『メーヌ・オセアン』

鍛冶紀子
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「ヌーベル・ヴァーグはパニックだった、慣習に従わない自由奔放な若者たちの爆発的な出現に映画界全体が恐怖を感じたのだ※」とジャンヌ・モローは述懐したそうだ。その自由奔放な若者たちの代表であったジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーをして賛辞を述べさせた"慣習に従わない"シネアストがジャック・ロジエである。慣習に従わないということは、つまりそれまでの映画作りのメソッドを守らないということでもあるが、ロジエの場合はそのメソッドを敢えて守らなかったのではなく、知らなかったのではないか?と思わせる前向きなアマチュアリズムがある。映画を知り尽くしてしまったゴダールやトリュフォーがロジエを讃え羨んだのは、自分たちはもう二度と戻ることができない"映画狂ではないシネアスト"の発想であり目線であったのではないだろうか。

「メーヌ・オセアン」を撮ったときロジエは60歳。永遠の青春映画の傑作とうたわれる「アデュー・フィリピーヌ」からおよそ25年の時が経っていた。四半世紀もの時が流れたというのにロジエは、季節こそ夏ではないものの相変わらず海辺を舞台に、年齢こそ若者でないものの相変わらず素人の役者を使って、カンツォーネではなくラテンだが相変わらず音楽映画的に音楽を用いて、映画を撮ってしまった。さらに言えば、相変わらず印象的なロングショットで締めくくられる。本作でロジエは、若手の監督に贈られることの多いジャン・ヴィゴ賞を受賞する。ロジエはプロフェッショナルの世界に身を置きながら、自身の中に前向きなアマチュアリズムを内包し続けたのだ。寡作だからそれが可能だったのか、それが可能だったから寡作なのか。どちらが先に立っているかは定かでないが、類い稀な人であることは間違いないだろう。

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エスカレータを駆け上がり、チケットを購入し、人ごみをかき分け、なんとか列車に飛び乗る女。その一部始終をハンディキャメラが追う。彼女が走るとキャメラも走り、彼女がかき分けた人をキャメラもまたかき分ける。このオープニングシーンに小気味よいテンポを与えているのが、シコ・ブアルキとフランシス・ハイミによる音楽だ。ブラジル音楽を代表するミュージシャンによるスコアは、本作が持つコミカルな面にほどよい高揚感を与えている。ロジエの映画にとって音楽は大きな要素と言えるだろう。本作でも登場人物たちによるジャム・セッションのシーンがひとつの頂点となっている。ポルトガル出身のミュージシャンであるルイス・レゴが検札係を演じていることが音楽的必然だとは思わないが、彼がギターをつま弾くことからあの素晴らしいシーンが始まっていくことに間違いはなく、明らかに役者たちが映画を超えて生き生きとしているそのバックには、音楽の存在がある。

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列車に飛び乗った女は車内で検札係に罰金を求められるが、ブラジル人の彼女にはフランス語が通じない。そこへ通りがかった女弁護士がポルトガル語で通訳を買って出るも検札係たちと言い争いになる。この一連のやりとりはおよそ15分にもわたる長回しで撮られている。あたかもそこに偶然カメラが在ったかのごとく。ロジエらしさが全面に出たワンシーンと言えるだろう。話はやがて女弁護士とその依頼人へと移っていく。女ひとりが女二人に、そしてさらに男ひとりが加わり三人へと主要人物が増えていく。やがてそこにメーヌ・オセアン号の検察係と検札長が加わり五人になり、これで総勢かと思いきや、突如アメリカからやってきた興行師が登場して六人の姿がスクリーンを行き交う。普通の映画ならば、登場人物が増えるごとに、彼らの持つ背景や人物像や関係性が明らかになっていくところだが、ロジエの映画においては全くそれがない。登場人物たちは偶然に出会い、数時間をただ共に過ごすだけで、キャメラもまた、それをただ追うだけなのだ。

「文学的な、あるいはむしろ演劇的なせりふが氾濫し、映画はまるで小説や戯曲の副産物のようになってしまった※」とフランス映画の「良質の伝統」を否定し、ヌーヴェル・ヴァーグの扉を開いたフランソワ・トリュフォーが、ロジエの「アデュー・フィリピーヌ」に与えた「ヌーヴェル・ヴァーグの最も成功した作品」という評は、四半世紀後に撮られた「メーヌ・オセアン」についても有効なのではないかと思う。本作においても、役者たちにとってキャメラを規制的な存在にすることのないロジエの演出には、演劇的大仰さなどまるでなく、登場人物たちは在るべくまま在り、各々が各々にとっての日常的な喋りをし、単に出会いそして別れていく。

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ジャム・セッションの翌朝、六人はそれぞれの行き先を目指して出発するのだが、興行師にコケにされ、飛行機を無理やり降ろされる憂き目にあった検札長は、船を乗り継いでナントを目指すことになる。ラストシーン。時に転びそうになりながら、砂浜をひたすら走る小さな人影。海の上から伴走するようにキャメラは流れる。コミカルで、でもどこか物悲しいロングショット。ヴァカンスは終わり、またいつもの日々がやってくるのだ。


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『メーヌ・オセアン』
原題:MAINE OCEAN

1月23日(土)より、ユーロスペースにて公開

脚本・台詞:ジャック・ロジエ、リディア・フェルド
撮影:アカシオ・ド・アルメイダ
録音:ニコラ・ルフェーヴル
編集:ジャック・ロジエ、マルティーヌ・ブラン
音楽:シコ・ブアルキ、フランシス・ハイミ
製作:パウロ・ブランコ
出演:ベルナール・メネズ(検札長)、ルイス・レゴ(リュシアン)、イヴ・アフォンゾ(プチガ)、リディア・フェルド(女弁護士)、ロザ=マリア・ゴメス(デジャニラ)

1985年/フランス/135分/35mm/カラー/1:1.66
配給:アウラ

『ジャック・ロジエのヴァカンス』
オフィシャルサイト
http://www.rozier.jp/index.html


ジャック・ロジエのヴァカンス





※「わがフランス映画誌」山田宏一著・平凡社刊より抜粋
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