『ブルー・バレンタイン』

上原輝樹
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まず、奇跡的に美しいポルトガル映画『トラス・オス・モンテス』を想起させる濃い緑が映える映像が目に飛び込んでくる。そして、グリズリー・ベアの手によるものとエンドロールのクレジットで知ることになる、映画全編に渡って優しげに不穏さを醸し出す音楽によって、新たなる感性への扉が開かれる。キャメラはひとつの家族の暖かさと慌ただしさが同居する、どこか不安な予兆に満ちた朝の時間を捉え、いつか夢の中で見たようなフレームの輪郭が曖昧な映像表現で観るもの惹き付ける。

主人公のディーンを演じるライアン・ゴズリングの子どもとの接し方、優しさと遊び心が軽やかに溢れる独特の話し方には同じ男性として嫉妬を覚えるほどだが、その子どもの母親であり、ディーンの妻である女性シンディ(ミシェル・ウイリアムス)にとっては、そんな夫の余裕には苛立ちすら感じているということが、彼女の表情や手元をクローズアップで捉えた硬質なショットから伝わってくる。(この忙しい朝に余裕すら見せて、何て気楽な男かしら!私は、あと10分で全ての支度をして、出勤する前に娘を学校に連れて行かなくてはならないというのに、、、!)

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シンディは、車で約1時間かけて通う通勤医であり、ディーンは朝からビールを飲みながら仕事をこなすことができるペンキ塗りだ。ディーンは、子どもと共に多くの時間を過すことができる善き父親で居ることが最大の務めだと考えているが、シンディはこの状態に大いに不満を抱えている。(もっとマトモな職につけるはずなのに、この男は自分の人生を無為に過している、、、)

こうして始まった先行き不透明な"現在"と、二人の"過去"が同時平行で描かれていく。"現在"は固定したキャメラポジションから硬質な質感で描かれ、ディーンとシンディが知り合うきっかけとなるケアハウスでのシーンに先立って披露されるディーンの老人へのスイートな仕事ぶりを捉えるユーモアと優しさに満ちた"過去"は、手持ちの16ミリキャメラを用いて暖かみのある色彩で描かれている。二人の関係がますます引き裂かれていく"現在"の中でも最も過酷と言えるのが、場末のモーテルの一室、"未来の部屋"でのシークエンスだろう。わざわざ、モーテルの"未来の部屋"を予約して喧嘩の仲直りをしようとしたディーンだったが、窓すらもなく、壁一面がブルーに塗られたチープな近未来仕様の狭い一室で過した一夜は、初めから乗り気ではないシンディとの間に決定的な気まずさを齎してしまう。

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離婚した両親を親に持つデレク・シアンフランス監督が子どもの頃に最も恐れていたのは、"両親の離婚"と"核戦争"だったという。前者に関しては、それが正に本作のテーマとなっているわけだが、後者に関しては、まるで"核シェルター"のように閉ざされた"未来の部屋"の造形に反映されている。そのことは、"核の恐怖"が現実のものとなってしまった3.11以降、隔離される"ゾーン"を生み出してしまった私たちの暗い現実と奇妙に呼応する。

共同脚本を務めた3人(デレク・シアンフランス監督、ジョーイ・カーティス、カミ・デラヴィーン)の内2人が、両親の離婚を経験しているという本作の物語には、彼らの実体験が濃厚に暗い影を落としてはいるものの、行き詰まってしまった"現在"と無邪気なロマンスに満ちていた"過去"をほぼ同等のバランスで扱っているところに、映画作家のロマンティックな資質が顕われている。

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作り手の体験や感情が大いに作品に注入されることと、観るものに様々な見方を可能にすることが全く矛盾することなく同居しているのは、やはり、個人的な体験を突き詰めて行くことで普遍へと到達する、長い道のりを彼らが誠実に歩んできたからなのだろう。監督のデレク・シアンフランスは、本作の制作を決意してから11年間の紆余曲折を経て『ブルー・バレンタイン』の完成まで漕ぎ着けている。

そんな監督の執念はプロダクション・デザインにも表れている。シンディと出会う頃のディーンは、引越屋のスタンウェイという会社で働いている設定だが、その会社は実在し、会社のトラックや倉庫、オフィスが映画にも使われている。そして、撮影監督のアンドレー・パレークが、実際に引越しをする日に合わせてスタンウェイの人員を雇い、ライアン・ゴズリングもスタンウェイ社に朝から出社して従業員と一緒に働いたのだという。ケアハウスにしても、シンディが中絶手術に向かう病院にしても実在のロケーションで撮影しており、俳優陣を実生活の場所に引き込み、リアルな空気感を醸成する演出上の工夫がなされている。そうした生活の場所に映画を紛れ込ませ、溶け込ませるための綿密な工夫の数々が、既に語り尽くされた男女の物語を、愛と絶望の非凡な一遍に昇華せしめる一因になっているのかもしれない。フィクションとドキュメンタリーの境界線が溶けてゆく21世紀の映画作りにおける、ひとつのユニークな理想型が実現している。

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ジョナス・メカスと並んで、"アメリカン・ニュー・シネマ"ならぬ"ニュー・アメリカン・シネマ"の鬼才と称されるスタン・ブラッケージの元で映画制作を学んだデレク・シアンフランス監督とジェームズ・グレイの傑作『裏切り者』でハリス・サヴィデスの撮影アシスタントを務め、以降、独立系映画の撮影を数多く手掛け、アメリカで最も注目される撮影監督の一人にまで成長を遂げたアンドレー・パレークの2人によって創り出された映像は、日常生活の中で摩耗して消えてゆく愛の儚さよりも、過ぎ去った過去の、あまりに甘美でときめきに満ちた記憶をフィルムに焼き付けることに美しい執着を見せる。そのメランコリックな気質は、アヴァンギャルドという物々しいタームの影に隠れてしまって見えにくくなっていた、メカスやブラッケージ、そして、ケネス・アンガーにも共通する"ニュー・アメリカン・シネマ"の本質ではなかったか?

本作のクライマックスというべき、ライアン・ゴズリングが"DESAFINADO"な美声でミルス・ブラザースの名曲「You Always Hurt the One You Love」を唱い、ミシェル・ウイリアムスがオフビートなタップダンスを披露するシーンの愛おしさと、痛切なラストシーンが拮抗し、『トラス・オス・モンテス』めいた映画冒頭の緑の残像と"ニュー・アメリカン・シネマ"からヴィジュアル・アーツへと進化を続ける実験映像の歩みを想起させるエンドロールの散りゆく花火が哀愁とともに煌めくとき、『ブルー・バレンタイン』は、私にとっての忘れ難い映画体験となった。


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『ブルー・バレンタイン』
原題:BLUE VALENTINE

4月23日(土)より、新宿バルト9、TOHOシネマズシャンテ他、全国ロードショー
 
監督:デレク・シアンフランス
脚本:デレク・シアンフランス、ジョーイ・カーティス、カミ・デラヴィーン
製作:ジェイミー・パトリコフ、リネット・ハウエル、アレックス・オーロフスキー
製作総指揮:ダグ・デイ、ジャック・レクナー、スコット・オスマン、ライアン・ゴズリング、ミシェル・ウィリアムズ
共同プロデューサー:キャリー・フィックス
撮影:アンドリー・パレーク
編集:ジム・ヘルトン、ロン・ペイテーン
プロダクション・デザイン:インバル・ワインバーグ
衣装デザイン:エリン・ベナッチ
音楽:グリズリー・ベア
音楽スーパーバイザー:ジョー・ルッジ
出演:ライアン・ゴズリング、ミシェル・ウィリアムズ、フェイス・ウラディカ、マイク・ヴォーゲル

© 2010 HAMILTON FILM PRODUCTIONS, LLC ALL RIGHTS RESERVED

2010年/アメリカ/112分/カラー/アメリカンビスタ/ドルビーデジタル
配給:クロックワークス

『ブルー・バレンタイン』
オフィシャルサイト
http://www.b-valentine.com/
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