『籠の中の乙女』

上原輝樹
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本作は、ギリシア郊外のプール付きの瀟酒な邸宅に住む家族の恐ろしくも奇妙な寓話である。そこでは、絶対権力者である父親(クリストス・ステルギオグル)が、妻(ミシェル・ヴァレイ)の献身的な協力を得て、三人の子どもを外の世界から隔離し、家庭内で純粋培養している。一見、普通の家庭に見えるこの家の中では、父親が、外の世界は恐ろしいところだと信じ込ませるために厳格なルールを設け、子どもたちを洗脳していた。

と、そこまで物語の概要を要約してみると、エッセンスだけ見れば、どこの家庭にもある話だよな、と思い至る。どこの家庭にも多かれ少なかれ独自のルールが存在していて、それは他人から見ると少し奇妙なものに見えたりする。例えば、僭越ながら自分の子どもの頃をちょっと振り返ってみると、我が家では「ダメおやじ」を見ることが禁止されていた。父親がこっぴどくやっつけられる、父親の威厳を著しく傷つけるような漫画など見てはいけない、という理由だった。我が家で、このルールを作ったのは父親ではなく、母親だった。母親は、また、「ヘンタイ」という言葉の使用を禁止した。その言葉の意味もわからないような小さい頃に、妹との口喧嘩で「ヘンタイ!」と叫ぶなど、その言葉を乱用していたのを母親が見かねて禁止したものだったが、その禁止はルール化され、人様の前で決してその言葉を発してはならない、ということになった。

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本作は、そうした(?)どこの家庭でも多かれ少なかれ存在するに違いない独特なルールが、三人の子どもたちを支配するさまをスタイリッシュに無菌化された日常の中で描いていく。三人もの子どもがこの年齢になるまで親にマインドコントールされる、などということが実際に起こりうるだろうか?といったもっともらしい疑念はこの映画とは無縁である。彼方上空を飛行機が飛び往く以外、"世界"から隔離されたこの邸宅では、家族の団欒を描く場合においてさえ、『ドッグヴィル』(03)さながら"見立ての世界"の虚構性が、スクリーンと観客を薄い膜が隔てるかのような非現実感でこの作品を覆っており、言葉にすれば不快な響きを伴うに違いないシーンに出くわした時でさえ、受ける衝撃はサッパリとしていて後味は悪くない。

そうしてスクリーンの表層を戯れる端正な画とフィクションの中で実際に起きていることは、互いに明後日の方向を向いており、その不均衡が、映画に歪んだ美をもたらしている。子どもたちは、例えば、実際の"胡椒"は"お電話"という名称であるとされ、"高速道路"は"とても強い風"、そして、"ゾンビ"とは"小さい黄色い花"のことであると教えられる。外界と連絡をとることに使われる"電話"や、外の世界に行かないと見ることが出来ない"高速道路"は、子どもたちには不要なものなので、その実質は隠蔽される。そして、"ゾンビ"は禁止されている「映画だけが」表象し得るものである。父親が"安全"であると規定する家庭内で知りうるものの対極にあるものとして、「映画」が俄然浮かび上がってくる。

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そして、ラジオから流れてくる、60年代に米アポロ計画のテーマ曲と見なされ、何度となくハリウッド映画の中でも繰り返し使われてきたシナトラの「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」の歌詞を、"真実"とは真逆の姿勢で、自分ルールに好都合な言葉に翻訳して歌う父親の圧倒的にシュールな面白さは、この選曲も相俟って、本作の批判する射程距離を"家庭"から"国家"にまで拡大するかのようである。以降、参照される映画(『ロッキー』(76)=勇気/暴力、『フラッシュダンス』(83)=自由への旅立ち)が悉く良く知られたアメリカ映画でなくてはならなかったことは決して偶然ではない。ブニュエルの『自由の幻想』(74)並みに強烈な批判精神に溢れたこの作品で、参照されるアメリカ映画を、わかるわかる!と言って喜ぶ観客をも、あなた達も相当洗脳されていますねと、このギリシアの鬼才がほくそ笑んでいないと誰が断言出来るだろうか。ただ、その痛烈な批判を唯一免れたのが、"小さい黄色い花"と可憐に言い換えられた "ゾンビ"だけだったことは、大いに納得のいく選択であるように思える。


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『籠の中の乙女』
原題:DOGTOOTH

8月18日(土)より、渋谷シアター・イメージフォーラムにてロードショー
 
監督・脚本:ヨルゴス・ランティモス
脚本:エフティミス・フィリプ
製作:ヨルゴス・ツルヤニス
製作総指揮:イラクリス・マヴロイディス
製作補:アティナ・ツァンガリ
撮影:ティミオス・バカタキス
美術・衣装:エリ・パパゲオルガコプル
編集:ヨルゴス・マブロプサリディス
録音:レアンドロス・ドゥニス
進行:スタヴロス・クリソヤニス
出演:クリストス・ステルギオグル、ミシェル・ヴァレイ、アンゲリキ・パプーリァ、マリー・ツォニ、クリストス・パサリス、アナ・カレジドゥ

© 2009 BOO PRODUCTIONS GREEK FILM CENTER YORGOS LANTHIMOS HORSEFLY PRODUCTIONS - Copyright (C) XXIV All rights reserved

2009年/ギリシャ/96分/カラ―/シネマスコープ/BD
配給:彩プロ

『籠の中の乙女』
オフィシャルサイト
http://kago-otome.ayapro.ne.jp/
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