『アメリカン・ハッスル』

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煌びやかな俳優の映画にして、フェアネスが映画全編に渡って脈動する傑作人間ドラマ
star.gifstar.gifstar.gifstar.gifstar.gif 上原輝樹

本作は、1979年に大物議員が次々に摘発され、米政界を震撼させた汚職スキャンダル「アブスキャム事件」を材にした、実話に基づいた映画であるという。捜査機関が詐欺師に捜査協力を依頼するといった事態は、多かれ少なかれ人知れずどこの国でもやっていそうなことだが、とりわけ、ユリ・ゲラーを招聘して超能力を科学的に検証しようとしたり、イルカを軍事利用したりする国の機関であれば、如何にもやりそうなことで左程驚くべきことでもない。むしろ瞠目すべきは、主人公の詐欺師アーヴィンを演じるクリスチャン・ベイルの複雑に造り込まれた髪型であり、愛人エイミー・アダムス、妻ジェニファー・ローレンス、アーヴィンを囮捜査に引きずり込むFBI捜査官ブラッドリー・クーパー、地元市民に親しまれるリーゼントの市長ジェレミー・レナーによるアンサンブル演技であり、その時代を活き活きと生きようとした人々の、ハリウッド名優たちによるポートレイトだろう。何よりもまず、『アメリカン・ハッスル』は、『ザ・マスター』(12/ポール・トーマス・アンダーソン)以来の、観客に俳優の演技を見る愉しみを堪能させてくれる、煌びやかな"俳優の映画"である。

表向きはクリーニング店を経営しながら、裏で盗品やアートの贋作を売りさばいて暮らす詐欺師アーヴィンは、ハゲを隠すために複雑に構成された一九分けの髪型と下腹の肥えた体躯に加えて、詐欺師に成り果せたその出発点に、騙され続けて一生を終えた父親の痛々しい不在の存在感があることで、その羽振りの良い暮らしぶりが、人々の羨望の眼差しというよりはむしろ同情と共感の視線を集める、極めてクリスチャン・ベイル的というべき存在である。クリスチャン・ベイルは、『マシニスト』(04/ブラッド・アンダーソン)や『ザ・ファイター』(10/デヴィッド・O・ラッセル)の例を出すまでもなく、そのトランスフォームした外見上の奇矯さが見るものの注意を惹き、特別な愛着を抱かせる、ある種カルト的な役柄を引き寄せる俳優だが、本作のアーヴィンにおいても、まずは造り込んだ外見の奇矯さで見るものを惹き付けるが、やがて外見を超えたところで、人を騙すことが生業であるはずの"詐欺師"の、誠実としか言いようのない、<REAL>に人間的な美徳を迸らせ、見るものの心を静かに射つだろう。

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デューク・エリントンの「Jeep's Blues」を切っ掛けにパーティーで意気投合したアーヴィンとシドニー(エイミー・アダムス)の決定的な出会いは、この映画の全ての基軸になっている。見てくれは冴えないが、落ち着き払った自然な物腰が人々を魅了するアーヴィンと、田舎のストリップダンサー出身ながらも大都会ニューヨークの出版社で働くところまで上り詰めた聡明さが光り輝くシドニーは、貧しい出自からここまで生き残ってきた、そのバイタリティと人間性を互いに認め合う、<REAL>な関係性を築いていく。アーヴィンがシドニーに、自らが従事している裏ビジネスについて告白し、一緒に組みたいとプロポーズした時、シドニーはアーヴィンに背を向けて、オフィスから出て行ってしまう。彼女が去った瞬間に、「君と知り合えて本当に良かったよ!」と大声で後悔を叫ぶクリスチャン・ベイルが漲らせる感情の炸裂、暫くして、クールな表情で英国訛りのイギリス王族の一員に成り切って戻ってくるエイミー・アダムスの堂に入った佇まい、息をもつかせぬ名優ふたりの演技が素晴らしい。

マサチューセッツ州ローウェルの複雑な家庭環境の中で、紆余曲折を経ながらもより善く生きようとしたボクサー兄弟を描いた『ザ・ファイター』同様、デヴィッド・O・ラッセルが描くのは、アメリカの都市に生きる際立ったキャラクターを持つ"普通の人々"である。それは、かつて『ミーン・ストリート』(73)、『タクシー・ドライバー』(76)、『キング・オブ・コメディ』(83)、『グッドフェーロズ』(90)といったマーティン・スコセッシ作品で目することのできた市井の人々であり、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』が敢えて背を向けたものでもある。『アメリカン・ハッスル』が素晴らしいのは、何もかもが過剰な『ウルフ〜』を更に上回る過剰さで、俳優の髪型と衣装を作り込み、それによって、誰よりも俳優陣自身が、そして、観客が、出鱈目に見えるが実はかなり資本主義とグローバリズムの本質そのものである『ウルフ〜』の重々しさとは全く異なる『アメリカン・ハッスル』の人間臭い"虚構"の世界を大いに楽しむことを可能にしつつ、<REAL>であるとはどういうことか、その問い掛けに正面から向き合っていることだろう。

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『ウルフ〜』が、資本主義とグローバリズムというシステムの本質を描いた無臭の爆笑映画だとすると、『アメリカン・ハッスル』は、人間の本質を描いた人の"匂い"が辺り一面に漂う人間讃歌であると言えるかもしれない。その象徴的なシーンが、ジェニファー・ローレンスがはちゃむくれ顔で演じるロザリンが、アーヴィンはわたしのネイル・ポリッシュの匂いにぞっこんだから、わたしから離れられないの!と言って、市長のカーマイン(ジェレミー・レナー)と、その妻にまで自分の爪の匂いを嗅がせてしまう秀逸なシーンだ。その直後に、あと5秒数えたら、彼らは「仕事の話をしたいから君たちは席を外して」と言い出すのよ、とロザリンが市長の妻に言い、その通りになって爆笑したジェニファー・ローレンスが椅子から転げ落ちる一連のシーンが神々しいまでに素晴らしい。日本の観客ならば、転げ落ちるジェニファーの姿に昨年のアカデミー授賞式において階段で転んだ彼女の姿を脳裏に重ねながら、肝心の時に転ぶのは、浅田真央ではなくてジェニファー・ローレンスだろう!と喜々として呟いた者もいるに違いない。本作におけるジェニファー・ローレンスは出番がそれほど多いわけでもないにも関わらず、圧倒的に煌びやかでクレイジーな存在感でスクリーンを制圧している。

愛は消えつつあるが、情が残っているアーヴィンとロザリンの夫婦の間に颯爽と登場したシドニーだが、アーヴィンが一人息子を人質に獲られ、ロザリンとなかなか離れられないことを悟り、囮捜査にふたりを巻き込んだFBI捜査官チャーリー(ブラッドリー・クーパー)と次第に親密さを増していく。しかし、イーディス/シドニーとチャーリーのふたりには、シドニーは英国王族の一員イーディスとして、チャーリーは出資者を探している実業家として、初めから偽物同士の出会いが運命づけられている。前述したアーヴィンとロザリン、市長夫婦の会食から外された、イーディス/シドニーとチャーリーは、ディスコでドナ・サマーのディスコ・アンセム「I Feel Love」で踊った後、トイレに駆け込み、「私たちは本物<REAL>なのよ!」と叫びながら、お互いの体が実在する感触を確かめ合うように抱き合うだろう。「私たちの愛が本物になったら、私たちは愛し合うの!」と彼女は言い、トイレから出たチャーリーが「おれは本物<REAL>になるんだ!」と叫び声を上げる、その瞬間には、無数の何者にもなれない者たちの、声無き叫び声が集約されているようで、心が激しく揺さぶられる。しかし、ふたりの<REAL>は初めからすれ違っている。チャーリーの言う<REAL>とは、あらかじめ失われた"アメリカン・ドリーム"を具現する成功者や"ひとかどの人物"を意味し、イーディス/シドニーの<REAL>は、自分自身を再び取り戻すことであるはずだ。倒錯的な出会いが倒錯的な結果しか生み出さないことは、つい先だって特集上映されたジャン・グレミヨンの『愛慾』(37)において、ジャン・ギャバンとミレイユ・バランの倒錯的な出会いの齎す欲望の悲劇でも描かれていた通り、人生のおけるひとつの真実であるのかもしれない。

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FBI捜査官のチャーリーは、母親と狭いアパートメントに暮らし、実際は直毛の髪の毛をカーラーを使って巻き毛にしている。涙ぐましいような努力で自らのルックスを磨き上げ、今の境遇から抜け出ることを夢見ている男だ。しかし、彼が"ひとかどの人物"になること妨げているのは、"環境"だけではない。チャーリーは人の話を最後まで聴くことが出来ない"脳/性格"の持主で、FBIの上司との反復されるギャグのようなやりとりが、彼の将来を阻む、彼自身の性格を鮮やかに描写している。チャーリーは、人の話を聴き始めるやいなや、話の結論を先読みし、先回りして自分の言葉で会話を終わらせようとする、"サスペンスに耐えられない脳"の持主なのだ。それでも、デヴィッド・O・ラッセルは、彼をフェアに扱うことを忘れない。それが、"アメリカン"の流儀であるはずだから。チャーリーが髪の毛をセットしているシーンで流れる、ジェフ・リン(ELO)の美しい曲「Stream of stars」が、エンドクレジットの一番最後にもう一度流れる。狭いアパートメントに暮らしながら、そこから出ることを夢見て野心を膨らませる男の悲哀がスクリーンに滲み出る、その場面に流れる音楽を最後にもう一度流すことで、ラッセル監督は無数にいる何者にもなれない者たち<Stream of stars>に花を持たせたかったに違いない。騙し騙される登場人物たちが迸らせる、際立った個性を持った登場人物の背後には、無数の名も無きアメリカ人たちの<REAL>が息づいている。

アーヴィンの生業である詐術を活かして捜査に協力するうちに、彼らが関与したヤマは、わらしべ長者的に発展していき、ついには、マフィアの大物幹部まで辿りついてしまう。そこで、カメオ出演するロバート・デ・ニーロが久しぶりの快心の存在感で、しょせん善人に過ぎないアーヴィンの身の程をわきまえさせる、無言の視線と緊迫した息づかいの演技が戦慄的に素晴らしい。その地点で本物<REAL>の恐ろしさを知り、ロザリンの無茶振りに強かに打ちのめされたアーヴィンは、正気に返り、再び"生き残る"ことに自分の詐術の全てをつぎ込むだろう。映画終盤において、"生き残り"と"カーマインの救済"に全てをかけたアーヴィンとシドニーの詐欺師コンビの立ち回りといよいよテンションを上げていくリッチーの狂気、信じていたアーヴィンに騙されたことを知ったカーマインの振る舞い、そして、実在したロザリンへのオマージュを仄めかす終盤のシーンまで、息をもつかせぬ、感情のジェットコースターが見るものの心を鷲掴みにして離さない。『アメリカン・ハッスル』は幾つもの錯綜する物語の軸が織り成す、極めて緻密に構成された詐欺師映画/コン・ムービーでありながら、様々な出自を持った主要登場人物の全てが"フェア"に描かれているという点において、本来アメリカ合衆国が建国の理念とした「全ての人々は平等に創られている」ことを担保するための"フェアネス=公正さ"が、映画全編に渡って脈動し、複雑な構成の隅々にまで人間の赤い血液が行き渡る、血湧き肉踊る人間ドラマの傑作だ。


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Comment(1)

Posted by アネッサ | 2020.06.24

遅まきながら、この映画でクリスチャン・ベイルを知り、あんな容貌にもかかわらず(笑)大好きになってしまい、「アメリカンサイコ」などを見て、こんなにハンサムだったのかと愕然としつつ、「太陽の帝国」から全て見てしまいました。アメリカンハッスルの映画の狂想的な面白さは、お書きになっている通りで、読みながらさらに深い部分に気がつき、筆者の方の広大な知性と感受性に打たれました。
サウンドトラックも好きで、購入。時折ジープスブルースなどを聴いています。ただいまレビューを少しずつですが読ませていただいています。
素敵な解説、もったいないので少しずつ読むようにしています。しかも無料で読めるなんて、本当に嬉しいです。
私にとっての映画のWikipediaです

『アメリカン・ハッスル』
原題:American Hustle

1月31日(金)より全国ロードショー
 
監督:デヴィッド・O・ラッセル
製作:チャールズ・ローヴェン、リチャード・サックル、ミーガン・エリソン、ジョナサン・ゴードン
製作総指揮:マシュー・バドマン、ブラッドリー・クーパー、エリック・ウォーレン・シンガー、ジョージ・パーラ
脚本:エリック・ウォーレン・シンガー、デヴィッド・O・ラッセル
撮影:リヌス・サンドグレン
プロダクションデザイン:ジュディ・ベッカー
衣装デザイン:マイケル・ウィルキンソン
編集:アラン・ボームガーテン、ジェイ・キャシディ、クリスピン・ストラザーズ
キャスティング:メアリー・ヴァーニュー、リンジー・グレアム
音楽:ダニー・エルフマン
音楽監修:スーザン・ジェイコブス
出演:クリスチャン・ベイル、ブラッドリー・クーパー、ジェレミー・レナー、エイミー・アダムス、ジェニファー・ローレンス、ルイス・C・K、マイケル・ペーニャ、アレッサンドロ・ニヴォラ、ジャック・ヒューストン、シェー・ウィガム、エリザベス・ローム、ポール・ハーマン、サイード・タグマウイ、マシュー・ラッセル、トーマス・マシューズ、アドリアン・マルティネス、アンソニー・ザーブ、コリーン・キャンプ、ロバート・デ・ニーロ

© 2013CTMG

2013年/アメリカ/138分/カラー
配給:ファントム・フィルム

『アメリカン・ハッスル』
オフィシャルサイト
http://american-hustle.jp
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