『インセプション』

上原輝樹
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『ダークナイト』の世界的成功に乗じてクリストファー・ノーランが仕掛けた新作は、ワーナーブラザースが巨費を投じながら、ノーランが敬愛するスタンリー・キューブリックさながら、その製作は秘密裏の内に進められた。日本では、完成披露から先行上映までが1週間、その1週間後には全国公開されるという、異例の前宣伝の短さで、試写でスクリーニングされたのもたった1週間という潔さ。日本よりも、1週間早く公開されたアメリカにおけるメディアの反応を見ていると、この公開までの戦略、作品への賛否両論を含めて熱気を帯びた議論を生み出しており、取り敢えずは功を奏しているように見える。だが、『ダークナイト』に世界で唯一冷や水を浴びせかけた国"日本"ではどうか?そうした反応が気になる、今では、数少ない注目すべきハリウッド映画、真打ちの登場である。

妻との関係にトラウマを抱える、謎めいた過去を持つキャラクターという点では、『シャッター・アイランド』と設定が被る感が無きにしもあらずの本作のディカプリオは、個人的には秘かに更なる活躍を期待しているマーティン・スコセッシとの相性よりも、今回が初出演となったノーラン作品との相性の方が、残念ながら遥かに良く見える。デ・ニーロ=スコセッシの黄金コンビを観て育ったディカプリオだが、"ダンディズム"と無縁なスコセッシよりも、ノーランのスタイリッシュなビジュアル表現の方が、より"スター"を今日的に輝かせる表現には長けているといえるのかもしれない。

ディカプリオが演じる主人公のコブは、他人の頭の中に"夢"を媒介として侵入し、ビジネスの世界で最も価値あるものとされる"アイディア"を盗むこと〈エクストラクト〉を得意とするトップクラスの企業スパイという設定。彼が犯罪者かどうかということよりも、男にはトラウマめいた過去があり、それによって母国の地を踏むことを許されず、最愛の子供達たちと触れ合うこともままならない、現在の境遇が明らかにされるにつれ、男はあっさりと観客の同情を獲得していくだろう。これもノーラン監督による観客の脳への<インセプション("アイディア"の植え付け)>のひとつに違いない。

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そのコブのスキルに着目し、ライバル巨大企業の後継者の"夢"に侵入し、〈エクストラクト〉よりも更に難しいミッションである〈インセプション〉をするという危険な仕事をコブに依頼する大企業のトップ、サイトーを渡辺謙が演じる。妻のモル(マリオン・コティヤール)を結局は追いつめる要因となった<インセプション>という行為の危なさを身に染みて知っているコブは、最初はこの任務を断るのだが、サイトーが提案した"決して断れないオファー"の前に、この危険な任務に"ただ飛び込んでいく"しかなかった。この<インセプション>をやり遂げれば、実力者のサイトーがコブに無事米国に入国し子供たちと暮らす事ができるよう、政府に取りはからうことを約束したのだ。ディカプリオ演じるコブとは初めは敵同士のように見えたサイトーが徐々に互いの信頼関係を築き上げて行く様は、やはり堂々たる存在感というべきもので、ノーラン監督が脚本執筆時にサイトー役は渡辺謙を当て書きしたというだけのことはある。しかも、本作における数少ない笑えるシーンで、その笑いをさらったのが、サイトーのセリフ「プライベートジェットを用意した」だったことも印象に残る。

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サイトーに依頼されたミッションを遂行すべく、『オーシャンズ11』さながらの犯罪映画のマナーで、コブは必要なスペシャリトたちを集めていくだろう。コブの長年の相棒であるアーサーをジョセフ・ゴードン=レヴィット(『(500)日のサマー』)がスマートかつアクティブに演じているが、本作では、ディカプリを凌ぐほどの大きなアクションシーンでの見せ場が彼には用意されている。『バットマンズ ビギンズ』と『ダークナイト』でも使われたイギリスのカーディントン飛行船格納庫での、360度回転するように設計されたセットで撮影された"ホテル廊下での格闘シーン"は、ハリウッド映画の格闘シーンの歴史にまた新たな1ページを付け加えたと言ってよいだろう。アーサーとはライバル的関係にあり、コブとの付き合いも古く、"夢の共有"についての経験も豊富なイームスを、トム・ハーディーが演じている。繊細なアーサーと好対照な、がさつだが頼りがいのある人物造形は、スペシャリストチームにヒューマンな個性をもたらしている。

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そして、このチームの中でコブにとっても観客にとっても最も重要と思われるメンバー、アリアドネを演じるのが『ジュノ』、『ローラーガールズ』でフレッシュな魅力を放ったエレン・ペイジ。本作の主要キャラクターの中でも最も成功したキャスティングのひとりだろう。今や、ノーラン作品には欠かせない名優マイケル・ケインが演じるコブの父親(建築家)が、最高の人材だとコブに紹介した建築家の卵、アリアドネが、コブの指導を受けて"夢の設計士"として次々と見事な<Pure Creation>を夢の世界の中で創り上げていくシーンは、本作でも最高の見所のひとつだ。もっとも、彼女は、優秀ではあるものの、まだまだ経験の浅い新人なのであって、"夢の共有"という見慣れない事態を目の当たりにしているという点では観客と左程変わらない立場にいる。つまり、アリアドネは、第三者の目線でこのイマジナリーな世界を観客にナビゲートするという重要な役割を担い、観客の疑問を代弁し、我々を映画に繋ぎ止める重要なパイプ役を果たしている。また、妻のモルとのトラウマティックな関係に苦悩するコブの目を覚まさせるスマートさと、『ローラーガールズ』程ではないにしろ、時にはかなりお転婆な所も見せる勝ち気な所作にも、エレン・ペイジの魅力が充分発揮されている。

コブが、アリアドネに"夢の設計"に関する様々なノウハウを伝授していくプロセスで、ノーランは、かつて『メメント』や『インソムニア』で探求した"時間とは何か?"というテーマを敷衍して"時間"と密接な関係にある"夢"というテーマに切り込み、"夢とは何か?"という作家的関心事を探求していく。その探求の成果は、「夢ではインスピレーションがそのまま現象として起き」たり、「夢を見ている間は、それが現実だと思っている。夢から覚めてはじめてそれが夢だったことを知る」という考察をコブに語らせる形でフィクションに組込んでいく。そして、"夢の設計"とは「記憶の再現ではなく、純粋な想像<Pure Creation>でなくてはならない」、なぜならそれを間違えてしまうと、現実と夢の区別がつかなくなり、現実世界で生きるリアリティを失い、実生活に破綻が訪れる、、、。その夢と現実の狭間に、『インセプション』の感情的な高まりの全てが凝縮されていると言って良い。

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それは、夢と現実の境目がわからなくなってしまった、コブの妻モルの悲劇であるだろうし、<インセプション>の標的となった巨大企業の御曹司ロバート・フィッシャー(キリアン・マーフィー)とそのコングロマリットの創設者である父親との確執であるだろう。その2つの人間ドラマが<インセプション>に起因するものであることが見えて来る時点で初めて、観客はこの映画で心が震える瞬間を迎えることができるのかもしれない。それは、"夢-レベル1-"の中に"夢-レベル2-"があり、その中に更に"夢-レベル3-"があるという、入れ子構造のシミュレーションゲーム的設定に仕掛けられたミッションを、『007』シリーズへの憧れも含めた6カ国に渡る壮大なロケーション撮影を通して、ミニマリスト的感性を証明するかのような映画の視覚的実験としてやり尽くそうという、ノーラン監督の子供じみた野心ばかりの映画かと思い込みつつあった本作の終盤に差し掛かってから、不意に襲って来る感動であるのだから油断がならない。

ところで、"夢"の中の"時間"は、現実の時間感覚を引き延ばしたものだ、とはしばしば体験的に語られることだが、本作では、"現実"の5分が"夢-レベル1-"では1時間に相当し、更に"夢-レベル1-"の5分が"夢 -レベル2-"の1時間に相当するという"夢"の時間についてルール設定がなされている。この設定には、まさしくノーラン監督がデヴュー以来取り組んできた"時間"というテーマへの作家的偏愛が展開されていることは誰の目にも明らかだが、このテーマは、フィクションの世界では"古くて新しい"テーマであって、引き延ばされた"夢"の時間の中でサブストーリーが展開するという物語は、古今東西例を挙げれば切りがないだろう。個人的には咄嗟に以下のような二つの物語を思い出した。ひとつは、恐らく1930年代のサイレント映画なのだが、脱走した兵士が追いつめられて首をつる、その瞬間に、吊っていたロープが切れて、命拾いした兵士は、再び生きることを許された喜びに人生をより良く生き直そうとする、、、というところで、それは、首を吊ったその瞬間に見た"夢"に過ぎず、結局、兵士は首を吊った縄で首が締まって死んでしまう、というストーリーの短篇映画。もうひとつは、手塚治虫の短篇マンガで、こちらは、"時間"を引き延ばすという技術を持つ男が、この技を犯罪に悪用しようとする話。いざという瞬間になったら、時間を引き延ばし、その間に自分は逃げてしまおうという算段なのだが、いざ、その瞬間が来たら、自分の動きも引き延ばされた時間に応じて遅くなり、自分に向けて放たれた弾丸がゆっくりと時間をかけて自分の身体にめり込む生き地獄を延々と味わわされながら死ぬ、という皮肉なストーリー。"時間"というテーマは、人間にとって最もコントロール不能な、実存的なテーマであることをこれらの短篇作品は非常に雄弁に表現していた。

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一方、ノーランは、本作で、観客に"希望"を与えることを躊躇していない。それは、"時間"テーマのバリエーションとして本作で追求された"夢"とは、"映画"そのもののメタファーであるからに違いない。リュミエール兄弟の『ラ・シオタ駅に到着する列車』(1897)が当時の観客を驚かせたのと同様に、夢と現実の区別がつかなくなったモルを脅かす"列車"の登場や"夢"は現実に左右され続けるという設定、そして何よりも、"夢"の中で創り出されたキャラクターたちは、まさしく"役者"が行う、演じるという行為そのものを、"夢"の中で行うということ、こうした数々の符号が無意味なものとは思えない。そして、"夢"の"時間"は、現実の時間感覚を引き延ばしたものというセオリーを徹底的に展開した、その最良の成果が、ハンス・ジマーが手掛けた素晴らしいスコア(元スミスのジョニー・マー(!)も参加)に結実している。夢と現実の"狭間"で使われる、ノーランが脚本の段階から書き込んでいたというエディット・ピアフの「水に流して/Non, je ne regrette rien」とハンス・ジマーの素晴らしく印象的なスコアがどのような関係にあるか、ここで詳細を明かすことはしないが、本作をクレジットの最後の最後まで観れば、そこで流れるピアフの楽曲とハンス・ジマーのサウンドトラックを繋ぐ"狭間"がその秘密を明らかにするヒントを与えてくれるに違いない。

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US版ポスター


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『インセプション』
原題:INCEPTION

7月23日(金)全国ロードショー

監督・脚本:クリストファー・ノーラン
製作:エマ・トーマス、クリストファー・ノーラン
製作総指揮:クリス・ブリガム、トーマス・タル
共同製作:ジョーダン・コールドバーグ
撮影:ウォーリー・フィスター
美術:ガイ・ヘンドリックス・ディアス
編集:リー・スミス
衣装:ジェフリー・カーランド
音楽:ハンス・ジマー
特殊効果監修:クリス・コーポールド
視覚効果監修:ポール・フランクリン
スタント・コーディネーター:トム・ストラザーズ
出演:レオナルド・ディカプリオ、渡辺謙、ジョセフ・ゴードン=レヴィット、マリオン・コティヤール、エレン・ペイジ、トム・ハーディー、キリアン・マーフィー、トム・ベレンジャー、マイケル・ケイン

2010年/アメリカ/148分/カラー
配給:ワーナー・ブラザース映画 

©2010 Warner Bros. Entertainment Inc.

『インセプション』
オフィシャルサイト
http://wwws.warnerbros.co.jp/
inception/mainsite/
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