『ブライト・スター 〜いちばん美しい恋の詩(うた)〜』

矢野華子
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『ブライト・スター 〜いちばん美しい恋の詩(うた)〜』は、官能的な恋愛ドラマ『ピアノ・レッスン』(93)で知られるジェーン・カンピオン監督の最新作である。舞台は1818年から21年にかけての、ロンドン郊外のハムステッド。ロマン主義を代表する詩人、ジョン・キーツと、同地の乙女、ファニー・ブローンの哀しい恋------ その実話を基に、ファニーの視点から描かれた物語である。

豊かな自然が美しい閑静な町、ハムステッドに建つ白亜のセミ・デタッチト・ハウス、つまり二軒続きの構造の館で、二人は出会った。キーツは22歳、ファニーは18歳。ファニーは館の一方に住むブローン家の長女で、キーツは館の家主、ブラウンの食客としてもう一方に居した。恵まれた少年時代を過ごしたキーツだったが、当時は貧しかった。ファニーは家族と共に、父が残した資産で豊かに暮らしている。とはいえ働き手のない一家の運命は、彼女が資産家と結婚できるかどうかにかかっていた。

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カンピオン監督の作品に20年余に渡って関わってきた美術監督、衣装デザイナーのジャネット・パターソンの緻密な仕事のお陰で、ファニーの暮らしぶりはまるで今起こっているかのようにリアルに、映像化されている。豪華ではないが、ひろびろとした庭を備えた瀟洒な屋敷で、ファニーは幼い弟妹と遊び、裁縫を楽しみ、流行のバレエを習う。夜には舞踏会に出て、結婚のために社交に勤しむ。これは当時の良家の子女の典型的な生活である。同時代のフランスの貴族女性を描いたモーパッサンの小説『女の一生』(1883)の主人公は金銭的により豊かだが、それと同様の、個人の力では動かし難い社会的常識の中に、ファニーも暮らしている。

ナイマンのピアノ曲が印象的だった『ピアノ・レッスン』とは対照的に、本作では挿入歌がほとんど使われず、代わりに全編を覆うのは、ファニーの囀るような、率直な、情熱的なおしゃべりである。本作では彼女の若さが、まぶしく、切なく描かれる。

jane_03.jpg「服のことしか頭にない」とからかわれるファニーの服装は、当時の最新流行である。18世紀には人工的な華麗な装飾美が求められ、スカートが左右に広がる豪華な絹のドレスが好まれたが、自然主義の流行などを背景に、1800年頃から純白の綿を基調としたハイ・ウエストのドレスが流行した。古代ギリシャやローマに影響を受けたこのエンパイア・スタイルのドレスを、ファニーも着ている。

西欧の歴史的なファッションを見るとき、エンパイア・スタイルほどティーンエイジャーを輝かせたファッションはないだろう。ウエストを細く締めるコルセットやスカートを広げる下着は影をひそめ、ドレスは身体の自然な線に沿う。純白の綿は清らかに美しいものの、絹のリッチな輝きはない。つまり、瑞々しい皮膚としなやかな肢体なくしては、この、いわばナチュラルなファッションは着こなせなかった。

輝く若さを際立たせるファッションに身を包み、その魅力と共鳴するハムステッドの生き生きとした緑を背にしたファニーは、彼女を演じるアビー・コーニシュがそうであるように、美しかっただろう。キーツが「ブライト・スター」と自らの詩で称えたほどに。ファニーは、貧乏でも才能ある魅力的な若き詩人との恋愛という、感受性に富む女性ならごく自然な行動をとった。しかしそれは彼女が属する社会の常識に反し、悲劇にしか終わりようがない恋だった。若い恋人たち、ハムステッドの素朴な自然。その純粋な飾り気のない美しさが丁寧に描写されているがゆえに、結末の哀しさが一層胸に迫る。

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それでも、ちょうど娘時分にエンパイア・スタイルのドレスを着る機会に恵まれ、その美しい姿を最愛の人に見せられたのは女性として幸せなことだったと、私は思う。ましてや貴女への恋心を綴ったキーツの詩はイギリスを代表する秀歌と評されるのだから、女冥利に尽きるでしょう。思わず語りかけたくなる、コーニッシュの演技である。ファニーの母と同年代あたりの私には、成就するはずのない恋に一喜一憂するファニーの幼さが可哀相で、母を演じたケリー・フォックスの、娘を見つめる何とも言えない表情にうなづくばかりであった。

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繊細なタッチの歴史恋愛劇に値する高雅な文章で終わりたいところだが、しかし最後にどうしても言わねばならない。キーツを演じるベン・ウィショーって、魅力的。キーツがこんな人だったとしたら、初心な18歳ならずとも恋におちますとも。『パフューム 〜ある人殺しの物語〜』(06)の時も、原作では主人公は醜く疎まれるという設定なのに随分素敵な人をキャスティングしたのねえと思ったけれど、やっぱり良い。彼のお陰で、200年も前のイギリスの恋物語をぐっと現実的に受け止めることができました。ファンです♥


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Comment(1)

Posted by さかい | 2010.07.11

Trailerを観て気になったのですが、途中でPiano曲が流れる部分があり、その曲名を知りたいです。ご存知でないですか。
ちなみにこの部分はSoftbankの30周年プレゼンテーションでも使われていてそれ以来探しており、偶然この映画のTrailerで再発見したというわけです。すでに有名な曲なのでしょうか。
よろしくお願いいたします。

『ブライト・スター 〜いちばん美しい恋の詩(うた)〜』
原題:Bright Star

6月5日(土)Bunkamuraル・シネマ、銀座テアトルシネマ、新宿武蔵野館にてロードショー

監督・脚本:ジェーン・カンピオン
プロデューサー:ジャン・チャップマン、キャロライン・ヒューイット
撮影監督:グレッグ・フレイザー
美術監督&衣装デザイナー:ジャネット・パターソン
出演:アビー・コーニッシュ、ベン・ウィショー、ポール・シュナイダー、ケリー・フォックス

2009年/イギリス・オーストラリア/119分/カラー/アメリカンビスタ/ドルビーデジタル
配給:フェイス・トゥ・フェイス

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『ブライト・スター 〜いちばん美しい恋の詩(うた)〜』
オフィシャルサイト
http://www.brightstar-movie.jp/
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