『人生、ここにあり』

上原輝樹
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『人生、ここにあり』には、イタリアが詰まっている。あまりにも人間らしい個性豊かな欠陥だらけの登場人物たち、陽気な愛の讃歌を歌い、美脚の女性に一目惚れし愛を告白する直球の人生、そして、いずれ訪れる挫折と死、イタリアン・ネオレアリズモが掬い上げてきた、名も無き人々の一生懸命な人生が、苦渋に満ちた重々しい表情の連続ではなく、破格の笑顔で描かているところが嬉しい。そして、そんな笑顔を見せてくれるのは、いわゆる精神病患者とされる登場人物たちである。

『白い恐怖』『カッコーの巣の上で』『レナードの朝』『シャッター・アイランド』、精神病患者と言われる人たちを主人公にした映画の数は決して少なくないが、これ程の陽気さで描かれた映画は、ホドロフスキーの『サンタ・サングレ』以外に思いつかないし、これほど希望を与えてくれる作品は、ちょっと他に思い浮かばない。「"セットアップ"をさっさとすませて、3分間ですぐに映画に入り、11人の登場人物を描き始められるようにしたかった」と語る、喜劇映画を得意とする職人監督と言ってよさそうな、ジュリオ・マンフレドニア監督のストーリーテリングの手際の良さと、そうした演出を下支えする入念な取材に基づいた脚本、1年間かけたという完璧なキャスティングと長時間に及ぶリハーサル、そうしたフィクションの完成度の高さを追求する映画作りが、類い稀なる骨太なコメディを生み出した。

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映画の舞台は、1983年のミラノ、新しく制定されたバザーリア法によって精神病院が閉鎖されたが、行き場のない元患者たちは、病院付属の「協同組合180」に集められていた。そこに、元労働組合員の熱血漢ネッロが赴任してくる。という設定自体が日本人にはあまり馴染みがないので、補足しておくと、バザーリア法とは、1971年に精神病院の院長であるフランコ・バザーリアが「自由こそ治療だ!」というスローガンの下、精神病院を使わない新しいシステムで患者を支える実践を始め、1978年には、世界でも類を見ない精神病院廃絶法、別名バザーリア法がイタリアの国会で承認された。そんな、新しい時代の希望を感じさせる空気がこの映画にある種の楽観的なトーンを与えている。

イタリアの70年代と言えば、マルコ・ベロッキオの『夜よ、こんにちは』で描かれた赤い旅団による、モッテ大統領誘拐殺人事件に代表される、いわゆる鉛の時代として知られる。もちろん、これはイタリアに限ったことではなく、世界をテロリズムの嵐が席巻した時代だったわけだが、その嵐が去ったかに見えた(実際はより拡散していたわけだが)80年代を舞台にした本作故に、右翼、左翼、労働組合といった、コメディとしてはいささかキナ臭い言葉が、時代遅れを揶揄するジョークとしてセリフに織り込まれている。もっとも、現在のグローバルな構造的経済不況を鑑みると、再整理が必要なそれらのタームに妙な引っ掛かりを覚えて、単純に笑って済ますことができないのだが。

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世界の解放を目指し挫折した革命思想の、根本にあったはずの自由を希求する気運は、様々な形でその後の世界に影響を与えた。「自由こそが治療だ!」というスローガンを掲げたバザーリアの思想も、そんな時代の空気と無縁とは思われない。精神病院は患者を施設に閉じ込めるだけではなく、薬漬けにして、人間の気力を奪ってしまう、その治療方法の弊害も本作では描かれているが、この問題は本質的に日本でも社会問題化している"薬物"への依存症と通底する。この"薬物依存"の問題は、年間の自殺者が3万人を超える日本において、より深刻な問題だが、この「自由こそが治療だ!」の思想を何とか日本でも敷衍できないものか?と思わずにいられない。

何らかの理由で精神病院送りにされた"彼ら"にはそのような扱いを受けるそれなりの原因があるのだろうと条件反射的に考えてしまう人々が多く住む国にはきっと"精神病院"が厳然として存在し、人々の思考の限界を規定するメッセージを発し続けているのだろう。すなわち、"彼ら"は異質だから社会の中で溶け込むのは難しい、君や私にとっても邪魔で役立たずな存在だから、安全な場所に隔離しましょう、ということなのだろう。

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しかし、本当にそうだろうか?とラディカルに思考し、実践し、あるものは道半ばで挫折し、あるものは懸命に生き続ける、青山真治が自らの作品『東京公園』を表現した言葉を借りれば、その「途中経過の報告」の物語が本作であり、今、色々な意味で大きな袋小路にいる私たち日本人にとっても、大いに有益なメッセージを発している。今更、"全ての人に何かしらの取り柄がある"とか"人生で大切なのは挑戦すること"といった古き良きプロレタリアート的メッセージが効力を持ちうるのだろうか?『人生、ここにあり』は、その疑問に対して"YES"と答えている。そして、その愚直なまでの真直ぐさこそ、震災後の日本人が最も必要としている美徳のひとつであるに違いない。

こんなに笑えて、庶民的なのに、実はラディカルな未来派!というところが、大いにイタリア映画らしいところでもある。そして、その"未来"を輝かせるためには、日々の想像力を働かせ、私たちが自ら作り出す心の中の障壁を取り払い、誰もがそれぞれの道で"働く"しかないのだ。


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『人生、ここにあり』
原題:Si Puo Fare

7月23日(土)より、シネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー
 
監督・脚本:ジュリオ・マンフレドニア
原案・脚本:ファビオ・ボニファッチ
製作:アンジェロ・リッツォーリ
撮影監督:ロベルト・フォルツァ
編集:チェチリア・ザヌーゾ
音楽:ビヴィオ&アルド・デ・スカルツィ
出演:クラウディオ・ビジオ、アニータ・カブリオーリ、アンドレア・ボスカ、ジョヴァンニ・カルカーニョ、ミケーレ・デ・ヴィルジリオ、カルロ・ ジュセツペ・ガバルディーニ

© 2008 RIZZOLI FILM

2008年/イタリア/111分
配給:エスパース・サロウ

『人生、ここにあり』
オフィシャルサイト
http://jinsei-koko.com/
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