。つまりコルセットが不要で、踝から膝丈へと短く歩きやすくなったスカートで、レースやフリルといった過剰な装飾を控えた服である。

映画冒頭の1913年、シャネルがコルセットの紐を切り裂く場面が語るように、あるいは続くシャンゼリゼ劇場の場面で、当時の流行であった鮮やかなオリエンタルな色彩や豪華なテキスタイルの服に身を包み、長い髪を大きく丸く結い上げた上に羽やターバンで飾り立てたマダムたちの中で、たった一人、ほっそりとした身体に似合う非装飾的かつ優雅な白いドレスで堂々と観劇するシャネルの姿が象徴するように、彼女は自らが最先端のモダン・ガールであった。だからこそ、時代の潜在的な欲求を的確に素早く、読み取ることができたのである。

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1913年、ドーヴィルにブティックを構え、1915年にビアリッツ、1921年にはパリのカンボン通りにオートクチュール店を開店したシャネルは、新しい時代の美意識を服に具現化した。カーディガンやジャージーといった男性服や運動服、労働服の要素を取込んで後に「シャネル・スーツ」と呼ばれたスーツ・スタイルや、かつてはマダムが着るものではなかった簡潔な黒い服「リトル・ブラック・ドレス」や、そうした服にコスチューム・ジュエリー(模造宝石)を組み合わせて夜の服とする提案などによって、彼女は女性たちの心をつかみ、時代の寵児となった。その先見性にあらためて驚かされるが、90年近く前にシャネルが生み出したこれらの様式が21世紀の今も女性のワードローブに必須とされているのだ。「シャネルは(ファッションではなく)スタイルなの」という彼女の言葉が語るように。こうしたシャネルの代表的な作品を、主演のアナ・ムルグリスの颯爽たる着こなしで楽しめるのも本作の楽しみのひとつだ。アナはしばしばポケットに手を突っ込んで歩いてみせるが、それも、ポケットは装飾ではなく手や物を入れるために存在すると語ったシャネルを思い起こさせ、ファッション好きには楽しい。

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さて、こうして成功を手にしたシャネルが、既成の西洋的な美意識に安住せず新しい音楽を志向するストラヴィンスキーと出逢って物語は進行する。あまりに斬新な「春の祭典」が周囲に理解されなかったストラヴィンスキーにシャネルはスポンサードを申し出、たちまち彼と恋仲になっていく様が描かれる。シャネルもデビュー当初は、装飾が少ない、みすぼらしい、といった、旧弊な人々からの酷評を受けつつも信念を曲げることなく成功を手にした。分野は違えど、まだこの世にない美しさを求める二人が互いを刺激し、惹かれ合ったのは至極自然なことに思える。「二人の芸術家の出逢いが、「No 5」と「春の祭典」を生み出した」という本作のキャッチ・コピーにも、私は素直に頷ける。しかし、シャネルがあのストラヴィンスキーとも、しかも自分の別荘に彼の妻子を滞在させつつその同じ屋根の下で愛し合ったというのは、21世紀の今でも相当にスキャンダラスな話だが、本当なのかしら。ゴシップとしても超大ネタである。ストラヴィンスキーは相当彼女に振り回されたんだろうな。そう思わせる、マッツ・ミケルセンの情けない感じの演技も好ましかった。

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本作を見終わって、戸棚にしまい込んでいた「No 5」を久しぶりにつけてみた。今更ながら、よい香水である。自分で言うのもなんだが、女っぷりがぐっと上がる(気がする)。エコ・ブーム、カジュアル・ブームという時勢にいつの間にか従っていた私は、最近、ナチュラル系化粧品ブランドのコロンばかりを使っていたのだった。あれ、しかしこれではシャネル社の思うツボなのではと思いつつも、華麗なる<おひとりさま>シャネルの生き様をこうも美しい映像で見せられては、アラフォーのしがないおひとりさまとしては、せめて香水でもつけて彼女にあやかりたくもなるのである。


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『シャネル&ストラヴィンスキー』
原題:COCO CHANEL & IGOR STRAVINSKY

2010年1月16日(土)公開
シネスイッチ銀座、Bunkamuraル・シネマ、新宿武蔵野館ほか全国ロードショー

監督:ヤン・クーネン
脚本:クリス・グリーンハルジュ
脚色:カルロ・ド・ブニティ、ヤン・クーネン
原作:クリス・グリーンハルジュ
「Coco & Igor」(2003)
美術:マリ=エレーヌ・スルモニ
衣装:シャトゥーヌ&ファブ
音楽:ガブリエル・ヤレド
撮影:ダヴィッド・ウンガロ
編集:アニー・ダンシェ
製作協力:アルビナ・ベックリ
共同製作:ヴェロニカ・ツォナベント
製作:クロディ・オサール、クリス・ボルツリ
出演:マッツ・ミケルセン、アナ・ムグラリス、エレーナ・モロゾヴァ、ナターシャ・リンディンガー、グリゴリイ・マヌロフ、ラシャ・ブクヴィチ、アナトール・トブマン、マキシム・ダニエル、ソフィー・アソン、ニキタ・ポノマレンコ、クララ・ゲルブリュム

2009年/フランス/カラー/35mm/スコープサイズ/ドルビーSRD/119分
配給:ヘキサゴン・ピクチャーズ

©EUROWIDE FILM PRODUCTION

『シャネル&ストラヴィンスキー』
オフィシャルサイト
http://www.chanel-movie.com/
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