『母なる証明』

上原輝樹
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"殺人犯"を通じて80年代の韓国を描いた『殺人の追憶』(03)と"怪物"を通じて家族とアメリカというテーマを描いた『グエムル -漢江の怪物-』(06)で世界の映画人にその名を知らしめた韓国の若き巨匠ポン・ジュノは、弱冠40歳にして本作『母なる証明』を世に問い、もはやその賞賛には何の疑いも挟む余地がないどころか、現代アジアを代表する映画作家の中でも随一のスケール感を漂わせる傑作の誕生に、日本での完成披露試写会場で本作を見たはずの若干年長の映画作家、是枝裕和も驚愕したに違いない。

映画は、韓国の民族性を感じさせながらそれに収まりきらないモダンな魅力を放つイ・ビョンウの素晴らしいスコアと静謐なキャメラワークで捉えた広大な平原を背景に主人公の女性キム・ヘジャが踊リ出すという驚くべきタイトルバックで開巻する。『グエムル〜』で組んで以来、僅か数年の歴史しか持たないポン・ジュノとイ・ビョンウのコンビだが、今後関係が続くのであれば、韓国映画界における、フェリーニ&ロータのような名コンビになっていくに違いない。現代を代表する映画作家である黒沢清は、このオープニングを称して、これから始まる彼女の物語がどんなものになるのかは分からないが「とにかく彼女は祝福されている」という強烈な印象を与える素晴らしいオープニングであると、ポン・ジュノ監督本人に向かって最大限の賞賛を表している。(キネマ旬報2009年11月上旬号「特別対談:ポン・ジュノ×黒沢清」)

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その祝祭的なオープニング映像から、画面は突如として暗がりへと転調し、うら寂れた漢方薬品店で働く母(キム・ヘジャ)の手元をキャメラは捉えている。暗がりで作業をする母親は、片手で乾燥した薬草を束ね、もう片方の手で握っている刃物を、上からザックッ、と振り下ろし薬草を切断する作業をしている。暗がりに光る刃物の運動と物質が切断される音が、何とも言えない緊張感を醸し出す中、その作業をしながら母親が何やら不安げに見つめる目線の先には、店先で暇を持て余す息子のトジュン(ウォンビン)と友人のジンテ(チン・グ)の姿が見える。その時突然、衝撃音と共に走る去る車の車体を一瞬キャメラが捉える。車がトジュンに軽く接触して走り去ったのだ。これを目撃した母親は、息子の元へなりふり構わず駆け寄るのだが、軽症でぴんぴんしているトジュンは、母親の制止を振り切って友人ジンテとふたりでこの車(ベンツ)を追いかけて走り去ってしまう。不気味なまでに張りつめた緊張感を発していた母親の心配の元は、どうやらこの溺愛する一人息子であるらしいことが開巻数分のスリリングなオープニングシーンで明かされる。

そこまでの愛情表現は、少しオーバーなのでは?と疑問を抱いたものには、タイトルバックの母親の"踊り"も幾分滑稽にすら見えたかもしれない。冒頭の殺気立った緊張感が観客の笑いを抑圧していたものの、トジュンとジンテがその車を追いかけた末、ついにはゴルフ場に駐車されているベンツを発見し、ジンテは見事にバックミラーに飛び蹴りを決めてみせるが、トジュンが蹴り損ねてコケてしまう展開になると、観客の顔にも笑みがこぼれ始める。二人がさらにエスカレートして、ゴルフに興じるベンツの持ち主たちを襲撃するに至っては、爆笑するほどの痛快さが映画を一瞬支配するが、二人はあえなく警察に捕まり連行されていく。ここに"おせっかい"が身上の母親が、息子を擁護するべく警察に乗り込んでくるものの、ベンツのバックミラーを壊した件で責められることになるのは彼女の方だった。友達のジンテは壊したのはトジュンだと嘘の証言をして、いつもどこか所在なくぼんやりしているトジュンに責任を押しつけ、間の悪い母親は逆に弁償請求を受ける羽目に陥ってしまう。トジュンはそれでもその器物損壊は自分がやったことなのかどうか、記憶に残っていない様子だ。一見仲の良い友達に見える二人だが、抜け目のないジンテは、いつもこうしてトジュンを貶めているのかもしれない。この映画では、一見当たり前のように存在している人間関係をことあるごとに疑問に付せなければならない疑心暗鬼に観客は巻き込まれていくだろう。

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警察から釈放されたトジュンは、行きつけのバーでジンテと待ち合わせるが、ジンテは一向に現れない。一人飲み過ぎたトジュンは、夜中になると店を追い出されるようにして一人外へ出て行く。酔いながら帰途につくトジュンの横を女子高生のローファーを履いた足が足早に抜き去る。女子高生の後をつける形になったトジュンは、しばし彼女の足元を見詰めてから、酔った勢いからだろうか、「どこへ行くの?」と声をかける。何も答えない彼女に対して更にトジュンは「男が嫌い?」と問い掛ける。すると突然、巨大な石(!)がトジュンめがけて投げつけられる。『グエムル〜』で、突如怪物が出現し、平和な日常を一気に異界へと変質せしめた監督の演出手腕がここでも発揮される。もちろん、こうした恐怖シーンの演出にはポン・ジュノ監督も敬愛する黒沢清の映画術を大いに参考にしているに違いない。この翌日、その女子高生が惨殺されて発見されるという展開を端緒に物語は一気にダイナミックに動き出す。滅多に殺人事件など起きることのない小さな村で起きた凶悪事件に村は震撼し、こうした事件に不慣れな警察は、些細な物的証拠からトジュンを犯人と決めつけ早々に逮捕に向かう。漢方薬品店の前で警官がトジュンを連れ去ろうとするのを目撃した母親は、映画冒頭のシーンを繰り返すかのように、全速力でパトカーを追いかけるのだが、今回も結局母親の手は届かない。警察に留置されたトジュンは、例によって何も思い出す事が出来ず、自己の正当性を訴えることができない。剛胆な映像表現と緻密な音響設計で構築された緊張感溢れるサスペンスと監督特有のユーモアのセンスを両輪に、母親の一人息子の無実を証明するための常道を逸した闘いが始まる。冒頭の"祝祭的"オープニング映像が、この壮絶な闘いのプロセスに善と悪、真実と嘘の豊かな両義性の影を落とし、母親の"闘い"の時間を、映画の愉楽の時間へと変質させる。

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今までも"母親"を正面から描こうとする映画は、必ずある種のカオスと向き合わなければならなかった。最近の映画で"母親"をテーマにした映画といえば、イーストウッドの『チェンジリング』を想起しないわけにはいかない。失踪した一人息子を、様々な逆境の中でいつまでも探し続けるアンジェリーナ・ジョリーが演じた母親の姿は、単純に感動を誘うというよりも、強靭な執念が並外れた生命力で彼女を突き上げ、ただただ子どもを思うというだけの気持ちから、目を背けたくなるほどの幾多の障害に耐え抜く、"母親"という存在の不条理を不気味なまでに炙りだしていた。冷静な分析を寄せ付けない感情のカオスにはとてもやりきれない思いを抱いたが、本作で描かれる"母親"もまた、溺愛する一人息子の潔白を証明するためにありとあらゆることに手を染めてゆくだろう。あたかも、この世で命の生殺与奪の権利を持つのは母親だけなのだと言っているかのように。

それでも、『母なる証明』は、空高く舞い上がっていく高揚感を漲らせながら理性を超える人間存在を緻密な物語構造に解き放ち、映画が到達しうる最高レベルの表現で"母親"という存在の爆発的な生命力と"生命"の倫理を超えたカオスを私たちに問うてみせる。



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『母なる証明』
原題:Mother

10月31日、シネマライズ、シネスイッチ銀座、新宿バルト9ほか全国ロードショー

監督:ポン・ジュノ
原案:ポン・ジュノ
脚本:パク・ウンギョ、ポン・ジュノ
製作:CJエンタテインメント/バルンソン
制作:バルンソン
エグゼクティブ・プロデューサー:ミッキー・リー
共同プロデューサー:カテリーヌ・キム、ムン・ヤンクオン
プロデューサー:ソウ・ウォシク、パク・テジョン
撮影:ホン・クンピョ
美術:リュ・ソンヒ
音楽:イ・ビョンウ
衣裳:チェ・ソヨン
編集:ムン・セギョン
出演:キム・ヘジャ、ウォンビン、チン・グ、ユン・ジェムン、チョン・ミソン

2009年/韓国/カラー/35mm/シネマスコープ/ドルビーSRD/129分
配給:ビターズ・エンド

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『母なる証明』
オフィシャルサイト
http://www.hahanaru.jp/
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